19世紀には戦争は「国」同士のあいだで行われるものでした。武器を持つのは兵士で、一般人は戦いに巻き込まれることはあっても殺されるべき対象からは除外されていました。
20世紀に戦争は“進化”します。国同士の連合の対立となり、戦いの目的は、普仏戦争のときのようなアルザス・ロレーヌの割譲といったレベルではなくて、相手の国力を削ぎ、相手政府を完全にたたきつぶすことになりました。そして、一般人も殺されるべき対象に“昇格”してしまいました。
そして21世紀。戦争は「テロ」に変容します。一般人は相変わらず殺されるべき対象ですが、では「戦争の目的」はどこに行ってしまったのでしょう? それが不明確だからこそ、アメリカはアフガンやイラクからなかなか撤退できなくなってしまったようです。
経済も、19世紀の帝国主義的なものから20世紀にはグローバル企業を中心とした姿に変化(または進化)しました。ただ、「通貨」はまだ「国」のものでした。
そして21世紀。「基軸通貨」の時代はそろそろ終わろうとしているようです。では「次」は? 戦争がテロになって境界が不鮮明で扱いにくいものになったように、経済もこれからは国境がさらにぼやけて全体像が掴みにくいものになっていくのでしょうか。というか、「企業」と「個人」の境界さえ不鮮明になっていくのかもしれません。現在個人で盛んにFXなどの取り引きをしている姿が、未来の何かを予言しているのかもしれないと私は感じています。
【ただいま読書中】『フランス革命を生きた「テロリスト」 ──ルカルパンティエの生涯』遅塚忠躬 著、 NHKBooks1175、2011年、1200円(税別)
富裕な農民の息子だったルカルパンティエは、法律関係の事務所で修行し下級の司法官職を購入します。フランス革命の初期、「デモクラート(民主派=小ブルジョワや民衆に親近感を持つ者たち、ルカルパンティエはここに属しました)」と「アリストクラート(特権的寡頭支配者層)」は鋭く対立しましたが、その間に位置する「大ブルジョワ(地主、大商人、高級官職保有者。第3身分だが「名士」たち)」は革命の進展に危惧の念を抱いていました。その危惧を裏づけるように、各地で農民と民衆の暴動が起きます。圧政への不満だけではなくて、食糧不足が深刻だったのです。憲法制定議会は事態を収拾するために旧体制の全面的廃止を決定します。各地の行政機構も改変され、その中でルカルパンティエは少しずつ政治の表舞台へと進んでいき、1792年に国民公会議員に当選します。国民公会での最大の議論は「国王を裁くことができるか」でした。1791年制定の憲法には「国王は不可侵」が謳ってあったのです。しかし「裁くべし」のルカルパンティエの演説を議論の締めくくりとして、国民公会はルイ16世を裁判にかけることを決定します。次は法的技術論(裁判にかける法的根拠)と罪状ですが、すでにルカルパンティエやロベスピエールは「正義の復讐としての死刑」を心に決めていました。
ルイ16世の死刑は、対仏同盟をもたらし、フランスは孤立化して長い戦争を始めることになりました。さらに内部では、各地で反乱が相次ぎます。革命政権は議員を各地に派遣して体制を維持しようとします。ルカルパンティエはマンシュ県に派遣されました。そしてそこで「反革命」の人たちに対する「テロリズム」を行なうことになります。行政官の刷新・軍隊の士官の更迭・総動員令・食糧確保・反乱軍(カトリック王党軍)に対する防衛など、はじめはわりと穏やかに始まった“改革”は、やがて「反革命派」の摘発と処断に移行していきます。恐るべきは、イギリス軍だけではなくて、イギリス軍への内通者だったのです。そこで「革命」に全面賛成しない人間は(たとえば修道女も)容赦なく逮捕されています。
ここで怖いのは、ルカルパンティエが単に「血に飢えた狼」なのではなくて、真っ当な社会正義や万人の平等の概念をしっかり持って事に当たっていることです。ルカルパンティエにとって「テロ」は「革命の大義」のために行なうべき“義務”だったのです。
テルミドールの反動によってルカルパンティエは「告発する側」から「告発される側」に移動します。逮捕・大赦によって“引退”したルカルパンティエは、ひっそりと暮らすことになりますが……
「テロ(仏語でテロリスム、英語でテロリズム、独語でテロル)」はもともとフランス革命での「恐怖政治」を意味していました。したがって、世界最初の「テロリスト」は、そのとき恐怖政治に関係した人たちのことを意味します。ルカルパンティエは、ジャコバン派(山岳派)の一員として反革命派を弾圧し、王政が復古したときに「テロリスト」として逮捕されました。著者は「テロリスト」の行動やその人生だけではなくて、時代や社会がなぜテロリズムを“必要”としたのかにも注目します。200年前の「テロリスト」を見つめることで、21世紀の社会のナニカがあぶり出されるのではないか、と。
近代の政治的テロリズムは「権力側の行為(ルカルパンティエのような、権力の末端に位置する者の行為)」として始まりました。フランス革命でもロシア革命でも、革命政権は、自分自身を維持するために「テロ」に頼ったのです。反革命派もテロに走ります(赤色テロに対する白色テロ)。つまり「テロ」は社会革命の“属性”として始まったのです。しかし、一度始まったものは変質します。20世紀に社会主義国家が崩壊し「社会革命」という概念が失われても、「テロ」は革命の理念や展望を失った形で「権力への反抗」として行なわれ続けているのです。