WHOが「自殺報道に関するガイドライン」を出していることは、日本ではあまり知られていません。日本のマスコミがそのことについて報道しないこともその一因です。
「自殺予防週間」(日本小児科学会)にそのガイドライン(オリジナルと日本語訳)が載っています。ガイドラインの目的は「報道の影響による自殺を予防する」こと。
上記のガイドラインの中に「ウェルテル効果」ということばが登場します。『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)でのウェルテルの自殺に感化されて多くの若者が同じ方法で自殺した事例に基づく命名です。日本だったらたとえば岡田有希子の飛び降り自殺後、後追いまたは影響を受けたと思われる若者の飛び降り自殺が急増しましたっけ。古代中国では道家の思想によって多くの人が自殺をした、というのもありましたが、人の内部には何かのきっかけによって発動する「自殺のスイッチ」があるのかもしれません。だからこそその“スイッチ”をわざわざオンにしないようにする努力も社会的に必要なのでしょうが……
引用は自由とのことなので、その最後の部分だけをここに引用しておきます。
何をするか、何をしてはならないかのまとめ
何をするか
・ 事実を示す際には、保健機関と緊密に協力する。
・ 自殺を「成功した(successful)」ではなく「既遂(completed)」と表現する。
・ 適切なデータのみを中面で示す。
・ 自殺に代わる方法を強調する。
・ 命の電話や地域の援助に関する情報を提供する。
・ リスクを示す指標と警告サインを公表する。
何をしてはならないか
・ 写真や遺書を公表しない。
・ 自殺の方法について詳細に報道しない
・ 原因を単純化しない。
・ 自殺を美化したり、センセーショナルに報じない。
・ 宗教的・文化的な固定観念を用いない。
・ 非難をしない。
日本のマスコミは、みごとにこのガイドラインに反した報道を繰り返し続けています。まるで“スイッチ”を押したくてたまらない、と言わんばかりに。だから「こんなガイドラインが存在する」こと自体も今さら報道できないのでしょうね。
【ただいま読書中】『若きウェルテルの悩み』ゲーテ 著、 斎藤英治 訳、 講談社、1971年、340円
田舎で「旦那様」として優雅に過ごしていたウェルテルは、婚約者のいるロッテ(シャルロッテ)嬢に一目惚れをします。本書は、ウェルテルからその友人ウィルヘルムへの書簡集ですが、ウェルテルが筆まめなので(最初はほとんど隔日に手紙を書いています)、事態の進行に著者は容易についていくことができます。
やがてウェルテルは、ロッテが自分を愛していることに確信を持ちます。しかしそこにロッテの婚約者アルベルトが登場。ウェルテルはアルベルトにはとても勝てそうもないと思いますが、ロッテをあきらめることもできません。ここでのウィルヘルムへの文章は、痛切です。表面上はアルベルトとロッテの中を祝福し、二人のよき友人として振舞うことが、“真っ直ぐ”な性格には無理を強いるのですから。(もっともその“真っ直ぐさ”は、「他人から自分への好意や援助は当然」とする(でも、他人に対して温かく振舞おうとはしない)という態度に見えるように、他人に対するある種の冷淡さももたらしているのですが)
さらに問題を複雑にするのは、ウェルテルの就職問題です。職はあります。ウェルテルさえその気になれば。ただウェルテルは問題を先延ばしにします。思うようにならない愛の行方に、気分はどんどん活力低下状態となっていきます。しかしついにウェルテルはロッテから離れることを決意します。遠方の公使館に職を得るのです。しかし「現実」は厳しく、仕事も対人関係も思うようになりません。それはそうでしょう。仕事をしたくて職に就いたのではなくて、ロッテから離れる手段としてコネを使って就職したのですから、本気で仕事に集中できるわけがありません。
このあたりからページをめくるのがしんどくなってきます。さらに、これは本当に「手紙」なのか?という疑いが私の心にむくむくとわき上がってきます。途中にさりげなく「日記を読み返してみると」という文章がはさまれるのですが、実はこの書簡集自体がただの日記で、手紙の相手である「ウィルヘルム」は実在しないかもしれない、と思えてきたのです。さらにオソロシイ、ロッテは実在するのか?(すべてはウェルテルの脳内での妄想世界)という疑惑までそれについて出てきます。
そうそう、「モラトリアム人間の苦悩」とか、あるいは「悪女ロッテ」という読み方もできますね。実生活に強い夫と理想を追うタイプの愛人を上手く両立させようとする女、と。ウェルテル自身が「二人の崇拝者をたがいに仲よくさせておくことができれば、得をするのはいつも女さ」なんて書いています。
仕事を失い、ロッテをあきらめきれず、その夫アルベルトの死を願い、ウェルテルの精神状態はどんどん悪くなっていきます。そして……ここもえぐい結末です。ロッテの手から渡されたアルベルトの拳銃を使っての自殺です。つまり「自分の死には二人とも、精神的にだけではなくて物理的にも関与している」という主張。
形式としては破綻した小説ですが(途中から「編集者」が登場して「事件」の客観的まとめをしてしまうのですから)、中身はずしり。ただの純愛小説や「若さゆえの真っ直ぐさの危うさ」の青春小説としてだけではなくて、現代にもそのまま通じる社会問題意識や人の心理(特に闇の部分)に関する深い洞察が読み取れます。たまにはこうやって古典を楽しむのもよいものです。