【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

難しいマニュアル

2011-08-23 19:17:04 | Weblog

 なんでもマニュアル化できると思っているらしい人がたまに社会にいますが、そういった人にはたとえば「三塁打の打ち方マニュアル」でも作ってみてもらいたいな。

【ただいま読書中】『現代語訳 吾妻鏡(10)御成敗式目』五味文彦・本郷和人・西田友広 編、吉川弘文館、2011年、2400円(税別)

 全16巻のシリーズの10巻目(寛喜三年(1231)~嘉禎三年(1237)の記事)です。
 鳥がなにか平時にない動きをすると、そのたびに占いが行なわれます。何か行事を行なうにも、一番に問題になるのは「日の吉凶」と先例。鎌倉時代と言っても、まだ平安時代の続きですね。
 おっと、平安時代と大きく違うのは「死の穢れ」に対する考え方でしょうか。平安貴族にとって、人間だけではなくて動物の死(や出産)でさえも政務に関わる“大事件”でした。ところが鎌倉武士は、出かける途中で死体に出くわすと、行なうのは「穢れを祓う」ことではなくて「死因調査」です。そして、殺人だとわかると犯人の捜索を始めます。庶民レベルではどうかは伺えませんが、日本を支配する人たちの間では「死のとらえ方」「死の取り扱い方」が変化しています。
 やたら地震が多く、流行病・飢饉・大風・大火もあり、北条泰時(鎌倉幕府第三代執権)は(自身が病気になったりしながら)対応に追われている様子です。天でも異変が起きています(「月が天関に接近し、太白星が婁星に接近」したのだそうです。さらにその直後に彗星が出現します)。さらに月蝕の予報が外れまくります。
 そうそう、将軍家(藤原頼経)が鼻血を出したことも“大ニュース”です。
 貞永元年(1232)8月には、御成敗式目全五十箇条の編纂が終わります。これまたビッグニュースです。「藤原不比等の律令(大宝と養老のどちらかな? 両方?)に匹敵するもの」と述べられていますが、「世の中が(力づくではなくて)“決まり”によって管理される」という概念そのものが、当時の人には新鮮なものだったでしょう。
 私が感心したのは、「御所の御当番(宿直)」を北条泰時もやっていることです。あくまで将軍家が「一番偉い」存在だったのですね。また、亡き頼朝に対する尊崇の念を示すことも忘れません。また、泰時は「集団指導体制」を作ったとされていますが、実際にはその集団のリーダーシップを取っているのは明らかに泰時です。それはそうでしょうね。よほど自分に自信がなければ、集団を組んで仕事を任せてそれを指導するなんてできませんから。ここに書かれている北条泰時の言動の端々から伺えるのは、人情に篤くとても優秀で強力なリーダーシップを発揮できるタイプの人物像です。
 今の目から見たら、鎌倉時代は室町時代の“地均し”を行なっただけとも言えますが、平安時代とは“異質な社会”を作った功績は大きいと言えるでしょう。「死」に対する態度もそうですが、たとえば地方でトラブル(荘園での訴訟、叛徒の出現、など)があった場合、鎌倉武士は自分で解決することをまず考えています。そしてそのためのガイドラインとして式目が必要とされたわけです。律令がどちらかと言えば「理想」から生まれたのに対し、式目は「現実」が出発点であるように私には見えます。ここでその“優劣”を論じようとは思いませんが、ともかく「現在の法治国家としての日本」の本当の出発点は、実は鎌倉時代だったのかもしれません。