【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

生き残りの子孫

2011-08-29 19:12:53 | Weblog

 大洪水を生き残った唯一の人類、ノアの一族は、ユダヤ人ですよね?  すると、私もあなたも、ユダヤ人の子孫?  をを、人類は皆兄弟。

【ただいま読書中】『忘れられた兵士 ──ドイツ少年兵の手記』ギイ・サジェール 著、 三輪秀彦 訳、 早川書房、1980年、1400円

 パウル・カレルの『捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路 』に、敗戦が近づくにつれてナチスがローティーンまでも「国防軍」として動員したことが書かれていました。「戦争に負ける」とは、こうやって本来は保護されているべき若い世代までもが根こそぎ殺し殺される体験をすることなんだな、と思いましたが、ではハイティーンだったら良いのかと言えばその答えはやはり「否」でしょう。
 本書の著者は、フランス人の父とドイツ人の母の間に生まれ、育った地のアルザスが14歳の時にドイツ軍に占領されることで身近に見るようになったドイツ国防軍に憧れを感じるようになり、16歳でドイツ軍に身を投じます(アルザスは複雑な地域です。ドイツでもありフランスでもあるのですから)。ポーランドで訓練を終えた中隊(300人の中に18歳以上の者は皆無)が配属されたのは東部戦線でした。ミンスクから(すでに地獄と化した)スターリングラード第6軍への輸送任務です。無邪気に体を鍛え戦闘訓練を受けていた若者たちは、そのままウクライナの広大な雪原(摂氏マイナス37度!)に放り込まれます。スターリングラードのドイツ軍は降伏し、著者のいる場所が突然「最前線」になります。川を隔てての撃ち合い、そして退却。ほんのちょっとの差で銃弾が自分をそれ、しかしそれが隣にいた親友の頭を砕いたとき、著者は「シニカルな17歳」になります。
 混乱の中の退却戦のあと、著者は輸送兵から歩兵に志願します(「志願」と言っても、半強制的なものでしたが)。そして、わけのわからないまま、独逸軍の反攻で再度ロシアの大地へ。そのときには、新兵としてヒトラーユーゲントの若者たちが大量に投入(そして大量に殺戮)されました。そしてまたソ連の反攻によって退却。そこで予備兵である「民族の嵐」が投入されますが、それは、60歳以上の者や少年兵(13~16歳)で構成されていました。彼らもまた「死者の名簿に加えられるため」だけに投入されたのです。メーメルで包囲され殲滅される寸前に著者らは最後の船で脱出できます。たどり着いたのはゴッテンハーフェン。そこで数日前に撃沈された「ヴィルヘルム・グストロフ号」の噂を聞きます(今年の6月12日に読書日記に書いた『死のバルト海』の話です)。
 本書を、「著者たちが大喜びでハイル・ヒトラーと言う場面がある」というだけで全否定する人がいたそうです。そんなことを言うのはナチで、ナチが書いた本など読む必要はない、と。しかし、「ドイツ人をすべてナチス扱いする」ことは「ソ連人をすべてアカ扱いする」「日本人をすべてイエロージャップ扱いする」「アメリカ人をすべてヤンキー呼ばわりする」「(女性差別者が)女はみんなアホだと言う」ことと同義でしょう。ジョン・ロールズは「戦争責任」に関して「指導者と要職者(政治家と上位の軍人)/兵士/非戦闘員である国民」を区別するべき、と唱えたそうですが、その意味が本書を通じてもわかる気がします。目の前の“義務”に忠実であろうとしたら、当時のドイツ人には、軍に身を投じること、「ハイル・ヒトラー」と叫ぶこと以外に、“国民”としての選択肢はなかったはずです。そのあと仲間内でいろいろ「あんなこと、言っちゃったよ」などとふざけていたとしても。
 著者は「勝者だけが物語を持っている。われわれ哀れな敗者は、取るに足らぬ臆病者であり、われわれの記憶、恐怖、熱狂は物語るに値しないものなのだ」と寂しそうに書いています。しかし、敗者の物語であっても、私にとって本書は「あり得たかもしれない“私の物語”」でした。もし私が当時のドイツ人だったら、やはり著者と同じ道を選んだかもしれないのですから。