風を見ることはできませんが、風鈴が鳴ると風が通ったことが耳でも確認できて、それだけで心の中が涼しくなったような気がします。ただ、昔、台風の時などでも風鈴を出しっぱなしにしている家が近所にあったのですが、あれは勘弁して欲しかった。
【ただいま読書中】『風鈴』NHK「美の壺」制作斑 編、NHK出版、2007年(08年2刷)、950円(税別)
風鈴の起源は中国(またはインド)。竹の枝につり下げて音の鳴り方で吉凶を占う道具で「占風鐸(せんぷうたく)」と呼ばれました。これが仏教とともに日本に渡来し、寺院の屋根の四隅にかける風鐸となります。「風鈴」という言葉を日本で初めて記録に残したのは、法然上人(浄土宗の開祖)です。当時は「ふうれい」と呼んだようです。平安・鎌倉時代の貴族は、縁側に魔除けとして風鈴を下げていたそうです。
そういった呪術的な道具がどうやって大衆化したのでしょうか。その過程には、大量生産や技術革新(短冊をぶら下げてわずかな風でも掴まえるようにする)などがありました。
そういえば、西洋の「鐘」は内部の舌によって鳴らすのに対し、日本の鐘は外から撞木で突くことで鳴らします。ところが風鈴は、西洋の鐘と同様内部の舌(ガラス風鈴だったら「ふり管」)によって鳴らします。すると、寺院の鐘を外から鳴らすのは、もしかしたら単にスペースと位置の問題で、可能だったら西洋と同じように内側から鳴らす鐘が日本にも登場していたかもしれない、なんてことを思います。
風鈴の音はふつう「澄んだ音色」と表現されますが、実はいくつかの周波数の音が混じっていて、さらに余韻が長いのが特徴だそうです。たとえばガラス風鈴は切り口が磨いてないぎざぎざのままですが、それだからあの特徴のある「澄んだ音」になるのだそうです。オーストリアに輸出したとき「切り口が危険」と指摘されて磨いたら「ちりり~~ん」ではなくて「ちんっ」になってしまったそうな。
江戸時代に風鈴は大衆化します。囲碁や芝居で「あの人は風鈴だ」と言うのは腕が低いことを意味していたそうです。庶民が「風鈴を食いに行こう」とも言いましたが、「食べに行く」のは「風鈴」ではなくて「風鈴をぶらさげた蕎麦の屋台」です。残された絵では、金属製の鐘の形の風鈴で、ガラス製の風鈴の登場は明治になってからだそうです。そしてそのガラス風鈴の普及によって「涼」と「風鈴」とが結合したようです。たしかに、お寺の鐘のミニチュアよりは、ガラス製の風鈴の方がいかにも涼しそうですものね。
わが家にもどこかに風鈴がしまってあったはず。探し出してぶら下げてみようかな。ちりり~ん。