JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

故郷で二宮金次郎の像復活と妙楽寺の鐘

2010年08月31日 | Weblog


 北海道の故郷の兄から、二宮尊徳(金次郎と呼んでいた)の像が復活したとのメールを頂きました。
 私たちがこどもの頃、家の前の農協の入り口に立てられていたものが、セメント製であったため、地震で壊れ、引き取った「建設業者」の方が「台座」と「壊れた像」を
「パルズの様」に組み立て、再建したとのことでした。現在、北海道の旧大狩部小学校の校舎を「建設業者」が「事務所」として再利用、教室を「展示場」などに使用しているとのことです。
 私にとっては、祖母から寝る前に、薪をしょいながら勉強した立派な人物と言われ続けた思い出の像です。
 驚いたのは、初代の二宮像は「銅製」でしたが戦時中に戦争のために「提出」されて、セメントになったとのこと、セメント像しか知らなかっのですが。
 全国的には戦意高揚のために利用されたようですが、供出と合わせると2度の利用になったのでしょうか。
 睦沢町の妙楽寺の釣り鐘堂に釣り鐘がないのも、戦争の供出に出された結果です。
睦沢村史では、文字通り日常必需品の鍋釜の供出もあったことが記されています。戦争の傷跡は消えていません。

二宮尊徳については、日本文学史序説(加藤周一著)の中で、「荒廃した農村と財政難の藩政府を、藩単位で、独特の「手法」により救おうとした。その「手法」の内容は、それぞれの場合によってちがうが、年貢の調整、支出(政府・農民双方の)抑制、労働人口の確保、荒地開墾と土木事業などの組み合わせから成る。」「彼の『仕法』がしばしば成功したのは、その適用の範囲を、村から藩までの特殊な地域にかぎったからであり、彼自身が農民の実際の生活と真理を充分にしっていたからであろう。」とのべています。

 
 

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