JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

単なる記念館案内書ではない「松本清張記念館」の出版物

2016年05月07日 | Weblog

松本清張のファンだという事を知ってらっしゃる、友人から松本清張記念館図録を渡されました。
 
時代を描くエンターテナー 
犯罪そのものの解明よりも、そこに至った時代・人々の暮らしを描ききる、それ以降の作家に、私の範囲では知りません。
 なぜか、小笠原賢二氏は「家はたいへん貧しく、父母と仲は悪く、絶えず衝突した。・・・父は・・・次々と仕事を変えたが、どれも長続きしない。・・・みじめな思いもした。」
 「単なる趣味や道楽の次元を超えた、生活の現実に根ざした読書スタイルだった・・・・文学青年的なそれよりもむしろ切実だったといえるだろう。」と書いています。何かを書きたいと言うより、生活を支えることから、時代を見つめる視点が生まれたのでしょう。太宰治とは真逆と言ってよい環境だったと思います。
 以前、見たことがある「ドキュメンタリードラマ 高村薫・佐木隆三 往復書簡『清張を巡る対話』」のなかで、たしか佐木隆三氏が「或る小倉日記伝」をとりあげ「実在の人物を取り上げておいて、事実とことなるストーリーにしていることは絶対に許せない」と往復書簡を一方的に取りやめ、高村薫氏が「納得がいかない」と語って、番組は終わりました。
 
人生を考えさせる
 
私は「或小倉日記伝」から、主人公の生き方は無意味だったかのように描いているが、社会的評価は失せたかもしれないが、松本清張は、事実探求に生きたという人生は意味があった言いたいのだろうと思っています」
 この図録を読んで、松本清張の生きるという事と一体となった、小説への姿勢と事実は曲げたのだが、真実は語っているのではないかと思うのです。
 ドラマ以後、評価できませんでしたが、今回の図録を読んで、ここまで、体を張って描く作家は小林多喜二は先輩と存在しましたが、これから生まれるのだろうかという事も思いました。
 生まれるとしたら、エンターテナーとしてのテクニックとともに、世界と日本社会の根本を真正面から見つめた、視点にたった作家からうまれるだろうと思うのです。
 松本清張の軍隊生活について「軍隊生活は不自由に違いなかったが、最も気掛かりだった家族の生活保障がなされた事は大きな安心だった」とある、農家の大黒柱を失った家族の悲惨な状況とは違い、松本清張にとってはこうだったのでしょう。「「新兵は平等で貧富も年齢差もなかった、ここの働きが評価されたことに「奇妙な新鮮さ」さえ覚えた。」 今、貧困格差が広がり、差別と貧困の仲で自己否定の若者が、軍隊の中で「奇妙な新鮮さ」を覚え、殺し殺される環境に飛び込む恐ろしさを、松本清張自身の率直な言葉から感じるのです。
 
 政治参画が抜けている 
ただ、松本清張の政治への行動については触れておりません。
 「創価学会・公明党による日本共産党の批判をかわそうとする術策」(日本共産党の80年)であったとしても、松本清張が仲介となった「共創協定」締結の「ファシズムを出現を防ぐ」と言う合意内容は、一方の側の真逆な今日的あり方に対し、住民の自主的・自覚的要望に応えた日本共産党の市民と野党5党合意と発展の中で生きているのではないでしょうか。

単なる記念館案内書ではない「松本清張記念館」の出版物

2016年05月07日 | Weblog

松本清張のファンだという事を知ってらっしゃる、友人から松本清張記念館図録を渡されました。
 
時代を描くエンターテナー 
犯罪そのものの解明よりも、そこに至った時代・人々の暮らしを描ききる、それ以降の作家に、私の範囲では知りません。
 なぜか、小笠原賢二氏は「家はたいへん貧しく、父母と仲は悪く、絶えず衝突した。・・・父は・・・次々と仕事を変えたが、どれも長続きしない。・・・みじめな思いもした。」
 「単なる趣味や道楽の次元を超えた、生活の現実に根ざした読書スタイルだった・・・・文学青年的なそれよりもむしろ切実だったといえるだろう。」と書いています。何かを書きたいと言うより、生活を支えることから、時代を見つめる視点が生まれたのでしょう。太宰治とは真逆と言ってよい環境だったと思います。
 以前、見たことがある「ドキュメンタリードラマ 高村薫・佐木隆三 往復書簡『清張を巡る対話』」のなかで、たしか佐木隆三氏が「或る小倉日記伝」をとりあげ「実在の人物を取り上げておいて、事実とことなるストーリーにしていることは絶対に許せない」と往復書簡を一方的に取りやめ、高村薫氏が「納得がいかない」と語って、番組は終わりました。
 
人生を考えさせる
 
私は「或小倉日記伝」から、主人公の生き方は無意味だったかのように描いているが、社会的評価は失せたかもしれないが、松本清張は、事実探求に生きたという人生は意味があった言いたいのだろうと思っています」
 この図録を読んで、松本清張の生きるという事と一体となった、小説への姿勢と事実は曲げたのだが、真実は語っているのではないかと思うのです。
 ドラマ以後、評価できませんでしたが、今回の図録を読んで、ここまで、体を張って描く作家は小林多喜二は先輩と存在しましたが、これから生まれるのだろうかという事も思いました。
 生まれるとしたら、エンターテナーとしてのテクニックとともに、世界と日本社会の根本を真正面から見つめた、視点にたった作家からうまれるだろうと思うのです。
 松本清張の軍隊生活について「軍隊生活は不自由に違いなかったが、最も気掛かりだった家族の生活保障がなされた事は大きな安心だった」とある、農家の大黒柱を失った家族の悲惨な状況とは違い、松本清張にとってはこうだったのでしょう。「「新兵は平等で貧富も年齢差もなかった、ここの働きが評価されたことに「奇妙な新鮮さ」さえ覚えた。」 今、貧困格差が広がり、差別と貧困の仲で自己否定の若者が、軍隊の中で「奇妙な新鮮さ」を覚え、殺し殺される環境に飛び込む恐ろしさを、松本清張自身の率直な言葉から感じるのです。
 
 政治参画が抜けている 
ただ、松本清張の政治への行動については触れておりません。
 「創価学会・公明党による日本共産党の批判をかわそうとする術策」(日本共産党の80年)であったとしても、松本清張が仲介となった「共創協定」締結の「ファシズムを出現を防ぐ」と言う合意内容は、一方の側の真逆な今日的あり方に対し、住民の自主的・自覚的要望に応えた日本共産党の市民と野党5党合意と発展の中で生きているのではないでしょうか。