msさんから、以前 遺稿集「歴史に生きる 鈴木正四」の記事についての、あたたかいコメントを頂きました。ありがとうございました。
氏の経歴を見ますと、戦前1933年5月に「赤旗」地下印刷局員となるとあります。どのようなものであったか、別の人物の同名の本を読んだことがありますが、大変なものでした。
1934年の警察による拷問は、遺稿集の中に書かれています。また、1945年12月に日本共産党に入党とあります。
戦前は、弾圧を理由に、戦後は日本共産党の一方の側からの分裂という、組織を離れる理由はいくらでもあった、きびしい時代をまっすぐに生き抜いてきた方です。
知識人として、そして、日本共産党のさまざまな誤りや未熟な事態もありながらも、日本共産党という組織を応援し続けた、人物がいたと言うことに私はずーと心を動かされています。
さらには、論文「セポイの反乱」の中で「この大反乱の経験からして、イギリスは太平天国の乱、明治維新にあたっては、封建支配者層を助けて人民の革命運動をおさえるのに努力したが、同時に中国や日本をイギリスの直接支配のもとにおくことを決意できなかった原因の一つもこの大反乱にあった」と述べていることは、私の明治維新への疑問の一つに応える貴重な文章になりました。
氏の経歴を見ますと、戦前1933年5月に「赤旗」地下印刷局員となるとあります。どのようなものであったか、別の人物の同名の本を読んだことがありますが、大変なものでした。
1934年の警察による拷問は、遺稿集の中に書かれています。また、1945年12月に日本共産党に入党とあります。
戦前は、弾圧を理由に、戦後は日本共産党の一方の側からの分裂という、組織を離れる理由はいくらでもあった、きびしい時代をまっすぐに生き抜いてきた方です。
知識人として、そして、日本共産党のさまざまな誤りや未熟な事態もありながらも、日本共産党という組織を応援し続けた、人物がいたと言うことに私はずーと心を動かされています。
さらには、論文「セポイの反乱」の中で「この大反乱の経験からして、イギリスは太平天国の乱、明治維新にあたっては、封建支配者層を助けて人民の革命運動をおさえるのに努力したが、同時に中国や日本をイギリスの直接支配のもとにおくことを決意できなかった原因の一つもこの大反乱にあった」と述べていることは、私の明治維新への疑問の一つに応える貴重な文章になりました。