2007年6月14日のブログ記事一覧-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



<あれも聴きたい、これも聴きたい> 村治奏一君のアランフェス

 6月の9日、東京のすみだトリフォニー(1801人収容)で行われた、新日本フィルハーモニーの定期公演は、空いている席が1席もないという現在のクラシック音楽界では考えられないほどの羨ましい状態で開催されました。しかもチケットが手に入らないという状態は半年以上も前からとか。それほど今回の定期公演は人気が高かったということなんですが、それもそのはず。今回の新日本フィルハーモニーの定期公演は、現在ニューヨークに留学中の村治奏一君がアランフェスのソリストとして登場するのですから。そしてその他のプログラムとしては、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」そして同じくラヴェル作曲のおなじみ「ボレロ」。

 新日本フィルハーモニーは、去年の2月、パルテノン多摩において姉の佳織さんが同じアランフェス協奏曲を演奏したのでここにも紹介しましたが、その時のアランフェスは、正直、私が今まで生で聴いたアランフェスの中では飛び抜けて芸術性が高く、彼女が今世界でどれほど重要な地位にいるかを心底認識させられたものでした。
それから1年と4ヶ月、そして去年の7月、大阪で始めて奏一君の演奏を目の当たりにしてから11ヶ月経過した2007年6月の9日。同じオーケストラ、同じ指揮者(アルミンク)での兄弟対決となったのですが、幸運にも私は今回もリハーサルからずっとご一緒させてもらって、間近に彼の演奏と人となりに触れることができたことを神様・仏様、大日如来様、観音様、菩薩様、盧舎那大仏様そしてキリスト様にも感謝感謝。(キリスト様は結婚式の時にお世話になったっきりで随分ご無沙汰でしたが)

 今回私はいつものようにギターのPAをするために出かけて行ったのですが、本来はPAを使うのか使わないのかは前日のリハーサルの時まで決まっていませんでした。それでも奏一君は今まで使ってきたハウザー2世ではなく、自分のアイデアで作ってもらったという新しいギターで演奏するというので、そうなるとかえって生でも聴いてみたいという気持ちも湧いてきます。興味津々でお父さんの村治昇先生と一緒に会場に入りました。
 我々が会場に入るとまもなく奏一君も到着。約1年ぶりのごあいさつの握手。去年と変わらずクールミントガムのような爽やかな風が吹きます。しかもとっても控えめながら人なつっこいその目は、一度会ったら相手をいっぺんにとりこにしてしまうような魅力がいっぱい。一度音楽や人生のことなど、お茶を飲みながら(こちらはお酒が飲めないので)じっくり一晩話合ってみたいと思わせる、まだ少年の面影を残した素敵な青年です。

 ゲネプロは最後まで写真にあるような新しい楽器で通しましたが、本人が希望するような効果を上げることは残念ながら難しいようでした。完成して半年というその楽器は、まだ「鳴り切っている」というところまでは達しておらず、どうしても音が開放的に響き渡るというわけにはいきません。楽器そのものが「若い」からしょうが、オーケストラと相対してというのはもう少し時間がという気がします。周囲の人達からは、「できればいつものハウザーの方が」という声も聞かれ、できるだけ本人の意思に任せたいと考えておられる村治先生もさすがに考え込んでおられましたが、試しに従来のハウザー2世を使ってみると、やはり充分な遠達性を備えた音量と明瞭度があり、本人の希望とは裏腹に明らかな差が感じられました。折につけその楽器を使ってなんとか早く育てていきたいという奏一君も最後の最後まで迷っていたようでしたが、結局のところ従来通りハウザーを使用するということになり、結果的にみるとそれが大成功だったようです。

 当日は午後3時に開演ということで、ゲネプロが始まったのが11時30分。最初にアランフェスということになり、奏一君は先ほど言った新しい楽器を持ってステージに登場しました。いきなり最初から最後まで通しましたが、なんという爽やかなアランフェスでしょう。コンチェルトとしての経験は、お姉さんである佳織さんほどではないにしても、そして外見が与える人一倍控えめな印象とは打って変って、オケとの一騎打ちにもなんのためらいも感じられません。かといってふてぶてしい感じは一切見られず、あくまでも純粋に音楽に打ち込む一人の青年の姿がそこにはありました。まさに「ああ、この人達がこれから世界のギター界を担っていくんだなあ」といった、感慨にも似た思いが迫ってきます。それにしても決して大きくない、むしろ日本人のなかでも小柄な部類に属するであろう彼の音楽のなんと大きなことか、そしてなんと純粋なことだろう。心持ち速めにとったテンポがより爽快感を呼びます。なんでも今回の帰国の前に、実際にアランフェス宮殿を訪れてきたとのことで、その時のことを思い起こしながら演奏していたのかも知れませんね。

 本番は気持ちの落ち着きもあるのかもしれませんが、ゲネプロの時よりもさらに充実した演奏を聴かせてくれました。
終了後、何回も何回もステージに呼び出され、大歓声のなか、舞台ソデに戻ってきた彼の口からは「あー緊張した!」といった純粋な言葉が漏れ、周りの人達も一瞬のうちにとても和んだ気持ちにさせられたことは、会場でご覧になっておられた方達は知るはずもないでしょう。
アンコールのアルハンブラもアランフェスに負けず会場の感動を呼び、いつまでたっても拍手は鳴り止まないかのよう。
人生20代の前半で、既にこれほど将来を約束された若者が私の目の前に存在し、そしてその若者と知人としてお話もし、一日ご一緒できたことを、神様・仏様、大日如来様、観音様、菩薩様、盧舎那大仏様そしてキリスト様に深くふかーく感謝をした一日でした。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )