2006年11月2日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> ギターのPAのことなど

 最近お聴きしたことではあるが、村治佳織さんが10月に入って始まったコンサートツアーの全てで、私のPA(SR)システムを使っているとのこと。北海道の4公演、所沢のコンチェルトをはじめ、1週間をおいて同じ所沢で行われたソロのコンサートにおいても全て使用。今後の公演もどんどん採用していくようでした。
私としては大変有り難いことだし、うれしいことでもある。
しかし本当に良かったと思えるのは、聴きに来られた聴衆の皆さんではないかと私は思うのだが。

今までクラシックギターのコンサートはあまりにも聴衆サービスに欠けていたというのが私の偽らざる感想。
生のギターの良さをしっかり聴き取れるのは恐らく100人か200人。せいぜい300人どまりではなかろうか。それを最近のギターコンサートはどうだ。1000人、1500人。下手をしたら2000人を超すホールで、何の音響的な補助も無くやろうとしている。そりゃあ土台無理ってもんだ。ましてやコンチェルトともなると、マイク無しでやった日にゃあ、ギター奏者がいくら頑張ったってチェロ1本にだってかなわない。あるギターコンチェルトの演奏を聴いたときなどは、オーケストラがものすごく音量を絞っていたので、幸い音量バランスはなんとか保っていたが、悲壮感が漂うくらいギターががなりたてていた割には、私の近くの人たちなどは「ギターってあんなに音が小さいの?」とその隣の人に訊いていたくらいだった。それでもそのコンサートのときはオケ側から、「音量は私達が加減するからPAは使わないで欲しい」と言われていたと聞いている。

そうなるとかわいそうなのは大枚払って聴きに来たお客さんということになりはしないか。オケが自分達の腕前を見せびらかすには良いかも知れないが、がなりたてざるをえなかったギタリストと聴きにきたお客さんはいい面の皮だ。
どうしてもう少しお客さんの立場に立って考えられないのだろう。
コンサートというのは(特にクラシックの)、お客さんに素晴しい音楽を聴いて楽しんでもらうのではなくて、演奏者が自己満足するために行うものとでも思っているんだろうか。

確かに従来のPAシステムはどちらかというと、原音再生とはいかず、ただ音を大きくするだけのものであった感がある。とても生の音とは言えないものがあった。音の出てくる方向も、どちらかといえばないがしろにされてきた。それでは確かにまずい。生の音とはかけ離れた大きな音が、演奏者とは違うところから聞こえてこられても、こっちとしては困ってしまう。そんなわけのわからないPA装置では、クラシックの演奏者や聴衆が受け入れてくれるはずがない。やはりクラシックの場合、程よく増幅された質のよい音が演奏者のところから聞こえてきてほしい。
しかし現代ではそんなことはその気になれば決して不可能ではない。特に最近ではPAを担当する人達が、アーティストと同じレベルの耳と感性を持ちさえすれば、技術的にはいくらでも可能となっている。多少PRじみて恐縮だが、私の提唱するMS デジタル PA(SR)システムはそんなPAを可能にするシステムだと自負している。

来ていただいたお客さんに、もっと充分満足して帰ってもらえるようなコンサートを積み重ねていかないと、いつまでたってもクラシックコンサートのファンは、ますます減少の一途をたどってしまうのではないかという気がしてならない。
クラシックといえども、ファンサービスが最も重要なんだということではないだろうか。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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