2006年9月15日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> ジョン・ウィリアムスの魔笛

 これも随分古いレコードになってしまうが、40年近く前に発売になったジョン・ウィリアムスのLP。ただそれまでジョンが出していた「CBSコロンビア」ではなく「CBSソニー」になってからの録音である。
この前にジョンはCBSソニー発足の第1弾として発売された数枚の中の1枚に、ロドリーゴの「ある貴神のための幻想曲」とステファン・ドッジソン作曲の「ギター協奏曲第1番」をチャールス・グローヴス指揮、イギリス室内管弦楽団のバックで出している。だからその後の発売ということになるが、恐らく1968年から70年ころではなかったかと思う。参考までにそのレコードの解説は若き松田二郎さんが書かれており、その松田二郎さんとジョン・ウィリアムスが並んで納まっている写真も出ているが、お二人とも若くてとてもスマートでいらっしゃって、なかなかの好青年ぶり。懐かしい限り。

 内容は①バッハ:シャコンヌ、②ダウランド:エリザベス女王のガリヤルド、③ダウランド:エセックス伯のガリアルド、パガニーニ:カプリス第24番、ジュリアーニ:ヘンデルの主題による変奏曲、ソル:モーツァルトの主題による変奏曲、以上である。
40年近く前ということになると、ジョンも20代半ばから後半の頃。楽器も恐らくまだイグナシオ・フレータを使っていたのではないだろうか。
演奏はいずれも繊細とは言い難いがダイナミックで見事な指さばき。粒の揃った音が機関銃のように出てくる。まったくもって淀むところなく、ばりばり弾きまくっているという感じがする。悪い言い方をすればルネサンスもバロックも古典も皆同じように聞こえてしまう。もう少し何とかならないものかと思えなくもないが、まあこれがこの頃のジョンの特徴と思えば、これもひとつの貴重な歴史的記録だと言える。

しかしそこでひとつ気がついたことがある。最後のソルの「魔笛の主題による変奏曲」において、私がいつも気になっている主題のメロディが切れていない。テーマに入ってから5小節目、1弦の7フレットの「シ」の音、これが切れていない。
これはいろんなギタリストが7フレットの「シ」の音の次、伴奏の「ミ」の音を同じ1弦で弾くために、当然のごとくメロディである「シ」の音が切れてしまい、まったく不自然極まりない。これは常々私が不思議に思っていたことで、セゴヴィア以下殆んどのギタリストが皆そのように弾いている。技術的に特別難しい訳ではない。①弦7フレット「シ」の音を左指1で押さえ、伴奏の「ミ」の音は③弦の9フレットを使い、左指3で押さえれば良い。なぜそうしないのか。
あきらかにジョンはこのレコードでそう弾いているように聞こえる。従ってメロディラインがはっきりとして、たいそう自然に聞こえるのだ。

ちなみに、ジョンの最初のデビューレコード、1958年12月、ジョンがまだ17歳の時の録音を聴き返してみた。やはり同じように①弦の旋律の音をしっかり切らずに残して弾いている。この時彼はまだセゴヴィアの庇護の元、全て教えられるがままに演奏しているのではと思っていたが、あにはからんや。このころから既に彼は師セゴヴィアに抵抗を示していたのかもしれぬ。確かにビデオで見た時のジョンの発言では、ジョンはその功績を認めながらも、セゴヴィアの音楽に関してはあまり高い評価をしていないようだった。悪く見れば、ちょっと小ばかにしているように見えなくもなかった。

いずれにしても2枚のLPにおけるジョンの魔笛は、主題に関しては大変理に適った自然な演奏をしている。(2回目の録音において、続く6小節目の主題旋律が大きく変更されていることについては種々ご意見もあろうかと思うが、クラシックギターの場合、作曲者よりも演奏者の方の才能が上回っていることも珍しくはないので、あまり目くじら立てることもなかろうと思い、ともかくこの場合の変更については私はよしとしている)とにかくいずれの演奏も淀みなく、旋律線も途切れることなく美しい。
ただ、普通はこの運指で演奏すると、①弦の「シ」の音も、③弦の「ミ」の音も、ともにジョンの演奏のようにははっきりとは出ず、モコモコとした曇った音になって、明瞭さに欠けることになりがちなので、楽器そのものの性能と、演奏者の腕前とが随分問われることになり、かえって難しいことになって困るかも知れない。充分音色のバランスを図って演奏する必要がある。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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