2006年7月15日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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ある日突然転勤を言い渡されると言うのはサラリーマンの常ですが、赴任地が海外、しかも地球の裏側にあるアルゼンチンとなると日頃持ち合わせている情報が殆どありません。皆さんもタンゴとマラドーナの国と言う事はご存知でしょうがそれ以外はあまりご存じないでしょう。

簡単にご紹介すると人口は3800万人(首都ブエノス・アイレスと近郊併せて約700万人)で面積は日本の約7.8倍もあるので人口密度は低く、北部には大草原パンパが広がり、南部は氷河もあるほど南北に長く延びています。人種は殆ど白人(イタリア系45%、スペイン系43%、その他欧州人8%)で他の中南米国の様に原住民(インディオ)や混血(メスティソ)は殆ど居ません。これは元々少なかったインディオ達を虐殺したり追いやったためと言います。
従ってブエノス・アイレスの街はまるでヨーロッパです。南米のパリとも言われるほどパリを真似て街づくりをしたとも言われています。

肥沃な土地が広がっているため農牧産物が豊富で世界が戦争をしていた第1次、第2次世界大戦では食料の輸出で豊かな国になったそうです。もともと鉱山資源が豊富でスペイン人は金銀をどんどん本国に輸出したそうです。そしてヨーロッパから大理石をどんどん輸入して立派な建造物をばんばん建てたそうです。20世紀初頭にはGDPが世界第7位にまでなったことがあると言うから驚きです。地下鉄の導入も早かったそうで60年以上も前に日本から地下鉄の調査団がアルゼンチンに視察に行った事があると聞きました。それだけ豊かなことが逆に工業化の遅れに繋がったと言われています。そして奢りが災いして20世紀後半は経済はどんどん下がる一方でハイパーインフレをもたらします。

80年代の超インフレ時代には毎日物価が上がって行ったそうで、こんな笑い話があります。『レストランで注文したら急いで食べろ。ゆっくり食べていると値段があがるぞ。』そんな大インフレで経済は破綻し、80年代は外国企業はどんどん引き上げて行ったそうで日系企業も銀行もどんどん引き上げて行きました。
救世主として現れたの89年に当選したメネム大統領。彼は自由開放経済政策を推進し、特に、91年4月のドル兌換法(1ドル=1ペソの固定相場制)導入によりハイパーインフレは収束。疲弊していた経済は少しずつ活性化して行きました。

そしてメルコスル(南米自由貿易圏)の話が出て、ヤマハも今が進出のチャンスと考えたんでしょう。先日のブログに書いたアルゼンチン転勤の話になる訳です。
なんだか今日は話が一歩も進まず過去からアルゼンチン赴任その1までになってしまいました。この続きはまた・・・。

山下 高博


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