<あれも聴きたい、これも聴きたい> 固定観念はこわいぞぉ
若い頃、そう、音楽に目覚めた多感な青春時代。
そんな時、初めて聴いたレコードやCDに感動して、いつまでもその演奏が一番良く聴こえるっちゅうことねえかい?あとから聴く他の演奏が、なーんだかしっくりこなくて、やっぱり最初に聴いたレコードが、自分の心に一番ぴったしきちまうってことが。ね?あるずら?
おいちゃんなんか以前はいっぱいあって、例えばベートーベンの交響曲第5番、そう、あの「運命」っちゅう曲。初めて聴いたのはブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団。もうテンポといい、強弱といい、歌い方といい、すべてに感動した。そのワルター指揮する「運命」の裏がシューベルトの未完成。これももうこれ以上ねえくれえの名演中の名演だから、「ええなあ」ちゅうて感動した。
それから以後、これまでに数限りなくこの曲の他の演奏は聴いてきた。レコードでもCDでも、また生の演奏でも何回も聴く機会はあった。しかし・・・、なーんかしっくりこねえのよ。昔、初めてワルターの演奏聴いた時みてえな感動がわいてこない。自分の頭の中のメモリーに、ワルターのその2曲の演奏が、完全にリファレンスとなって固定してしまっておった。
ドヴォルザークの「新世界より」なんていう曲なんかは、ジョージ・セルが指揮するクリーブランド管弦楽団で最初聴いちまった。そうするってえと、あとからどんな名演を聴いてもジョージ・セルの演奏には届かない。
ギターで言えば、アルハンブラの想い出なんかもそうや。当然、セゴヴィアの演奏を始めて聴いた。中学校のころよ。当時は、あの曲を録音しておる人は、そんなにいなかったもんやから、ずーとセゴヴィアの演奏しか聴いておらんかった。そして、あるとき、ジョン・ウィリアムスのアルハンブラを聴いた。するってえとどうだ。「なんという味気ない、機械的な演奏か」そう聴こえちまった。
アランフェス協奏曲はどうや。最初に聴いたのが、ジュリアン・ブリームのギター、コリン・デイビス指揮のレコード。当時はその他っていやあ、イエペスのものがあったけども、おいちゃんとしては、その時イエペスのものはまだ聴いておらんかった。世の中では聞いてみると、アランフェスはイエペスの演奏がピカイチというのが定説。しかし、あとでそのイエペスのアランフェスを手にいれて聴いてみるが、やっぱりどうもだめ。しっくりこない。なんだか作為的なような気がして、どうも好きになれん。
しかしだ、考えてみりゃあおかしいわ。自分が、初めて聴いた演奏がたまたまいつも一番の名演で、そのあとはみーんな2番手、3番手の演奏なんてこたぁあるわきゃあねえわな。今からいうと随分以前になるけども、あるとき、久しぶりにジョンのアルハンブラを聴いてみた。そしたらどうや。なかなかええんでないかい、っちゅうような感じで聴こえてきた。ふんふん、やっぱりええわぁ。ジョンはうまい。昔、冷たぁ感じたけども、今聴いてみりゃあ、なーんも冷たぁなんかない。
非常に端正ではあるが、テンポの取り方といい、音の強弱、歌わせ方、どれをとってもやっぱり一流中の一流じゃあねえか。
ベートーベンの運命なんかはどうや。カルロス・クライバーなんか聴いてみると、その白熱した演奏に、思わず手に汗にぎるっちゅう感じになる。
若いころのウォルフガング・サバリッシュの演奏の中にも、それにまけず劣らず白熱した演奏が残っておった。あまりに楽団員たちも興奮したのか、最終楽章の最後の最後なんかは音が揃わず、グジャグジャになってしまうが、それでもやっぱり感動させられる。
ドヴォルザークの「新世界より」はどうじゃってえと、今のところセルの演奏を越えるものにまだあたってはいねえけども、それでもラファエル・クーベリックなんかなかなかええなあ、ちゅうてうっとり聞き惚れることがある。
(セルも以前はオケにあまりにも厳格なアンサンブルを要求するので、世間からはオーケストラを弦楽四重奏のように演奏すると言われていたが、今聴き返してみると、言われていたような機械的な演奏ではなく、むしろこのように演奏してほしいという気がする)シューベルトの未完成なんかも、先ほど出たカルロス・クライバーがむちゃんこいい演奏をしておる。
こうしてみると、自分が信じ切っておった一番の名演ちゅうのも、要は青春の最も多感な時代に、衝撃的な感動を与えてくれたものだったっちゅうことに過ぎん。
人間ちゅうのは、こうして固定観念を固定観念とも思わず、信じちこんじまっとるんやろなあと、つくづく考えさせられてしまう。
「ああ、怖い怖い」
これから、あんまし人様にゃあ、偉そうなこと言わん方がええなあ。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)
| Trackback ( 0 )
|