2006年6月20日のブログ記事一覧-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



<あれも聴きたい、これも聴きたい> 何も知らなかったあの頃。
 
 大阪は、日本の歴史の中で担ってきた役割からいって、大変名所・旧跡といわれるものが近くに沢山ある。京都や奈良はもちろんのこと、天智天皇の大津宮がある滋賀県にも近い。楠木正成が足利尊氏に敗れて亡くなったのは大阪のほぼ隣、神戸である。またそんなことから、ある友人に聞くと、お隣の兵庫県には「城跡」なるものがなんと1000箇所もあるとのこと。友人は、その1000箇所全てを廻ると言って、ただいま550箇所達成したところだそうだ。
 興味のある方は、ぜひこのホームページを見てあげてください。
 過去に訪れた城跡が、実写の写真と共に紹介されています。
http://www.ne.jp/asahi/siro/tansaku/

その友人に案内してもらって、時々城跡探索に連れて行ってもらうことがあるが、元来歴史の好きな私にとっては、歴史に登場して馴染みのある城跡に行く時なんぞ、何百年前か、あるいは千何百年前、あのいにしえ人がこの同じ土の上を歩いたのかと思うと、なんとなくわくわくした思いに駆られてしまう。
 ことに近年私は古代の歴史にとても興味があり、あれこれと歴史書を買ってくるんだけども、この10年ほどは奈良や明日香に行く機会が多い。一番行くことが多いのは、どうしてもあの有名な大仏様のある東大寺ということだが、東大寺は大仏様だけではなく、3月になると「お水取り」という春の行事の行われる「二月堂」もあるし、国宝である日光菩薩像と月光菩薩像を納めた三月堂もある。大仏様をすっぽり覆うように建てられた大仏殿は、なんでも世界一の木造建築だそうで、前に立ってみるとその大きさに圧倒される。
このような大きな木造建築を建てたのも偉いが、その建物が今もって、柱などが腐りもしないで健在に立っていることが素晴しい。(もちろん、残念ながら創建当時のものではないが)

ところで、我々はこれら歴史的な建造物を見るとき、柱や壁、天井に至るまで、木や土などむき出しの、ほとんど無彩色といっていい状態で眺めているため、いかにも古臭いものを見るような感覚で見てしまう。
しかし創建当時といえば柱は朱色、壁には色とりどりの壁画が描かれ、いたるところに金箔をはりめぐらした、いわば極彩色の金ぴかであったはずだ。当然、建てた聖武天皇のころはといえば、庶民の生活の中にはそんな鮮やかな色などどこにもなく、それどころか「色」というものが、現代の我々からみればまったく乏しかったのではと思われる。
ペンキもなければプラスチックもない。印刷もなければ、当然写真も無い。だからこそ、自然の花や草のもつ素朴な「色」を何物にも替えがたく大切に思ったであろうし、その自然にある「色」を自分たちの着物など生活に何とかして取り入れたいと考えたのであろう。
生活の中で「色」というものが大変乏しかった当時の庶民たちが、初めて大仏様や大仏殿を見た時の感動はいかばかりであったろうと考えてみると、この世のものとは思われない極彩色の美しさに、おそらく度肝を抜かれ、ほとんど腰を抜かさんばかりであったであろうと想像できる。
まさに「極楽浄土」、皆目を見開き、仰ぎ見、またひれ伏したのであろう。
またそれゆえに、それらも極彩色である必要があったのであろう。
そう考えていくと、今我々が見ている大仏殿は、当時の民衆が見ていたものとはまったく違うお姿ということになる。

そこで、現在のような古い大仏殿もなかなかいいものだが、一度当時の民衆が仰ぎ見た、まばゆいばかりに光り輝く大仏殿を見てみたい。大仏様も、そのお姿全てが金箔で覆われていたのだから、そのような眩いお姿を見てみたいといつも思ってしまう。とにかく現在立っている寺などの建造物は、少なくとも色彩と言うことに関しては創建当時とはまったくといってよいほど異なっている。
当然ながら、当時の人達は、それ以後歴史に登場するものを全て知らない。
我々が歴史上知っている物を、当時の人達は、ほとんど知らないのである。
そんな、当時の人達と同じ気持ちで大仏様を見ることができたら、どんなに感動することだろう。

では音楽ではどうであろうか。
バッハの時代までさかのぼれば、今我々が知っている音楽のほとんどといっていいくらいのものが存在しないことになる。その当時の人達は、バッハの音楽をどう聴いたのだろう。その後、モーツァルトが現れたとき、当時の人達は、その音楽をどのように受け止めたであろうか。さぞかしベートーベンには面食らった人も多いのではないだろうか。きっと「音楽でそんなことまで表現していいのか?」といった疑問をみな抱いたのではないだろうか。

そういえば、自分も子供の頃、初めて聴いた音楽には今よりずっと驚き、感動したような気がする。ソルの魔笛を初めて聴いた時、びっくりするくらい感動した。
アルハンブラなんて、こんなにいい曲がこの世にあるとは信じがたいことであった。ヴィラ=ローボスを初めて聴いた時、その斬新な響きにわくわくさせられた。
バリオスの郷愁のショーロを初めて耳にした時、その甘く切ない旋律に、涙を流さんばかりに魂を揺さぶられた覚えがある。そんな曲が弾きたくて弾きたくて仕方がなかった。今でもそれらを聴かせてくれたギタリスト達をはっきり覚えている。
その当時に思いを馳せて、改めて聴いてみると、つくづく音楽に関わってきて良かったなあという感慨を覚える。
何もなかったころ、何も知らなかった頃に自分を置いてみることができると、新たな感動が味わえるということを、つい最近知った。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )