2006年4月16日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 村治 佳織スペシャルプロジェクト編

 東京築地にある浜離宮朝日ホールで、村治佳織スペシャルプロジェクトと称するコンサートが4日間連続で行われました。(実際には3月の9、10日に続き、4月の9、11、12、13日の6日間)
今回4月の11日と12日、コンサートの本番を聴かせてもらいましたが、最近やっと少しづつお馴染みになってきた富士通テンのスピーカーを使用したPA(SR)システムを、4月の4公演は全て使用していただけることになったので、そのセッティングのため、私は両日とも会場には随分早くから入りました。
今回のスペシャルプロジェクトは、9日と11日はギターソロ、ギターとチェロ、ギターとヴァイオリン、ギターと弦楽四重奏、12日と13日がギターとチェンバロ、またギターと能管(横笛、縦笛、リコーダーなど)と内容が多彩を極め、感想を一言で言うと、私が今まで経験したコンサートの中で、最もスリリングであり、しかも最も楽しめたコンサートでした。
まさに村治さんのお家に集まった、気の置けないお友達同士との一夜のお楽しみ会を、大画面を通して我々に垣間見せてくれているようなといったら、その雰囲気が少しは皆さんにも伝わるでしょうか。

前もって会場に送ってあったスピーカーイクリプスTD712zは、第2ヴァイオリンとヴィオラの中央少し前に位置する村治さんの真後ろ、ヴィオラ奏者よりもさらに後にセットされていて、前日9日の公演で、既に音量ボリュームはベストの状態にセットされていました。
音出しに入り、ポジションによる音の違いをチェックしたところ、今回のホールがどうも多分に響き過ぎのようだということに気が付きました。
しかも1階の中央あたり、通常は最も良いはずの席が一番響き過ぎで、音の明瞭さに難点があるのです。舞台上からこちらに話し掛けてくる声がはっきりと聞き取れません。ひょっとしたらそのあたりの席では、高い天井から帰ってくる音が、あまり減衰しないまま、後から発せられる音に重なって、聴き取り難くなっているのかも知れません。
2階席はどこもとても良くて、1階席であれば舞台近くか、あるいは後に下がれば下がるほど音量バランス、明瞭さ共に良くなるようなので、あとは会場に人が入って、適当に音を吸収してくれればと願いつつ試聴を継続。

さて本番はというと、まずギターソロでブローウェルのカンティクム、次にジナタリのチェロとギターのためのソナタ、そしてもう一度ブローウェルのギターと弦楽のための五重奏曲と続き、そこまでがプログラムの前半なのですが、もはや貫禄というか風格というか、そんな雰囲気さえ伝わってきます。過去日本で、これらの曲を、この完成度で、しかも生で聴かせられるギタリストやクァルテットを私は知りません。

後半はまたギターのソロ、今度は一変してジュリアーニの大序曲から。
一瞬ハッとする箇所もありましたが、そこはご愛嬌。ご本人は気に留める様子も無く前進、前進。もう飛ばす飛ばす。
こういった曲は、まさにこのようなビルトゥオジティを発揮した演奏であって欲しいし、200年前、作曲者ジュリアーニもこのような演奏で、聴衆からヤンヤの喝采を浴びたのではないでしょうか。そんな光景を彷彿とさせるような名演でした。
最後に加速度的に盛り上がりを見せて大団円。割れるような拍手の渦。そして会場からためいきが・・・・。
2曲目はパガニーニの有名なヴァイオリンとのデュオ、ソナタコンチェルタンテ。
ヴァイオリンの漆原啓子さんとのアンサンブルが見事。
そして今夜の白眉は、なんといってもテデスコのギター五重奏曲 作品143。
この曲はレコード、CDともに数多く出ていますが、私としては、生で聴くのは初めてなので、自然と期待が膨らみます。
曲が始まるやいなや、テデスコのネオロマネスクの世界が会場一杯に充満。
恐らく今まで自分の聴いたどのレコード、CDの演奏よりも格調高く、素晴しい表現力でもってテデスコの世界が繰り広げられていきます。
最後第4楽章フィナーレとなると、弦も乗りに乗ってますますヒートアップ。
普通であれば、ギターの音も弦の音に埋没してしまうであろうほど白熱した演奏。
しかし、そこはしっかりとイクリプスが支え、終わった瞬間、思わずこちらも息苦しいほどの興奮を覚えました。

明けて翌12日は、チェンバロの曽根麻矢子さんと能管の一噌幸弘さんを迎えての夕べ。まずヘンデルのフルート・ソナタをギターと能管で演奏。
和楽器のはずなのに、ヘンデルを聴かされても、何の違和感も感じないのは不思議。
次は曽根さんのチェンバロ独奏で、スカルラッティのソナタ ロ短調K.27/L449。このチェンバロがその外観と同様にとてもチャーミングな音を奏で、同じ發弦楽器でありながら、ギターとはまた違った魅力を会場一杯に振り撒きます。
まるで「天井から金粉が降ってくるような」とでも形容したらよいのでしょうか。
そして次にギターのソロで、同じスカルラッティのソナタ ホ長調K.380/L.23。オリジナルのチェンバロ奏者を前にして、わざわざギターに編曲されたスカルラッティを演奏。しかしこれもなんのなんの、とても編曲ものとは思わせないところがすごい。

そして今回のコンサートの最大のお楽しみでもあった、チェンバロとの協演で、ロドリーゴの「ある貴神のための幻想曲」。
聴いてみると、私としてはオーケストラよりも、このチェンバロの方に軍配を上げたくなるほどお二人の演奏は魅力的で、むしろこちらがオリジナルでも良いような気さえ。ガスパル・サンスの古風な旋律に、チェンバロの音色があまりにもに馴染み、当時を彷彿とさせる雰囲気が会場一杯にひろがります。
チェンバリスト「曽根麻矢子」さんの演奏に、会場はすっかり魅了されてしまいました。私も、村治佳織さんに続き、今回曽根さんにも魅せられてしまったわけで、またこれから自宅の棚にCDが増えていくことなりそうです。
いずれにしても、この組み合わせでぜひともCDを入れていただけないでしょうか、と願うばかり。

後半はスカルラッティの「ファンダンゴ(曽根麻矢子編曲)」とボッケリーニの「序奏とファンダンゴ(ブリーム編曲)」。スカルラッティとボッケリーニの一騎打ちであり、ギターとチェンバロの一騎打ちでもありますが、血湧き肉踊るとはこのことなんでしょうね。
最後は、ギターと田楽笛による、かつてスーパーギタートリオとして世間を沸かせた3人のスーパースターのうちの、アル・ディ・メオラとパコ・デ・ルシアによる「地中海の舞踏/広い河」、それにチャンバロが加わって「総田楽の舞」と「メトリエ」(いずれも笛の一噌幸弘作曲)。これはもう「和」にフラメンコとジャズをミックスしたような、そう和製ショーロのようなものかもしれない。
少し押さえたチェンバロに、ギターが自在にアドリブを連続(とても村治さんが演奏している通りに楽譜が書かれているとは思えない)。そしてそれに応えて何種類か持ち替えて(時には2本同時に吹くことも)超絶技巧を繰り広げる笛。
(村治さんが言った通り「一噌さんは本番になると神がかり的になる」)
恐らくここが日本でなかったら、聴衆皆立ち上がって踊りだすのではないかとさえ思われるほど熱のこもった、文字通りの競演。たまらなくスリリングで、しかもその楽しいこと楽しいこと。音楽とはかくあるべき、と思わせるひとときでした。

公演終了後、CDやプログラムにサインを求める人の列が延々と続き、全ての人にサインし終えるのに、ほとんど一時間近くを要したのではないでしょうか。
このような光景は、他のクラシックギターのコンサートでは見たことがありませんが、ここでどうしても私がお話しせずにはいられないことがあるので、それを最後に一言。
それは、私がここ何回かのお付き合いの中で明らかになってきた、村治佳織さんの才能をここまで開花させたご両親の愛情と、それに応えた村治さんご本人の絶えまぬ努力。
それと、コンサートを影で支えるアシスタント、宮城さんの献身的な努力。
そしてこれほどの素晴しいプロジェクトを成功へと導いた、村治さんの所属事務所であるムジカキアラ社長土屋さんの、素晴しい人間性と経営者としての才能、さらに芸術的センス。
他に例を見ることのないこれらのコラボレーションが、今回のプロジェクトを大成功に導いたのだと確信したことです。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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