さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

あっという間

2008-08-19 23:59:59 | Tuesday 病院
 一作業、一手洗い。

 仕事のときは、一回何かするごとに、かならず手洗いかアルコールをシュッと吹きかける。
(おかげさまで、手は荒れる。
 だから、Nsには、ハンドクリームを使う人が多い


       ***************


 火曜、すなわち、夏休み 1)明けの最初の夜勤明け 2)の日、手洗いをしたり、アルコールをシュッと吹きかけたり、家に帰ってシャワーを浴びるとき、手がしみていた。
 入院したばかりの、ある90台後半のおばあちゃんの引っかき傷。彼女に何度も叩かれて、最初は腕も真っ赤っか。
 そんなおばあちゃんは、動くたびに、ハアハアハアと息切れしている。・・・だから、おとなしくしてくださいってば・・・なんたって、SpO2 3)が酸素をしていても70%しかないんですから


                         


 その間質性肺炎 4)のおばあちゃん、一応、色々手を尽くして安静にしてもらった後には、一時(いっとき)、最高SpO2が95%になった。そのあと、体位変換 5)したときに、ややうすピンクのような泡沫状の痰がどぱっと出た。(この痰が出るのは・・・・相当ヤバイ)実際、そのあと、SpO2が33%近辺をうろちょろ。酸素の量を上げても、40~50%台。家族の人が来て、やっと、50~60台 6)。BP 7)はね、取れていたんですが。


                         


 
            そして、朝を迎えた。



                          



 朝、まだSpO2が50台とかなのに(相当苦しいだろうに!)、薬が切れてくると、おばあちゃんは子供や孫達とおしゃべりしたり、握手をしたりしていた。11時頃帰ったときもそのままだった。


                          


 そして、夜、病棟スタッフが集まったときに、午後亡くなったことを聞いた。

 まだ、私の手は彼女の引っかき傷のせいで少ししみたり、かさぶたになったりしているのに、


            その人はいなくなった。



 
      *****************



 本日のひとこと。


    『私たちの齢(よわい)は70年。
     健(すこ)やかであっても80年。
     しかも、その誇りとするところは
     労苦(ろうく)とわざわいです。
     それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

     だれが御怒りの力を知っているでしょう。
     だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。
     その恐れにふさわしく。

     それゆえ、私たちに
     自分の日を正しく数えることを教えてください。
     そうして私たちに
     知恵の心を得(え)させてください。』

                     (旧約聖書・詩篇90篇10-12節)





                  



【注】
1)実は、今の職場は夏休み休暇がない!!・・・のだが、今いる病棟のスタッフは優しいおかげで、皆交互に3~5日程度休みを取れる。ほんとは、有休を1日でも使いたかったが、、、私も含めて、実は何人かは今月公休さえ消化できていない

2)夜勤明け:2交代の夜勤なので、2日にまたがる。夜勤入りの日は、遅くても15時半頃には病棟に入り、たいてい仕事が終わるのは、次の日の10時半過ぎ。最近は、入院+急変(&ステルベン)に重なってしまうことが多いため、昼の12時過ぎになることもあるけれど・・・

3)SpO2:動脈血酸素飽和度(サチュレーション)のことで、簡単には、「体の中の酸素の濃度」、「酸素とヘモグロビンの結合の様子を示している数字」のこと。フツウは97~100%。
     また、この数字がそのまま体内の動脈の酸素分圧(PaO2。動脈血を採ってわかる値)ではなく、
     SpO2  97 → PaO2 91
          91 →     61
          90 →     59
          85 →     50
   という感じになる。

   だから、SpO2が70%台ということは、実際には血液の中の酸素は半分もないし、33%とか27%とかに至っては・・・人の生きている数字じゃない


4)肺炎は肺炎でも・・・間質性肺炎は、コワイです。治りにくいし、急変しやすいし

5)体位変換:からだの向きを変えること。
       じょく創(=床ずれ)ができないよう、自分で身体を動かせない人には、2~3時間に1回は必ず行う。

6)亡くなりそうなときでも、家族の人が来ると、一時良くなることもある。まったく言葉などで反応を返せなくても、脈拍が戻ってきたり・・・ちなみに、聴覚は最後まで残っているらしい
だから、お願い。聞いていないと思って、葬儀屋さんや遺産相続、はたまた「自分のこと、自分でできないなんて・・・帰ってきてもらっちゃこまるなぁ」なんて、絶対、その人の近くで言わないでください


7)BP:血圧のこと。

  (あ、雀Ns様、「帰ったらすぐわかる」と言っていた件、教えてください) 

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夜行バス

2008-08-14 07:58:24 | Thursday 生活
(どうでもいい話)

 ドリーム政宗号って、観光バス仕様だったのかと、本日知った。加えて、新宿深南口の待合室には発車10分前でないと入れないため、路上にたむろっている人の多いこと。

 そういうわけで、夜行バス横4席ずつだったが、まずまず眠れた。
 PETボトル&タオルを首の後ろにし、加圧式ソックスを履き、バスについている毛布を腰当てにすると、それなりに快適。リクライニングも、ムーンライトえちごに比べたら、きちんと横になってくれると実感。アイマスクをしなくても、バスの場合は暗くなるからすとんと眠れた。
 ちなみに、ムーンライトえちご(新宿⇔新潟、青春18切符使用可能)の場合は、それに比べてかなり明るいからアイマスクはもっておいたほうがいい。



        ***************


 久しぶりの仙台。懐かしい東口に5:30頃着。お世話になった、あそこから「文理」の2文字が消えたのが、ちょっと哀しい。

 せっかくだからと、仙台にあるキリスト集会所目指して、てけてけと歩いてみた(土地が与えられて、新集会所が建ってからは、まだ来ていなかった)。確か、予備校通り 1)をまっすぐ…昔は北へ行けばよかったが、新しいところは南だったよな・・・とずんずん歩くが、おかしい、見当たらない。
 頭の中のおぼろげな地図を開いてみて、そのもうひとつ隣の通りだったかな、と行ってみると、お、見つけました(これで、今度来るときも、案内なくても大丈夫)。


     ****************


 早朝着いたら、シャワーでも浴びてE-Beans裏にある朝市 2)に行こうかと思っていたが、そもそもシャワーあと10人待ちと言われ、シャワーは断念(ふぅ・・・家のお風呂が直ったおかげで、出る前に浴びておけて良かった)。

 このあと、お昼には盛岡で友人と落ち合い、滝沢駅で家族に拾ってもらう予定。懐かしい面々と会えるのが楽しみ。明日の天気はどうなるだろ。(そういや、誰だ、昨年のキャンプで「一番楽しかったことは?」と聞かれて、

              「ハイキングとバイキング!」


 と言った輩は



 さてさて、夕食は・・・ハンバーグ、あじの塩焼き、煮物、キャベツのナムルに…
 ともかく皆の顔を見れるのが楽しみ。



 それにしても、休みが取れて、ほんと助かりました。職場の方々にもほんと感謝 3)。
 



【注】
1)仙台駅東口の、河合塾(元・河合塾文理)、代々木ゼミナール、駿台が並んでいる通りのこと。

2)夕方5時までやっている、朝市。

3)休暇希望が3人重なったら、希望が取れないくらいのきびしい状況故

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造り主

2008-08-03 23:59:59 | Sunday 聖書
 

   『家は凡(すべ)て 之(これ)を造(つく)る者あり、

    萬(よろづ)の物を 造(つく)り給(たま)ひし者は 神なり。』


                   (新約聖書・ヘブル人への手紙3章3節、文語訳)




                                               


 家が建てられるとき、
 まず測られ、材料が運ばれ、建てられる。
 むろん、そこには設計者がいて、大工さんもいる。
(専門ではないから、こまかいことはワカリマセン


 もし、このとき、大工さんもおらず、材料もなく、何もないのに、急に次の日家が建っていたら、かなり可笑しい。
(『靴屋の小人』じゃあるまいし
 ド素人だって、それはわかる。
 もちろん、あなただって「ありえない」と笑うだろう














 
 が、それ以上に、難しいこの世界の成り立ちにいたっては、
 逆に、設計者もなく、造る人もいないと考えるのは、どうしてなんだろう。
 もちろん、人にはできないさ。
 この、時間も、空間も、木も緑も、水も空も大地も、この肉体も。
 造るなんざ、とうていできない。
 人は、その方を全能なる神と言い、創造主、造り主(ぬし)とも呼ぶ。

 (最近、なんだかよくわからないカタカナ語も言われていたっけ。クリスチャンでない方々から。科学者のだれさんだったっけ・・・もちろん、その方々は、聖書に示されている“神”が、本当に、この宇宙を創った存在であるとは信じていないが、何かがこの世界を創ったんだろうとしか考えられないと、言っていたっけ ←ごめん、今思い出せない




    *****************





 そうそう、また、人が家を建てるということと、この世界を創るということを同列に扱えるか、といっていたが、
 そもそも、人には、理解できる範疇と、範疇外がある。


 そして、人に理解できないことを、神様は示されないと、私は思う。
 (もし、理解できないことであるならば、私達に責任はない。)


 だから、家を建てるということになぞらえて、この世界を創ったお方がいるのだ、と示されてもいると思う。





 だから、もし、そうである(=ほんと~~~~~~~~~~~~に、神様がいらっしゃる)ならば、その警告は無視しないほうがいいんじゃないか、と
 思う(というか、無視しないでほしいと思うんだ)。



 むろん、すべては、死んでから、もしくは、イエス・キリストが再臨するときでなければ・・・わからない(いや~~~、そもそも、ありえないっしょ)と考えているかもしれないけれど。 














 私たちは、神様の御手のわざの、
 太陽や月や星々を眺めている。






              
コメント (11)
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