さすらうキャベツの見聞記

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造り主

2008-08-03 23:59:59 | Sunday 聖書
 

   『家は凡(すべ)て 之(これ)を造(つく)る者あり、

    萬(よろづ)の物を 造(つく)り給(たま)ひし者は 神なり。』


                   (新約聖書・ヘブル人への手紙3章3節、文語訳)




                                               


 家が建てられるとき、
 まず測られ、材料が運ばれ、建てられる。
 むろん、そこには設計者がいて、大工さんもいる。
(専門ではないから、こまかいことはワカリマセン


 もし、このとき、大工さんもおらず、材料もなく、何もないのに、急に次の日家が建っていたら、かなり可笑しい。
(『靴屋の小人』じゃあるまいし
 ド素人だって、それはわかる。
 もちろん、あなただって「ありえない」と笑うだろう














 
 が、それ以上に、難しいこの世界の成り立ちにいたっては、
 逆に、設計者もなく、造る人もいないと考えるのは、どうしてなんだろう。
 もちろん、人にはできないさ。
 この、時間も、空間も、木も緑も、水も空も大地も、この肉体も。
 造るなんざ、とうていできない。
 人は、その方を全能なる神と言い、創造主、造り主(ぬし)とも呼ぶ。

 (最近、なんだかよくわからないカタカナ語も言われていたっけ。クリスチャンでない方々から。科学者のだれさんだったっけ・・・もちろん、その方々は、聖書に示されている“神”が、本当に、この宇宙を創った存在であるとは信じていないが、何かがこの世界を創ったんだろうとしか考えられないと、言っていたっけ ←ごめん、今思い出せない




    *****************





 そうそう、また、人が家を建てるということと、この世界を創るということを同列に扱えるか、といっていたが、
 そもそも、人には、理解できる範疇と、範疇外がある。


 そして、人に理解できないことを、神様は示されないと、私は思う。
 (もし、理解できないことであるならば、私達に責任はない。)


 だから、家を建てるということになぞらえて、この世界を創ったお方がいるのだ、と示されてもいると思う。





 だから、もし、そうである(=ほんと~~~~~~~~~~~~に、神様がいらっしゃる)ならば、その警告は無視しないほうがいいんじゃないか、と
 思う(というか、無視しないでほしいと思うんだ)。



 むろん、すべては、死んでから、もしくは、イエス・キリストが再臨するときでなければ・・・わからない(いや~~~、そもそも、ありえないっしょ)と考えているかもしれないけれど。 














 私たちは、神様の御手のわざの、
 太陽や月や星々を眺めている。






              
コメント (11)
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