昔から毎年1月の成人の日には、東京にてD京町キリスト集会主催の特別学び会がある。
そして、今年のそれは、良かった。
特に、日曜日の夜のプレが。
そこで、その日来ていなかった人たちに、キャベツはどういう内容だったかを話した(もちろん、キャベツVersionである)。
すると、ある箇所に触れたとき、面白い反応をする者がいた。
それは、マタイ7章3-5節である。
それぞれ、うんうんと聴き入っていた者のうち、ひとりが、急に、目をぴかぴかっと大きく見開いて、こちらを見て、笑顔で大きくうなずいたのだ。
私が苦笑いをして、他の者が、「どうかした?」と聞くと、その大きく目を見開いた者が、
「この聖書のことばをきいたときの、一番効果的な聴き方は、ね」
と言った。
「おお、なるほど」
そうして、残りの者も、笑顔で、目を大きく見開き、私のことばに、うんうんと大きくうなずいた。
そうだ、その通りだ。その通りだ。然り、然り、アーメン!!
そんな声が、聴こえてきそうだ。
反応の良さに、「おいおい」、と私は苦笑した。
「私だからいいが、もし、これが、他の人だったら、大変だぞ(苦笑)」
***************
考えてもみてください。
あなた自身が、右斜め45度を向いて目を閉じていたり、上方30度以上upに視線を固定していたり、空気に向かって話しているならともかく、もし、あなたが人に伝えようとしているならば。
もし、この聖句を言った途端、話を聴いていた人々が、急に顔を上げ、目をらんらんと見開き、意味ありげに うんうんとうなずいて、期待を込めて、あなたを見ているとしたら―。
これが、何十個の眼であろうと、何百個の眼であろうと、ドキッとしてしまいそうではありませんか?
そして、今年のそれは、良かった。
特に、日曜日の夜のプレが。
そこで、その日来ていなかった人たちに、キャベツはどういう内容だったかを話した(もちろん、キャベツVersionである)。
すると、ある箇所に触れたとき、面白い反応をする者がいた。
それは、マタイ7章3-5節である。
それぞれ、うんうんと聴き入っていた者のうち、ひとりが、急に、目をぴかぴかっと大きく見開いて、こちらを見て、笑顔で大きくうなずいたのだ。
私が苦笑いをして、他の者が、「どうかした?」と聞くと、その大きく目を見開いた者が、
「この聖書のことばをきいたときの、一番効果的な聴き方は、ね」
と言った。
「こうして、目をかぱっと大きく開いて、
相手の眼をしっかりと見て、
大きく、うなずくことなんだよ」
相手の眼をしっかりと見て、
大きく、うなずくことなんだよ」
「おお、なるほど」
そうして、残りの者も、笑顔で、目を大きく見開き、私のことばに、うんうんと大きくうなずいた。
そうだ、その通りだ。その通りだ。然り、然り、アーメン!!
そんな声が、聴こえてきそうだ。
反応の良さに、「おいおい」、と私は苦笑した。
「私だからいいが、もし、これが、他の人だったら、大変だぞ(苦笑)」
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考えてもみてください。
あなた自身が、右斜め45度を向いて目を閉じていたり、上方30度以上upに視線を固定していたり、空気に向かって話しているならともかく、もし、あなたが人に伝えようとしているならば。
もし、この聖句を言った途端、話を聴いていた人々が、急に顔を上げ、目をらんらんと見開き、意味ありげに うんうんとうなずいて、期待を込めて、あなたを見ているとしたら―。
これが、何十個の眼であろうと、何百個の眼であろうと、ドキッとしてしまいそうではありませんか?
『なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、
自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。
見なさい、自分の目には梁(はり)があるではありませんか。
偽善者たち。
まず自分の目から梁(はり)を取りのけなさい。
そうすれば、はっきり見えて、
兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。』
(新約聖書・マタイの福音書 7章3-5)
自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。
見なさい、自分の目には梁(はり)があるではありませんか。
偽善者たち。
まず自分の目から梁(はり)を取りのけなさい。
そうすれば、はっきり見えて、
兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。』
(新約聖書・マタイの福音書 7章3-5)