さすらうキャベツの見聞記

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大地震と原発:避難警告メモ

2011-04-21 22:14:24 | Friday -news-
(ニュースメモです。
 皆様、一生懸命やっていると思います。
 少なくとも、私は今その渦中で何かを行えるわけではないので、ありがたく思っています。

 ただ、確認もせずに「大丈夫です」なんて言おうものなら・・・
 「安全、大丈夫と言っている根拠は何!!?」と、医療業界では先輩方にまず詰問されますし、

 信用されなくなります…

 あのとき「安全です、大丈夫です」と言っていたのは、何だったのか、と。
 IAEAの進言も無視して「大丈夫」と宣言したのは、どういう理由によるのか、と





 それに、そこで生活を営んでいた人たちがいるんです…


     ***************


事故直後 米、50キロ圏内退避進言 政府、検証できず否定(産経新聞) 2011年4月16日(土)08:00


 東京電力福島第1原子力発電所の事故直後の3月中旬、米政府が日本政府に対し、独自のデータ分析に基づき、原発の半径50キロ圏内からの退避を進言していたことが15日、分かった。日本側は検証不足を理由に進言を否定、最大でも30キロ圏内の屋内退避指示にとどめた。

 しかし、50キロ圏内には4月11日になって計画的避難区域に設定された福島県飯舘村なども含まれ、結果的に米側の進言が適切だったことになる。

 米軍は震災発生翌日の3月12日以降、グアムから無人偵察機グローバルホークを第1原発上空に展開。建屋が損壊した原発内部を撮影し、温度測定も行った。

 日本政府筋によると、米側は原発から半径50キロ圏内は放射性物質による健康への影響が高くなる恐れがあると判断。同時に原子炉が爆発した場合でも、100キロ圏外には大きな影響はないと分析し、17日のオバマ大統領と菅直人首相の電話会談や、19日のルース駐日米大使と首相の会談などで懸念を伝えたとみられる。

 だが、日本側は米側の分析結果を独自に検証する能力がなく、進言だけを根拠に避難指示の範囲変更を決めることができなかった。

 日本政府は震災当日夜、半径3キロ圏内は退避、3~10キロ圏内は屋内退避を指示したが、
     事態の悪化に伴い、
 10キロ圏内の退避(3月12日)、
 20キロ圏内の退避(同日)、
 20~30キロ圏内の屋内退避(同15日)と範囲を次々と拡大。
枝野幸男官房長官は4月11日の記者会見で、約40キロ離れた飯舘村や葛尾村など5自治体を計画的避難区域に設定、1カ月後をめどに避難を実施すると発表した。

 飯舘村については国際原子力機関(IAEA)が3月30日、村内の土壌でIAEAの避難基準を上回る高い数値の放射性物質を検出したと発表。結果として、事態は米側やIAEAが懸念した通りの展開となった。

 ルース大使は3月17日に在日米国人の第1原発から80キロ圏外への避難を勧告した。米国務省は14日も「依然状況は深刻で、不測の事態が起こりかねない」と発表するなど、80キロ圏内の避難勧告を維持している。

                   ◇

 ■東日本大震災の被害

 死者    13591

 行方不明者 14497

 負傷者    4916

 (15日午後7時現在、警察庁まとめ)



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 ただし、ひとつ申し上げさせていただくと…

3月16日時点の国内で発表されている数値だけでもすでに、

「…今、私(武田)は少し動揺している.

  もし文部科学省が16日に発表した値が正しく、私の計算があっていれば、
  政府は直ちに浪江町の人をもっと遠く(風上)に待避させる必要があるからだ。

  でも、まったくその気配はない.なぜなのか?

  私の計算が間違っているのか? それでは浪江町の少し南の人はどうなのだろうか? たとえばある地点で測定してみるとその3分の1の100マイクロシーベルトのところに住んでいる人は、3ヶ月住むと白血病になる.子供はさらに早いかも知れない。

  もう一度、慎重に考えてみる.もしこの計算が本当なら大変だが、どこかに間違いがあることを願う.…」


 
 と、中部大学の武田邦彦教授などからの警鐘もなされていた。



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「帰宅に罰則なんて」…警戒区域に避難者困惑
読売新聞2011年4月21日(木)15:04

 福島第一原発の20キロ圏内を新たに「警戒区域」とし、住民の立ち入りを制限するとした21日の政府の発表に、対象となる福島県の避難者からは「条件が厳しすぎる」「いつ立ち入れるのか」と困惑する声が相次いだ。

 自宅に自由に戻れなくなり、罰則規定も設けられるだけに、「帰宅するだけで罰せられるなんて」と嘆く声も漏れる。

 「1世帯1人に絞り、持ち出し品は必要最小限。在宅時間は最大2時間」。枝野官房長官は21日午前の記者会見で立ち入りについてこう述べ、「安全確保に万全を尽くし、早期に実施する」と強調した。

 福島県田村市の避難所で暮らす同県大熊町の建設業泉田美和さん(58)の自宅は、福島第一原発から約10キロ離れている。一時帰宅の条件について「家財道具の持ち出しには1世帯1人じゃ、なんともなんねえ。神経質になりすぎじゃねえか」と不満を口にした。



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牛に「ごめん」20km圏最後の日
(毎日新聞 - 04月21日 21:23)

  「一時帰宅はどこまで認められるのか」「放射線量が高いのに大丈夫なのか」。
  福島第1原発の20キロ圏内を22日午前0時から立ち入り禁止にするとの21日の政府発表を受け、福島県内外で避難生活を送る約7万8000人の住民に大きな波紋が広がった。一時帰宅への期待が高まる一方、やり残したことを「最後の1日」で済ませようと圏内を行き来する人の動きも目立った。原発事故の影響は圏内で暮らしていた約7万8000人の営みを翻弄(ほんろう)し続けている。 

 ◇楢葉町牧場主

 同県楢葉町の蛭田(ひるた)牧場。20キロ圏外のいわき市に避難している経営者の蛭田博章さん(42)は21日、約130頭の牛たちに最後の餌を与えた。強制力のない「避難指示」の段階では、3日に1回のペースで餌やりのため牧場に入っていたが、22日午前0時以降は不可能になる。蛭田さんは「何もしてやれず、ごめん」と牛たちにわびた。

 この日、蛭田さんが干し草を積んだトラックで到着すると、エンジン音を聞いた牛舎からは一斉に鳴き声が起きた。まず飲み水を与え、次に干し草を一列に並べると牛たちは我先にと食べ始めた。与えたのは1日分。牛が飲まず食わずで生きられるのは約1カ月が限度という。

 子牛の牛舎を見ると生後3カ月の雌牛が栄養不足で死んでおり、別の1頭が絶えそうな息で横たわっていた。蛭田さんは重機で掘った穴に死んだ子牛を埋め、瀕死(ひんし)の子牛の背中をずっと、なでた。「ごめんな、ごめんな」。涙が止まらなかった。

 立ち入りが禁止される今回の事態を前に、牛舎から牛を解き放とうと何度も悩んだが、近所迷惑になると考え、思いとどまった。最後の世話を終えた蛭田さんは「一頭でも生かしてやりたかったけど、もう無理みたいです。次に来るときは野垂れ死にしている牛たちを見るのでしょう。つらいです」。それ以上、言葉が続かなかった。【袴田貴行】~略~
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