(ジャン・フランソワ・ミレー『種を蒔く人』(1850年))
『イサクはその地に種を蒔き、
その年に百倍の収穫を見た。
主(しゅ)は彼を祝福された。』
(旧約聖書・創世記 26章12節、新改訳2017)
Then Isaac sowed in that land,
and reaped in the same year a hundredfold;
and the Lord blessed him.
(Genesis 26:12, NKJV)
『彼らは言った。
「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに見ました。…」』
(同上 26章28節)
But they said,
“We have certainly seen that the LORD is with you. So…
(Genesis 26:28)
アブラハムの息子イサクが、飢饉(ききん)のため別の地方に住むよう、主(=神様)から言われて移住していたある年。
イサクの土地は、100倍の実りがあったという。
それは「神様が祝福してくださった!」と自他ともに認める程だった。
それも、妬んで、その後、イサクを追い出した人々がわざわざ訪ねて、平和の誓いを結びたがるほどに。
今の日本では、そういう現象が起こったとき、「運が良い」とか、「神(かみ)ってる」と言うだろうか。
先日、トンガで大噴火が起こった。ひょっとすると、今後、数年の間、食糧難が起こるかもしれない。
だが、そのような中でも、神様が私たちを祝福してくださって、自分たちも周囲の人々も、神様に感謝することができますように。