それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス8

2012-09-18 21:00:43 | ツクリバナシ
トレーニングが始まってから4か月が経ったころ、タカシは交換留学にするのか、それとも大学院留学にするのか決めかねていた。

交換留学の締切はもう迫っている。英語の試験、成績書類、学内選抜などなど、色々やることがある。

大学院に進むとなると、急に準備はゆっくりになる。卒業してから向こうの大学院に入るまで、通常、何か月かずれる。あっちは秋に初年度が始まるからだ。

タカシはT先輩に相談した。もちろん、これも英語で。

「交換留学か、大学院留学かで迷っています。」

「すべての決断はね、自らしなくてはいけない。まず、この点を忘れないようにね。

選ぶにあたって何が違ってくると思う?」

「必要なお金、ですかね。」

「それはとても大事な点だ。ほかには?」

「うーん。就職活動のタイミングとかですかね。」

「それ以外にはあるかな?」

T先輩はとにかくすぐに自分の考えを言わない。タカシの考えをすべて吐き出させる。しかも、その上で質問を重ね、タカシの考えをもう一歩、深くさせようとする。

「当たり前ですが、キャリアが変わってきます。院卒になりますから。」

「うん。そうだね。大学院と学部では生徒に要求するものが違う。教育がかなり違ってくるんだ。」

「はい。」

「イギリスの大学院一般で言うと、社会人経験者が非常に多い。そういう人たちは大学院で、自分たちの経験を利用しながら研究をするんだ。イギリスはその受け入れ態勢がしっかりできている。日本はあまり出来ていない。

もちろん、新卒の生徒も沢山いる。しかし、彼らも一般教養ではなく、非常に専門的な教育を受け、研究することになる。

これに対して、学部はかなり性質を異にする。言うまでもなく若い生徒がほとんどで、専門教育よりは一般教養寄りだと言っていい。」

「なるほど。」

「という難しい話もいいが、もう少し感覚的な話をしようか。」

「はい・・・?」

T先輩はいつものにやにやを浮かべながら、椅子から立ち上がり、ホワイトボードに向かった。



「イギリスの場合、学部生は動物だ。」

「え?」

「彼らはとんでもなく理性の使えない生き物だ。名の知れた大学でも間違いなくそうだ。

日本の大学も同じようなものだが、どういうわけか海外に行くと、余計にそう感じる。

彼らは寝ないで勉強したかと思えば、酒にクスリにパーティにクラブ。とんでもないお祭り騒ぎを何度も体験する。」

タカシは、酒以外、全部知らないことばかりだなと思った。

「英語が出来ないから、その分、気を使ってくれるなどという甘ったれたことは大抵許されない。

人間としてつまらなければ無視される。

僕もイギリスで沢山の学部生の子たちに出会った。それはもう刺激的な経験ばかりだった。」

タカシは急に怖くなった。

「だが、鍛えられるよ。それに後生大事にしたくなるような思い出話しが沢山できるだろう。」

「はぁ・・・。」

「大学院では、留学生は基本的に守られている。そもそもイギリスの場合、大学院生のほとんどが留学生で、仲間が沢山いる。大人が多く、コミュニケーションも比較的楽だ。皆、人間なのだ。理性が使える。」

「じゃあ、大学院の方がいいんですかねぇ。」

「いや、そうじゃない。交換留学は正規の学部生ではないから、より自由だ。単位はもちろん必要だろうが、大学院ほどタイトなスケジュールではない。要求されるレポートのレベルも異なる。だから、勉強の面ではややハードルが低い。」

T先輩は、ホワイトボードに向かったものの、所在なげに佇んでいる。たまに行動がおかしいのが特徴だ。

「じゃあ、どっちがいいんですかねぇ。」

「君が留学に何を求めているか、だよ。何か特別に勉強したいことはあるか、将来つきたい仕事と結びつくか、それともただ単に世界を広げたいのか。

さらに言えば、いつ就職し、結婚したいのか、とかもあるね。」

「先輩・・・」

「なんだね?」

「迷っています。」

「そうだろうねぇ。じゃあ、この話はおしまい。」

「え?まだ僕は迷っています。」

T先輩はくすくすと笑った。

「知ってる。でもね。最初に言ったでしょ。決めるのは君なんだよ。

データが無いなかでも、人間は決める時は決めなくてはいけない。

大事なことはね。君の意志の力を高めることだよ。

心を挫くようなことが、留学をする前も、している最中も沢山起こるだろう。

びっくりするほど、山ほどね。

でもね、そのことに心を支配されないようにするんだ。

支配されてしまったら、自分を見失う。留学ではそれが命取りになる。

君は自分の心をいつでも君の支配下に置くための技術と力を少しずつ磨いていく必要がある。

モノを決めることは、その力を磨くために必要なことなんだよ。」

T先輩は自分の胸のあたりに手をやりつつ、したり顔を押し殺した奇妙な表情になった。その格好はとてもダサかった。

思わずタカシは「ぷぅ」と吹いてしまった。

T先輩は少し気まずそうな顔をして、佇んでいた。

そして、いつものレッスンがまた始まるのだった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿