それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

NHK「ドキュメント72時間 年末スペシャル」:僕らは社会を口にする、何も分かっていないのに

2014-12-29 20:52:31 | テレビとラジオ
ドキュメント72時間が面白い、という話をよく耳にする。

私もたまーに見るのだが、何しろ、この番組は腹に力を入れないと、感情を持って行かれてしまう。

ドキュメント72時間は、日本のある場所(例えば、空港)に72時間張り付いて、そこに来た人に来た理由などを聞くという番組だ。

発想は非常に古典的だが、内容はとても新しい。



一般の人をテレビに登場させる番組は凡百あるが、この番組はやや趣を異にする。

例えば、日本テレビ「所さんの笑ってコラえて」では、市井の人が登場して、その面白いコメントや言動がピックアップされたり、あるいは、隠れた偉業が紹介されたりする。

NHK「鶴瓶の家族に乾杯」では、地方の人間のネットワークに入って、そこでの交流を描写する。

こうした一般人紹介番組は、基本的に人生のプラスの面だけを映す。

それは言うまでもなく悪いことではない。

テレビを見るのは気晴らしであり、心を軽くしたいからだ。

だから、人生の機微をそこから学ぼうとか、感じ取ろうとかは思わない。



だが、それだけでは満足しないのが人間でもある。

小説を読み、映画を観たりする。

物語で泣きたい、という気持ちは人間の本能だろう。

そこまで行かなくても、人間が生きている様子を感じたいという欲求が多かれ少なかれ、人にあるものだ。

ドキュメント72時間は、そのニーズに応える。

この番組では、出会う人の人生の一場面は、必ずしもハッピーなものではないことが多い。

何かに耐え、戦い、苦闘し、一歩前に進もうとする人々の姿が何度も映し出される。

安易な解答がない問題。

それが視聴者に突きつけられるかのようだ。

番組のナレーションは、良くも悪くも、画面に映る人の感想を少しだけ漏らす。

「でも、なんだか幸せそうだ。」とか、「これから、どうするんだろう。」とか。

はっきり言って、余計なお世話だ。時にはノイズでさえある。

しかし、である。視聴者にとっては、これが救いでもあるのだ。もしも、これにまったく感想も何もない無機質なナレーションだけだったら、かなり耐え難い番組になるだろう。

この結構ハードなドキュメンタリーが一挙9本放送された。

まあ、何とヘビーなこと。



私は思う。

社会科学は本当に人間に向いているのか、と。

勉強し、研究すれば、何がしか分かったような気になる。

だから、研究者は何かを知っているかのように偉そうに話をする。

研究者だけではない。誰もが日本社会に生きているなかで、社会を知った気になる。

働きだして、色々な人と会って、世界が広がって何か分かった気になる。

だが、ドキュメント72時間を見ると、そうした物知り顔が本当に物知りから来ているのか、どうなのか、疑問に思えてくる。

学者がそれらしい名前をつけて、それらしい構造を析出してみせるだけでは、社会に向き合っていることにはならない。

研究者ではなくても、人間は途方に暮れるほど多種多様で、それぞれの主観、環世界がある、ということを忘れるべきではないだろう。

ドキュメント72時間は、社会科学を学ぶものが忘れてはならない何かをいちいち突きつけてくる、非常に胸が痛い番組である。

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