思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

 ●アジア集団防衛と日本の役割

2015-10-11 17:14:28 | Weblog
2015年10月07日

http://office-ym.seesaa.net/

 転換を迫られる日本外交④

 ●アジア集団防衛と日本の役割 
 日本人ほど、軍事・防衛問題に鈍感な国民は、世界に例がない。
 なにしろ、憲法九条が、戦後の平和をもたらしたと思い込んでいるのである。
 そうでなければ、安保法制反対のあの乱痴気騒ぎに説明がつかない。
 マスコミは、さかんに、集団自衛権の行使によって〝戦争にまきこまれる〟と吹聴した。
 戦争放棄と戦力放棄、国家防衛と侵略戦争の区別がつかないのである。
 憲法九条の自衛権の放棄と憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」がセットになっているので、攻撃・侵略をうけた場合、どうまもるのかという問題意識がうまれてこないのである。
 本ブログでくり返しのべてきたように、日本の安全は、憲法九条の非戦主義ではなく、日米安保条約の集団的自衛権にまもられている。
 安保法制は、その集団的自衛権が、アジア全域から太平洋にまで拡大されたための法整備で、日本の平和は、日・米・豪とアセアン諸国らと手をたずさえなければ実現しない。
 日本とアジアの安全をまもっているのは、日本とアメリカ(在日米軍/在韓米軍・第七艦隊)、台湾、韓国、オーストラリア、これにたいする中国・北朝鮮、第三戦力のインド、アセアン諸国らの軍事バランスである。
 このバランスが崩れたとき、紛争の危機が訪れる。
 米海軍がフィリピンのスービック基地を放棄したあと、中国が南シナ海を領海化したのが好例で、軍事力の後退は、かならず、紛争の危機をまねく。
 戦後、朝鮮半島やベトナム、アフリカ、中東が戦火に包まれたのは、日本とドイツの敗戦によって、旧敗戦国領という〝軍事的空白地帯〟が生じたからだった。
 日本が憲法九条によって、非武装地帯になっていたら、ベトナム戦争以前に日本列島が、米ソ代理戦争の戦場になっていたかもしれない。
 そうならなかったのは、在日米軍や自衛隊という軍事力が存在していたからだった。

 護憲派や反軍主義者は憲法九条をまもれと叫ぶ。
 だが、軍事力と交戦権を放棄した九条は、とっくに死んでいる。
 日本の防衛予算(5兆円)は、世界8位で、兵員、戦車、航空機、攻撃ヘリ、空母、潜水艦の6要素から算出した総合戦力ランキング(クレディ・スイス)では、アメリカ、ロシア、中国に次ぐ4位で、インド、フランス、韓国、イタリア、英国、トルコをしのいでいる。
 交戦能力の高さに至っては、日本がアメリカに次ぐ2位で、ロシアや中国をこえるというのが、世界の有力軍事専門誌の分析である。
 憲法九条の「戦力の不保持」「交戦権の否認」、非武装中立論、丸腰平和主義など、宇宙の彼方へふっとんでいるわけだが、それが、平和の真実のすがたである。
 現在、アジアの軍事バランスは、二つの局面で、微妙に変化しつつある。
 一つは、中・韓接近で、半島有事によって、韓国が、中国と北朝鮮連合にのみこまれる可能性がでてきた。
 もう一つは、米軍のアジアからの撤退で、韓国からの完全撤兵と沖縄海兵隊のグアム島移動によって、近い将来、アジアからアメリカ軍がいなくなる。
 横須賀や沖縄に基地をもつ第七艦隊も、指令系統がワシントンに移って、米海軍と海上自衛隊の一体感が希薄になる。
 西太平洋から日本海、南シナ海、インド洋、ペルシャ湾にいたる第七艦隊の守備海域が、アメリカの戦力地域から外れる一方、中国海軍が勢力範囲を拡大してくると、シーライン危機が現実のものとなってくる。
 安保法制は、アメリカのアジア離れを見据えたもので、日本をまもる戦闘で負傷した米兵を救助できないようでは、同盟関係が根幹となる安全保障体制が崩壊するという懸念からだった。
 アメリカの影が薄くなりつつあるアジア安全保障体制のなかで、主役となるべき日本が「九条をまもれ」といっているようでは、早晩、アジアの全海洋は、南シナ海化してしまうだろう。

 安保法制に反対した勢力と原発反対派が重なっている。
 これは、中国の対日戦略とも一致するもので、石化エネルギーへ過剰に依存させた上で、シーラインを封鎖すれば、日本は、存亡の危機に瀕する。
 日本の原発戦略は、輸入石化エネルギー過剰依存からの脱却をはかったもので、戦前、米英による石油の禁輸政策によって、日本が戦争に打ってでなければならなかった教訓からだった。
 集団的自衛権と原発の反対は、戦前体制への逆戻りで、軍事的な孤立と輸入エネルギーへの過剰依存こそ、危険きわまりない選択肢なのである。
 シーラインへの無関心こそ〝平和ボケ〟の象徴なのである。
 米海軍の撤退と第七艦隊の後退によって生じるアジアのバランス・オブ・パワー崩壊のリスクを補うのが、アジア・太平洋の集団的自衛権で、軸となるのが、日本とアメリカである。
 パワーバランスの論理は、全面戦争にも局地戦にも有効で、与えたダメージと同様、あるいはそれ以上の被害が見込まれる場合、攻撃を手控える。
 米ソ冷戦が、キューバ危機をふくめて、ホット・ウオーにいたらなかったのは、想定される攻撃効果と攻撃をうけた場合の被害が拮抗した(相互確証破壊)したためで、冷戦にアメリカが勝ったのは、旧ソ連が軍事費負担に耐えられなかったからだった。
 アメリカに依存してきた日本の軍事力は、総合戦において、決定的な欠陥を抱えている。
 とりわけ、陸上戦では、兵力や戦車数が中国の十分の一で、北朝鮮にも水をあけられている。
 戦闘機(F-15J/F-2主力)360機も中国の五分の一で、北朝鮮の半分にも満たず、専守防衛の縛りによって、爆撃機はゼロ、空中給油機や輸送機も極端に少ない。
 対地ミサイルや空対空ミサイル、対レーダーミサイルも非力で、海上自衛隊は、巡航ミサイルも攻撃機を発進させる空母ももっていない。
 だが、防衛戦や局地戦では、中国に十分に対抗できる。
 ということは、ホット・ウオーにならないということである。
 それが安全保障で、平和は、軍事バランスによって、維持されるのである。
 他国の領土・領海に侵攻しない自衛隊の行動範囲は、国内と領海内、シーラインの輸送船護衛に限定されるので、大量の兵力や戦車を必要としない。
 日本が準備すべきなのは、日米連合となる全面戦争ではなく、大量の兵力や戦車、空母、爆撃機を必要としない防衛戦で、防衛戦は、攻撃戦よりも優位に立てる。
 遠征戦となる攻撃軍の能力は、数分の一に縮減される。
 外洋を航行してくる大型空母は、迎撃潜水艦の格好の標的で、イージス艦ですら、出撃すれば、大和や武蔵のように、魚雷攻撃にさらされるからである。
 日本海軍の伝統戦法は、日本海海戦以来、漸減邀撃(ざんげんようげき)である。
 敵艦隊の遠征途中で、潜水艦や航空機で痛めつけ、近海の決戦場で、巨砲を見舞うというもので、戦艦大和や武蔵はそのためのものだった。
 日本が、専守防衛の漸減邀撃に徹すれば、防衛は、自衛隊の現勢力で十分に可能で、あとは、戦闘力の先鋭化をはかるだけである。
 現在、日本の軍事力は、質の高さにおいて、アメリカと肩を並べる。
 次回は、防衛戦・局地戦における自衛隊の戦闘能力を分析しよう。

日中戦争 一体どこが「侵略」だというのか

2015-10-09 22:25:39 | Weblog
http://ironna.jp/article/1072

日中戦争 一体どこが「侵略」だというのか

『歴史通』 2015年3月号増刊

読了まで36分



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渡部昇一(上智大学名誉教授)
石平(評論家)




シナ事変前夜と同じ




石 「尖閣問題」が起こったとき、当時の仙谷(由人)官房長官が中国に気をつかって、「かつて日本は中国に迷惑をかけたんだから」というようなことを言っていましたね。ああいう認識がいまも日本人のあいだにある。




渡部 あれでまず思ったのは、これは〈シナ事変〉のときと同じだということです。




 あのころも、シナは尖閣と似たような事件をしょっちゅう起こしていた。それで日本人はシナに対してカンカンに怒っていたんです。だから、「暴支膺懲」(暴虐な支那を懲らしめる)という言葉ができた。それは、私ら子供でも、みんなそう言っていました。いちばんひどかったのが、昭和12年(1937)の中国軍による通州の日本居留民大虐殺、いわゆる「通州事件」(注1)です。あれだけひどいことをされたら、やり返すのは当然ではないか、というのが一般的な考えでしたね。




石 いまの中国は「暴支」どころか「暴走」していますね。シナ事変、つまり日中戦争について、私は中国でこういう教育を受けました。




 日露戦争当時からすでに、日本は中国をほろぼして大陸を我が物にする計画を立て、着々と対中侵略を進めてきた。その過程に満洲事変があって、盧溝橋事件(注2)があり、そうして全面的な侵略が始まったと。




 そう教えられて、私は「日本人はすごいな」と感心した。何しろ、百年の計を立てて、そのとおり実行していたというのですから。




 しかし、日本に来て歴史の本を読むと、全然話が違うのでとても驚きました。いったいどこに侵略計画があったのか。ズルズルと戦争に巻き込まれていっただけではないのか。




渡部 日本に侵略計画があったという話は、東京裁判のときに証拠として出された田中上奏文がもとになっているんです。田中義一首相のいわゆる「田中メモ」ですが、そこに日本は満洲を征服して、まずシナを、最後には世界を征服するというシナリオが書いてある。




 しかし、実のところ、それは誰が書いたのかわからない。しかも、その侵略を決めたという昭和2年の会議に、元老の山縣有朋も出席したことになっている。ところが、大正11年に亡くなっている山縣有朋が出席できるわけがない。信憑性がないから、証拠として認められなかったんです。最近の研究では、このメモは、コミンテルンがモスクワで捏造して、世界中に広めたのだと言われています。




石 中国の教科書には、「田中上奏文」が必ず載っています。逆に言うと、田中上奏文の存在がなければ、日本が侵略戦争を行ったと断罪することはかなり難しい。




渡部 「田中上奏文」が偽物だということがわかったにもかかわらず、それが世界に広まってしまった。A級戦犯の最も大きな罪とされる「平和に対する罪」は、戦争を計画したということですが、その事実がそもそもないんですよ。




「対華二十一カ条」の中身




石 そういう意味では、日中戦争にはコミンテルンが大きな影を落としていますね。もう一つ、中華民国大総統袁世凱に日本政府が提出した「対華二十一カ条要求」、あれこそ日本の野望と野心の現れであり、侵略の第一歩だと、中国では必ず言うんです。




渡部 あれは14条までは、これまでの条約を守ってくれという当然の要求です。最後の七カ条は、そのために日本の人材を積極的に登用して権利を認めてくれという希望でしたが、結局、最後にはその部分をすべて削除して条約を結んでいる。後半の7カ条は、希望なんか出すと誤解されると言って、日本の議会でも批判されていたんです。




石 その7カ条に中国は反発したわけですが、結局、その部分は削除された。それはどの国家間でも行われている当然の外交交渉ですね。一方が希望を出して、相手が反発すれば一歩引く。




渡部 あのとき、アメリカが「民族自決権」を持ち出して、いかにも日本が悪いかのように騒ぎたてて中国を焚きつけた。それで問題が大きくなったところがある。民族自決権そのものは非常に立派な考えだけれど、自分たちが持っている植民地のフィリピンや、あるいはイギリスが世界中に持っている植民地については問わない。しかし、中国に対してはしきりに民族自決を煽りたてた。だから中国の青年たちのあいだで排外運動が起きた。最初は日本だけでなくて、イギリス、アメリカも排除しようとしたわけですが、日本だけが武力で抑えることをしなかった。だから、なめられて排日運動だけが大きくなった。




石 それは日中関係の大きな教訓ですね。肝心なときにきちんと武力で対応しなかったから、中国はますますつけあがって「暴支」になった。




渡部 「二十一カ条要求」を出した時期が第一次世界大戦のさなかだったのもまずかった。英米がヨーロッパの戦争で忙しい隙を狙ったかのような、ずるい印象を与えてしまった。




石 日本のそういう判断ミスが、アメリカに利用された結果、中国の五四運動(注3)がはじまり、反日的な風潮が高まった。




渡部 反日運動についてだけは、ソ連とアメリカは同調していたという印象を受けますね。談合したわけではないとしても、日本を大陸から追い出すことが両国の利益だった。




日本は満洲を中国に返した




石 五四運動の後、しばらくしてコミンテルンが中国で共産党を作った。中国共産党は自分たちで作ったものではなくて、コミンテルンの中国支部に過ぎない。日中関係のすべての問題がそこから生じてきたと言ってもいいのではないでしょうか。




渡部 ロシア革命とコミンテルンがなければ、大陸はずっと穏やかなままだったと思います。中国人も誤解していると思うんですが、日露戦争前の満洲はロシア領になっていたんです。ロシアはまだ自分の領土であると主張してはいなかったけれど、清国の役人が満洲に入るときには、ロシア官僚の許可を得なければいけなかった。




 その満洲を、日本は日露戦争でロシアを追い出して当時の清国、つまり中国に返したんです。そしてロシアが作った鉄道と、南満洲鉄道の権利、それから日清戦争で日本が得た東半島の租借権だけをもらった。あのままほうっておいたら、いずれ「満洲スタン」(「スタン」は国や地方を表すペルシャ語起源の言葉)なんて地名になっていた。




 北シナも朝鮮もそうです。半島はいまごろ「コリアスタン」になっていますよ(笑)。




石 朝鮮人も満洲人も何々スキーという名前をつけられていたでしょう。キムスキーとかね(笑)。




渡部 だからスターリンは昭和20年の8月に、これで「日露戦争の敵を討った」と言ったんです。もしもロシア革命がなければ、満洲と東半島は日本が租借し、鉄道は日本が管理して、あとは平和だったはずです。満洲事変も不要だった。




石 日中戦争も起こらなかった。万一、満洲があのころソ連と共産党に侵略されていたら日露戦争以来のすべての国防上の安全保障の成果を日本は一気に失うところだった。




渡部 しかし、アメリカが愚かだったから、日本の敗戦でそれが失われたわけです。朝鮮戦争以後、アメリカの歴史家は口をそろえてこう言った。何がシナ大陸を失わしめたか、それは日本を潰したからだと。




石 結果的に共産主義中国という化け物を生み出した。いま世界中でいちばんやっかいな国を生んだのは、あの頃の痛恨の歴史だった。




ミステリアスな事件




渡部 満洲国に清朝の王朝が続いていれば、大きな緩衝地帯が存在して、世界平和のためには非常によかった。ただ、清朝にクーデターが起こって愛新覚羅溥儀が日本公使館に逃げ込んでこなかったら、満洲国建国のアイデアは生まれなかったと思う。溥儀は満洲のヌルハチの直系ですから、その故国に正統の皇帝を立てたのは、誰からも文句を言われない良いアイデアだったと思う。




石 満洲国は、ある意味では、日本本土よりも近代国家でした。私は大学時代に満洲を旅行したことがあるんですが、ほかの中国の都市よりずっと整備されていた。まず、橋が丈夫です。日本人が作ったから(笑)。当時の鉄道がいまでも走っていますしね。結局、近代中国の産業基盤はすべて満洲にあった。満鉄の遺産です。現代の中華人民共和国の自動車産業も、旧満洲からはじまっています。





張作霖

渡部 張作霖爆死事件にしても、当時は昭和天皇まで河本大作大佐が事件の首謀者だと思っていたらしいけれど、リットン調査団は「ミステリアスな事件である」と言っているだけで、日本軍が起こした事件だとは言っていないんです。イギリスの諜報部は、爆発物の分析をし、火薬がソ連のものであると突き止めている。日本は気づかなかったけれど、リットンは知っていたんだと思います。だから、あえて日本を責めなかった。石 リットン報告書を読めば、日本を一方的に断罪していないことはすぐわかる。それなのに、東京裁判以降、歴史的事実が塗り替えられて、どういうわけか、すべてが日本を断罪するものになってしまった。それを、なぜか日本人は否定しようとせず、それどころかむしろ積極的に認めている。




「引かれ者史観」




渡部 戦前・戦中に反日運動とか左翼運動をやって帝国大学を追われた人たち、お縄になって牢屋に引かれていってもおかしくなかった人たちが戦後、大学に復帰して東大や京大の総長・学部長におさまった。そういう彼らの歴史観を、エッセイストの山本夏彦さんは「引かれ者史観」と呼びました。戦後の歴史経済学者はみんなこの人たちの弟子にならざるを得なかったから、学界は「引かれ者史観」に染まってしまった。ジャーナリズムも同様です。昔ならくさい飯を食っている人たちが、刑務所のかわりに学界とマスコミに集まっている(笑)。みんな日本の敗戦によって利益を得た「敗戦利得者」なんです。




石 コミンテルンは、戦前は日本周辺で工作を行って大日本帝国を潰しましたが、戦後はさらに日本国内に入り込んで、日本の心まで潰そうとした。




渡部 潰されなかった人たちは、史学や法学の本流にいなかった人たちですね。本来であれば、法学部の教授なら、「日本に主権がないときにできた憲法など憲法ではない」と言うべきです。国際法の学者であれば、「交戦権のないような憲法を持ってはいけない」と言うべきでしょう。しかし、東大や京大では言わない。むしろ、歴史や法律が専門ではない文学の先生とかがそういうことを言っているわけです。敗戦利得者ではないからまともなことを言える。敗戦利得者の弟子たちは、その口移しを言っているだけです。そして、弟子の秀才たちが各地の大学に散って「引かれ者史観」を学生に教え、あるいは高級官僚として、あるいは朝日新聞やNHKに入って反日的な言動をしている。




石 不思議なのは、そういう誤った歴史観が70年たったいまも、大半の日本人の頭を占めているという現実です。占領軍は指導者たちの精神まで占領し続けているようです。




中曽根内閣で一変




渡部 「引かれ者史観」は「東京裁判史観」と言ってもいいのですが、それに反対して憲法改正を党是にしていたはずの自民党が、中曽根康弘内閣(1982~87)のときに明らかに変わってしまった。昭和60年(1985)の外務委員会で、「日本は東京裁判において中国に対して有罪になった。その罪をいまも背負っている」と答弁したんです。




石 それはサンフランシスコ条約を無視していますね。




渡部 サンフランシスコ講和条約で、東京裁判については白紙になったんです。にもかかわらず、自民党も講和条約を無視した歴史観を持つに至った。田母神(俊雄)元航空幕僚長の事件でも、田母神さんをやめさせる理由がなかったので、「日本の侵略は歴史的事実である」と言った、村山元首相のいわゆる「村山談話」(1995)に背いたという理由をこじつけた。しかし、村山さんは社会党の党首じゃありませんか。社会党はサンフランシスコ講和条約に参加しなかった党ですよ。




石 中国共産党も講和条約に一切参加しなかった。




渡部 社会党は当時、国会で第二党でしたから、当時の吉田茂首相はぜひ参加させたかったのに、請われても行かなかった。スターリンの意図に従ったのです。そういう左派の意見に、中曽根さんは外交に関しては乗ってしまった。それ以来、「南京事件はなかった」とか、「朝鮮に対しては良いこともした」と発言しただけで大臣の首が飛ぶようになった。




石 第3次中曽根内閣の文部大臣だった藤尾正行さんは、歴史教科書問題で「日韓併合」は韓国にも責任があると言っただけで罷免された。「東京裁判史観」はサンフランシスコ条約後も続いているわけですね。




渡部 講和条約の11条に、東京裁判ですでに判決が下りている人は、刑期の継続を実行する、ただし、関係国が許せば免罪されるとあります。それに従って、国内でも「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」が与野党一致で可決され、A級戦犯も免責されました。これで国内的にも国際的にも、戦犯はいなくなり、本人や遺族にも年金の支給が行われることになった。




 A級戦犯として有罪を宣告された重光葵は鳩山一郎内閣の副総理兼外務大臣になって、日本が国連に加盟したときには、国連に日本代表として出席して演説し、拍手喝采を受けて、帰国後に急死したときには国連で黙しているんです。




石 要するに講和条約を締結した時点で、日本は歴史的な名誉を回復し、国際社会に復帰して独立をきちんと果たした。そのときに、もう戦後ではなくなった。



渡部 だから、日本の内閣は、中国にも韓国にもペコペコしなかった。それが中曽根内閣から一変したんです。そのときの外務省の知恵袋が小和田恆さんでした。小和田さんが、「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と勝手に答弁してしまった。国賊と言ってもいいでしょう。小和田さんは非常な秀才ですから、敗戦利得者の東大の法学部教授の言うことを全部そのまま暗記していたらしい(笑)。




共産中国という“化け物”




石 日中戦争のきっかけとされるのが盧溝橋事件ですが、これによって、中国と日本はやむなく全面戦争に至り、歴史は取り返しのつかない方向に進みました。盧溝橋事件がなければ中国共産党も蔣介石に全滅させられて、今日のような共産主義中国という化け物も生まれなかったでしょう。すべてあの瞬間、昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋での発砲事件から、日本にとっても、中国の人民にとっても不幸の歴史が始まった。




渡部 盧溝橋事件も、いまでは国民政府軍に入り込んでいた共産兵が発砲して、意図的に武力衝突を引き起こしたという説がほぼ確立していると思います。もともと戦争をする気はなかったのだから、どうもおかしいなぁと日本軍も国民政府軍も思っていたでしょう。




石 だから、本当に奇妙な戦争だったと思うんですよ。




渡部 盧溝橋事件は一応、現地協定を結んで収まったんです。ところが、そのおよそ3週間後に先述の「通州事件」が起こって、シナに対する日本国民の怒りが爆発した。それでもシナ政府が謝罪したために、まだ戦火は開かれなかった。だから、本当にシナ事変がはじまったのは8月13日の中国側の上海攻撃(第二次上海事変)からです。ただ、それも蔣介石が望んだことではなく、京滬警備(南京・上海防衛隊)司令官の張治中という共産党とみられる将軍が仕掛けたことだった。




執拗な挑発




石 蔣介石は、〈中国人にとって本当の脅威は日本ではなくて中国共産党〉であることがよくわかっていた。だから日本と戦う気はなく、中国共産党殲滅に専念しようとしていました。にもかかわらず、日中は全面戦争に突入した。




 そのA級戦犯は、国民革命軍第二十九軍を率いていた宋哲元です。盧溝橋周辺に駐屯していた中国軍は、国民党軍ではなく、二十九軍なんです。宋哲元の二十九軍は事あるごとに日本軍とトラブルを引き起こしていた。だいたい二十九軍は共産党員だらけでした。だから、どう考えても盧溝橋事件は二十九軍の共産党員が引き起こしたとしか思えない。




 蔣介石も、二十九軍に対して日本にちょっかいを出すなとしきりに言っていた。にもかかわらず、日本が盧溝橋事件の現地解決、不拡大方針を決めると、二十九軍はその翌々日の7月13日に日本軍のトラックを爆破して大紅門事件(注4)を起こし、25日に廊坊事件(注5)、26日に広安門事件(注6)というように、次々に日本軍を攻撃した。“じっと我慢”の動かない日本軍をなんとしても全面戦争に追い込もうとした。そしてついに通州の中国保安隊(冀東防共自治政府軍)による日本人虐殺事件、いわゆる通州事件が起こる。




渡部 そういう挑発は、ソ連の指示によるものでしょう。日本軍がシナ大陸で戦争をしていれば、それだけソ連軍も楽になる。それを見破ったのが石原莞爾です。彼はナポレオン戦争の専門家なんですが、当時、彼が書いたパンフレットを読むと、「シナ事変が起こるとすれば、それはナポレオンにおけるスペインとの戦争と同じである。ナポレオンにとって本当の敵は陸ではロシアであり、海ではイギリスであったにもかかわらず、スペインなどにかまっていたから泥沼に引き込まれてしまった。同じように、日本の本当の敵はソ連なのだから、シナ事変などに巻き込まれてはいけない」と書いてある。




石 冷静に見ていた石原さんのような人が、発言力を失ったのは日本の不幸ですね。




渡部 もし日本が計画的に戦争をするつもりでいたら、まっすぐ南京に向かったでしょう。それで一挙に南京を占領して終わりですよ。




石 日本が計画的に侵略したというようなことはまったくなくて、二十九軍のような中国側の執拗な挑発にのってしまった。




渡部 通州事件のときは、日本人は非常に憤慨したけれど、中国側が謝ったことで戦争にまで至らなかった。




石 本来であれば、謝ってすむ問題ではありませんね。なんと言っても民間人を含めた230人が虐殺されたんですから。




渡部 日本はすぐ水に流すんです(笑)。




宋美齢の反日宣伝




石 通州事件でも日本が動かなかったから、いよいよ日本が応戦せざるを得ない状況を作り出すために、8月13日の上海事変を起こしたのでしょう。




渡部 中国は民間人のいるホテルまで無差別爆撃を行ったから、日本は居留民を保護するために陸軍を派兵せざるを得なかった。司令官だった張治中が満洲の反日スパイを動かしていたことは、奉天(瀋陽)の日本軍憲兵にも知られていました。その張治中が、日本の陸戦隊約4000人が日本人居留民を守っているところに約5万の大軍で攻撃してきた。そこで翌8月14日、日本政府は急遽第三師団と第十一師団を上海に派遣したのです。




 これが本当の日中戦争のはじまりであると、元米駐日大使のライシャワー教授も言っています。




石 つまり、戦争を始めたのは中国だというのが歴史的真実だということになる。




渡部 そのとおりです。結局、日本が「断固として不拡大方針を貫く」などと言っていたからなめられたんですよ。




 第一次上海事変(昭和7年=1932)のときも、中国軍は共同租界に対して攻撃を仕掛けたので、イギリスもアメリカも反撃している。日本だけは抵抗するなという命令を出されたので反撃せず、公使館まで襲われてしまった。これで中国は「日本与しやすし」と考えたと思いますね。こういうときは、やはり断固たる態度をとらなければいけない。これも、今日の状況とよく似ています。





宋美齢

石 日中の全面戦争が始まるまでの一連の経緯は、どう考えても中国側のコミンテルンの指令を受けた人間たちが一方的に日本を挑発して、あらゆる手を使って日本を全面戦争に引きずり込もうとしたということになる。




渡部 それを、いかにも日本のほうから侵略を仕掛けたと宣伝したのは、もちろんソ連と左翼の連中ですが、実はアメリカもそうなんです。




 日本と全面戦争になった以上、蔣介石は「日本がシナを蹂躙している」というイメージを作り出して、国際世論の同情を集めようとしたんです。そこで蔣介石は、非常に賢明にも、キリスト教に改宗しました(笑)。奥さんの宋美齢もクリスチャンで、アメリカの名門女子大の卒業生です。そして、アメリカのプロテスタントの牧師たちに金をばらまいた。アメリカからは、それぞれの教区の牧師たちが寄附を募って布教に来ていて、妻子もあるから生活費が必要なんですよ。それで蔣介石に世話になっているから、「日本が悪い、日本が悪い」と言うわけです。




石 なるほど。本当は、蔣介石はキリスト教に興味はなかったのに。




渡部 そうすると、アメリカの宣教師たちは、日中戦争をキリスト教徒対異教徒の戦争のようにとらえる。宋美齢のステンドグラスまで入れた教会もあるそうです(笑)。




石 聖母マリアのかわりに(笑)。




渡部 だから面白いことに、当時のアメリカの宣教師は口をそろえて日本軍の悪口を言っているけれど、それはプロテスタントばかり。カトリックの神父や尼さんには日本を批判した人が一人もいない。カトリックは単身赴任だし、蔣介石からお金をもらう必要がないから(笑)。




南京の「ナ」の字もなかった




石 中国が捏造した最大の“傑作”は「南京事件」ですね。






渡部 あの話がおかしいと私が思ったのは、まずこういうことでした。シナ事変初期には兵隊さんたちが1、2年でみんな帰国していたんです。うちの近所でも2人くらい帰ってきた。だから、全国では何万人と帰ってきている。にもかかわらず、南京大虐殺など噂にもならなかった。




 昭和17年(1942)に日本の機動部隊がミッドウェーで大敗したときには、それは極秘だったにもかかわらず、私は近所の遊び仲間から、「もう加賀も赤城もなくなったんだぞ」と聞かされました。加賀も赤城も、われわれが幼いころから名前をよく知っていた日本の主力航空母艦ですよ。大変なことになったと思いました。東北の小さな町にも、そういう極秘情報はちゃんと伝わってくるんですよ。だから、南京大虐殺が本当にあったとしたら、その当時、噂にならないわけがない。




石 実は、私も日本に来るまで南京大虐殺など一度も聞いたことがなかった。中国の小学校、中学校の教科書にも南京大虐殺なんて載っていませんでした。




渡部 それは重要な証言ですね。




石 もちろん、日本軍がどんなにひどいことをしたかということはさんざん教わってきました。それでも南京の「ナ」の字もなかった。




渡部 南京虐殺について、公式に日本政府に抗議してきた政府はない。




石 蔣介石自身も抗議していない。日本留学から中国に帰ったとき、南京出身の大学のクラスメイトに、「親父さんかお祖父さんから、大虐殺の噂を聞いたことがあるか」と聞いたら、やはり「ない」と言っていました。




 最初、南京で30万人殺されたという記述を読んだときに、素朴な疑問を感じたわけです。中国では、歴史的な大虐殺が何度もありました。どこそこで100万人の捕虜を殺したとか、そういう記述が歴史書によく出てきますが、そういうところを掘り返すと、たしかに人骨がいっぱい出てくるんです。面白いことに、2000年前の記述でもじゃなくて、必ず出てくる。しかし、南京から何十万体の骨が出てきたなんて話、一つも聞いたことがない。




渡部 当時、戦争が起こりそうになると、お金のある南京の市民は大部分が逃げたんです。逃げるところのない人たちや外国人が南京に残っていた。そのときの20万人という人口はかなり正確な数なんです。ところが、それから1カ月後に、市民を食わせなければならないので日本が食糧を調達したときには25万人になっていた。




石 増えているんですね(笑)。そもそも30万人なんか殺せない。仮に30万の死体があったとして、その数字を誰が集計したのか。物理的に不可能です。




 しかし、日本の知識人が南京虐殺をことさらに言いふらしたり、日本を攻撃することによって社会的地位を得たりというのが私には信じられない。本来なら逆でしょう。




河本大作説の疑問




渡部 その「逆」のこと、つまり本来の姿に戻す動きが、少しずつ起こりはじめているとは思います。しかし、先ほど言ったように「敗戦利得者」たちの反日的な言動はいまだに尾を引いている。日教組も子供たちに「すべて日本が悪い」と教えてきたわけですから。とくに、そうして地位を築いた人は新たな歴史的事実が出てきても、面子があるからいまさら持論を引っ込めるわけにはいかない。




 秦郁彦さんは『南京事件』という著書のなかで、4万人虐殺説をとっている。30万人説を否定して4万人説をとったから良心的であるように言われていますが、私はこれを批判したことがあるんです。まず市民と戦闘員の死者を区別していないという問題が一つ。それから、曽根一夫という男の証言を重視していること。この曽根という人は2冊くらい南京大虐殺の本を書いている。ところが、この男は南京には行っていないんです。私は仙台で偶然、曽根氏の親類に会ったことがあるんですが、その親類は「あのつきには困ったものだ」と言っていました(笑)。つまり、まったくあてにならない男なんです。




石 4万人という根拠は何ですか。




渡部 それなりにいろいろ計算したらしい。「捕虜を処分せよ」という命令を、「すべて殺せ」と解釈しているんですね。当時の命令では、それは「解き放て」という意味です。食糧も不足しているから、捕虜に食わせる余裕がなかった。それをすべて殺したと計算したんですね。それから戦闘捷報か何かを調べて4万人という数字を出しています。しかし、私は市民に関して言えば限りなくゼロに近いと思う。




 秦先生がいい研究もなさっていることは認めるけれど、やはり面子にこだわっているのではないかと思いますね。張作霖爆死事件も日本軍のしわざだと言われてきたけれど、田母神俊雄さんが「そうでないという説もある」と書いたら、秦さんはものすごく怒って、朝日新聞か何かで「そんなことを言うのは上杉謙信が女であるというようなものだ」と批判した。




 ところが、張作霖爆死事件を日本軍が起こしたという説には根拠がないんですよ。首謀者は河本大作大佐ということになっていて、戦後、河本大佐の手記なる告白記事が『文藝春秋』に出たことがありますが、これは彼の甥である左翼の人間が書いたデッチ上げでした。東京裁判で、パル判事は張作霖事件に関する証言はすべて伝聞証拠にすぎなかったと断定しています。そもそも当時、河本大作は生きて中国に捕らわれていたのだから、証言させればよかったのに、中国が抑えていた。なぜ呼ばなかったのかというと、彼を証人として出廷させるといろいろまずいからだったと思う。




 最近では研究が進んで、ソ連主犯説が濃厚になっています。そういう状況にあって、田母神さんはあくまで穏やかに、「日本軍の犯行ではないという説もある」と言っているのに、激昂して日本軍犯行説を周知のこととして反論するのは、「南京でも虐殺がなければならない」「張作霖も日本軍に爆殺されたのでなければならない」という「東京裁判史観」が崩されるからですよ。それはエゴでしかない。自分のエゴと業績を守るために相変わらず「日本は大虐殺した」と言い続けるのです。




有色人種の解放戦争




石 日本にとっても意味のない戦争をした結果、国益を損なった。日本が中国の挑発に乗らず、もっと大局的な判断をして戦争の不拡大を貫く道はあったのでしょうか。




渡部 南京が陥ちたとき、トラウトマンというドイツの外交官が和平案を出したんですよ。そのときの日本の参謀次長──参謀総長は閑院宮という宮様ですから、実質上の参謀総長です──その多田駿中将は、ぜひとも停戦してくれと涙を流して近衛首相に頼んだ。しかし、近衛首相の周囲はコミンテルン系の左翼ばかりだった。それで「蔣介石政権を相手にせず」という声明を出して、スターリンの思惑どおり、大陸の泥沼にはまり込んでしまった。




 それから日本はものすごい消耗戦を続け、ついにはアメリカと戦争せざるを得なくなった。ルーズベルトは絶対日本と戦争する気でいましたからね。ヒトラーのためにイギリスが息の根を止められそうになっていたから、アメリカはイギリスを助けなければならなかった。ところが、アメリカ国民は第一次大戦に参入してろくなことがなかったから、ルーズベルトはヨーロッパの戦争には絶対参入しないという公約を掲げて当選したんです。にもかかわらず、チャーチルがしきりに助けを求めてくるし、蔣介石からも参戦を懇願してくる。




 だから、アメリカは日本が対米開戦せざるを得ない状況に追い込んだ。これは三国同盟の弱さをつかれたということもあります。三国同盟はもともと日独防共協定でしたから、ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだときに、これは三国同盟の意図に反すると言って、同盟を破棄していればよかったかもしれない。しかし、それは死んだ子の年を数えるようなもので、長い目で見れば結局、有色人種の解放戦争はしなければならなかったかもしれません。




石 それが大東亜戦争の歴史的功績ですね。国際的に人種観が変わった。




渡部 いまの人には戦前の白人の人種差別のひどさがわからない。日本人のような全然犯罪者を出さない、優秀な移民団でも、1人も入れないというところまで差別された。




 そもそも、白人に勝てる有色人種もいるということが日露戦争で日本が勝利するまで、白人も有色人種も思ってもみなかったんです。当時、日露戦争は世界の注目の的だったから、誰もが驚いた。




 大東亜戦争のときも、実際、機動部隊を持っている国というのはアメリカと日本しかなかった。イギリスにもドイツ、フランス、ソ連にもない。アメリカと対抗して戦争ができるのはヒトラーのドイツでもなければチャーチルのイギリスでもない。日本だけだった。インドのネルーや、ベトナムのホー・チ・ミンなど、世界中の独立運動の指導者は、みんなそこからインスピレーションを得た。有色人種のイメージを180度変えたのは日本だったんです。




石 そういう意味では、大東亜戦争というのは有色人種と白人の全面戦争でもあったわけですね。




渡部 日露戦争に続いて2度目ですね。それで日本はアメリカから憎まれた。アメリカは人種差別を前提としてできている国です。もしはじめから人種差別はないという彼らの独立宣言が本当なら、インディアンの土地を奪ったり、アフリカから黒人を連れてきて奴隷にしたりできませんよ。だから、白人と同じステータスの有色人種が現れたということはアメリカにとって非常に不愉快なことだった。日本と戦争をしたころのアメリカの海軍には有色人種もいましたが、軍艦の厨房(台所)以外には配属されなかった。なぜなら、大砲を撃たせたり飛行機に乗せたりすると、有色人種が出世して上官になる可能性があるから。それは白人には耐えられない。戦前のシンガポールでも、マレー人は奴隷に近く、その上に中国人がいて、中国人はマスターであるイギリスに仕える。そういう差別構造を日本が完全にぶち壊した。




 だから、日露戦争はコロンブスのアメリカ大陸発見以来、数百年に一度起こるかどうかの大事件であったとみないと世界史はわからない。20世紀初頭は、人種差別は当然という世界でした。そして21世紀のはじめには、国という名に値しないような国でも国連で一丁前の口をきくようになっています(笑)。この百年の差はどこに起因するかといえば、日露戦争と大東亜戦争しかない。




石 日本はあらゆる国際の場で堂々と「人種差別を破ったのはわれわれです」と言うべきですね。




渡部 そうです。第一次大戦のあと、日本が国際連盟で人種差別撤廃を提案したとき、それをぶち壊したのはアメリカだった。そういうことはプライドと地位をかけて言わなければいけない。ところが、政治家が勉強していない。勇気・胆力がない。




 捕鯨問題で世界を相手に日本の立場を主張した元農水省の小松正之さんの話を聞いたことがあるんですが、「自分が頑張れたのは十数年間、クジラについて勉強したからだ。ちょっと話を聞いてわかったような気がしたというくらいでは必ず言い負かされる」とおっしゃっていた。やはり10年以上研究しないと信念にならないというんですよ。政治家も、それくらい勉強してほしいと思いますね。




(注1)通州事件 昭和12年(1937)7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東防共自治政府軍)が起こした大規模な日本人虐殺事件。通州の日本軍守備隊と、日本人居留民(多数の婦女子と朝鮮人を含む)約106名が、人間とは思えぬような方法で中国兵によって惨殺され、シナに対する国民の怒りは頂点に達した。当時の日本人の反シナ感情は、この事件を抜きにして理解することはできない。東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。この事件に触れると、シナ事変は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまうという判断があったのは言うまでもない。

(注2)盧溝橋事件 昭和12年(1937)7月7日の夜10時、蘆溝橋に駐屯していた日本軍の一個中隊に向けて、何者かが発砲したことから始まった。周囲に中国軍(国民政府軍)が駐屯していたから、彼らが発砲したのではと思われたので、日本軍は軍使を派遣することにした。翌八日の早朝4時、ふたたび日本軍に向けた発砲事件が起こり、状況が曖昧なまま、日中は戦闘状態に入った。事件から4日目の7月11日に、事態収拾のため現地協定が成立した。

(注3)五四運動 大正8年(1919)、第一次大戦後のヴェルサイユ条約で、山東省におけるドイツの権益を日本に移譲することが容認されたのを発端に起こった中国の反帝国主義・反日運動。5月4日に発生したため、この名がある。

(注4)大紅門事件 昭和12年(1937)7月13日、北京の大紅門で日本軍トラックが中国兵に爆破され、日本兵4名が死亡した事件。

(注5)廊坊事件 同年7月25日に北京の郎坊駅で国民革命軍が日本軍を襲撃した事件。

(注6)広安門事件 同年7月26日、中国の了解のもとに北京・広安門の居留民保護に赴いた日本軍が中国軍から銃撃された事件。


わたなべ・しょういち 上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。1930年、山形県鶴岡市生まれ。上智大学大学院修士課程修了後、独ミュンスター大学、英オクスフォード大学に留学。Dr. phil.,Dr.phil.h.c.(英語学)。第24回エッセイストクラブ賞、第1回正論大賞受賞。著書に『英文法史』などの専門書のほか、『知的生活の方法』『知的生活の方法・音楽篇』(渡部玄一・共著)などの話題作やベストセラー多数。小社より、『渡部昇一の日本の歴史』(全7巻)、『渡部昇一ベストセレクション』シリーズ刊行。




せき・へい 評論家。1962年、中国四川省成都生まれ。北京大学哲学部卒業。四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関に勤務ののち、評論活動へ。07年、日本に帰化する。著書に『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)、『中国はもう終わっている』(徳間書店)、『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』(ビジネス社)、『私はなぜ「中国」を捨てたのか』『もう、この国は捨て置け!』(ワック)など多数。




精神の磁力作用

2015-10-06 10:23:50 | Weblog


磁石の仕組み

電子ひとつひとつが小さい磁石で、N極とS極があり、

電子のN極S極の向きで原子の向きが決まる。

向きが同じ原子が一つの方向に並ぶと、磁石になる。






もしかしたら脳内の光子にもN極S極のようなものがあり

音楽などの精神活動によって向きがそろうと、

磁力のように何かを引き付ける力を生じるのではないか。

向きのそろい方には様々なパターンがあって、

それぞれのパターンによって引き付けるものが異なるのだ。

宇宙の進化の意志を引き付けるには

かなり複雑なパターンが要求されるのではないか。

細胞の意思 団まりな

2015-10-05 19:48:15 | Weblog
http://commutative.world.coocan.jp/blog2/2010/10/post-840.html


細胞の意思

あやたろう (2010年10月22日 04:45) | コメント(0) | トラックバック(0)



心のオーナーシップに書いたように、私はなんとも自堕落な大学生活を送ったが、それでも細々と読書は続けていて、そのときの愛読書の1つが夢野久作だった。どうもできるだけ現実逃避したかったらしい。その主著「ドグラマグラ」は、現実と夢が入り混じったような怪奇小説で、ストーリーが錯綜していて、よく理解できなかったが、それでも、かすかに記憶に残っているのは、人間の細胞に固有の意思がある、というような記載である。でも本当にそんな記載があったのかと改めて聞かれると自信がない。私の勝手な思い込みなのかもしれない。

それでも、前にもブログに挙げた「細胞の意思」団まりな著、NHKブックスを眺めて想起するのも、「ドグラマグラ」なのだった。しかし、この「細胞の意思」にはそんなおどろおどろしさは微塵もない。努めて科学的に書かれ、ドライであるといってよい。

が、そう言っていいのだろうか。なぜなら、この本には、細胞は、思い、悩み、予測し、相談し、決断する、とある。しかし、硬派の発生生物学の研究者である団まりな氏は、そう想定しないと、細胞を単なる化学マシン、分子マシンと想定していては説明がつかないことが多きずるという。

怪訝な読者を説得するために、団まりな氏は、大食細胞、始原生殖細胞、胚の細胞の例を挙げる。実際、例をみると、細胞たちは、見事な環境適応性、能動性、決断性を示し、ある意味、われわれ人間の活動と変わらない。すると、耐性菌の戦略など、朝飯前ということになる。

こうして、一旦、細胞の意思なるものを当然視してみよう。すると、人体とは一体なのかと悩まなくてはならなくなる。というのは、人体は60兆もの細胞からなり、その各々に意思があるとなると、われわれ本来の「意思」との関係がわからなくなる。

1ついえることは、私の細胞たちは、私の部下ではないということである。なぜなら、体に入った異物を取り囲むのに、好中球や免疫細胞などは、いちいち私にお伺い立てたりしない。むしろ、私の意思とは全く独立に活動している。私としても、好中球や免疫細胞から、どうしたらいいかと聞かれても、答えられない。それで、腸の細胞も、胃も、心臓も、肝臓の各々の細胞も、私の意思などあずかり知らず、彼らなりに酵素などを駆使してその特殊任務に励む。みんな高度な専門家である。

そうはいっても、彼らは、私が自分の意思で食べたエネルギー源に依存している。だから、私が彼らに不利な活動をとってもらっては困るので、ホルモンや酵素、その他の蛋白質で、私をコントロールしようとする。意志が強くない私は、あっさりと細胞たちに操られている。

一方で、どうしても、この体をもつことは、間借り感が否めない。すなわち、細胞たちは、私の体という下宿の大家さんなのであって、どうも私はどこかからやってきたらしい。だから、とても細胞たちに気を使いながら生きているのに、それが習い性になってしまったものだから、自分の意思100%だなどと勘違いしてる。ともかく、フロイト派は、無意識を、細胞由来のところと、そうでないところに切り分ける必要があろう。

さて、私と、私の細胞たちをピアな関係とみなすと、いろいろな知見が生まれてくる。例えば、食生態学者の西丸震哉氏が登山にでかけようとしたら、どうも腫瘍があるらしいと分ったという。手術すると登山に行けなくなる。そこで西丸氏は、医者に行く代わりに、癌細胞に呼びかけた。じっとしていろよ、と。それで結局、腫瘍は進行せず、何年もそのままなのだという。結構聞き分けがいいのである。

もっと分りやすい例でいくと、癌で手遅れの人が開き直って、毎日お笑い番組をみていたら、癌が消えていたというのがある。まさに、笑いと医療に書いた事例である。この分でいくと、細胞だって笑いたいのである。それは当然であろう。意思があるのだから。しかめつらして 酵素を産生ばかりしていたくない。

そういう意味では、癌をやたら切るのも考えもので、下手をすると手術が癌細胞にとって、血の日曜日事件になる。革命が始まってしまうのである。

戻って、仏教が指摘する煩悩のかなりの部分が細胞の意思に負うことは明らかである。してみると解脱とは、細胞に拠って生きつつも、細胞の意思から独立になることだろう。そうやって細胞から跳躍しようとしている我々の心とはなにか、という問いかけに答えることは容易ではない。

「脳と人格はいかに統合できるか」片山容一(科学08.04号pp.834)

2015-10-05 19:42:39 | Weblog
1.身体の操作するときの身体感覚及び外界からの感覚の変化によって、空間に占める自己が生じる。
これは、動作からのフィードバックが異なった部分という意味である。
2.対象を対象として認識するためには複数の感覚の統一が必要で、統一の主体として同一の自己が生じる
こうして、気づきとしての意識=何かについての意識(対象意識)によって、
「空間的に統一性のある行動」が可能となる。
3.目標を設定して達成しようとすると、その時間経過において同一の自己が保たれなくてはならない。
これは記憶によって可能となる。過去の自己を自己として対象化する(意識する)。
「時間的な脈絡性のある行動」が生じる。自己意識は目標設定と達成によって生じる。
背外側前頭前野に目標設定と達成の中枢がある。切除すると他の部分が代替するようになる。
4.生命体は自己を世界から区別し、世界に働きかけることで、世界に意味を見出す。(逆ではない。)
その起源は生命体の生きる意志として記述するしかない。
自己意識の背景には気分がある。。快活とか憂鬱とか。
世界との関係性に先立って存在するから対象がない。
(感情には対象がある)。従って気分は自己の自由にならない。
生命体は気分によって自らの生きる意志を意識する。
5.ヒトは他者に「私は誰?」と問いかける存在である。
他者からの答えを鏡として同一の自己は唯一の自己として意識される。
これが生きがいの内容である。
6.記憶によって保たれる同一の自己は世界に向かって行動を起こし意識された自己との誤差が修正される。
唯一の自己もまた現実の他者の関係性によって絶えず修正される。
それなしには、妄想の世界に生きるしかなく、実際に睡眠中には関係性が放棄されて緊張から開放される。
脳が現実に適合する自己を維持できるのは世界や他者との関係性を記憶しているからだけでなく、
その関係性が現実に存在することを絶えず確認し、記憶と照合しながらそれを修正できるからである。
自己を支えているものは脳ではない。むしろ世界や他者のほうである。
7.他者との関係性に苦悩するのを止めれば本来の自己が現れるのではないかと思われるが、
それは浮き草のような同一の自己であって、唯一の自己ではないから、ヒトはそれに耐えられない。
8.唯一の自己が他者から承認されるためには、他者との情緒の共有経験の蓄積が必要である。
すなわち、ヒトは進化の末に共感する能力を獲得して社会を形成することができた。
相互に承認しあうための仕組みが共感であり、その結果として倫理的行動が生まれる。
9.脳は無意識の内に決断し行動を引き起こす。
事後に意識が生まれるが、自己が主体であると思い込んでいるために、意図として解釈する。
行動に移さずに本当の自己の意図を想起するときに、自己意識、意識的行動が生まれる。
10.唯一の自己は関係する他者に依存するから、複数の他者によって生み出される自己は矛盾する。
ヒトはそれを回避するために自己物語を紡ぎだす。
現実の自分と自己物語の間のズレに対しては、ヒトは羞恥を感じ、
本当の自分という言い方で自己物語の自己を擁護する。
自己物語がうまく行けば、他者から見てその人は人格を持つことになる。
すなわち、行動に予想が付けやすくなるために、関係がスムースに運ぶことになる。

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翁長知事と琉球独立論と中国共産党の深~い関係〈青山繁晴〉

2015-10-05 11:44:01 | Weblog
翁長知事の国連演説について、本当はもうちょっと重大なニュースがあります。ここに若い女性、26歳の沖縄生まれ、普天間基地の移設先の名護にお住まいの我那覇真子さんとおっしゃって、沖縄では今、注目というか期待が集まっている人です。この人が(翁長知事に対する)反対演説をやったんですね。ところが、今いいましたとおり、新聞もテレビもほぼ無視なんですね。

国連といっても、国連本部ではなくて、ジュネーブにある人権理事会での演説でした。人権理事会というのは、例えば中国で中国共産党に反対の人がどんどん投獄されて、拷問も受けているおそれが極めて強いということ。あるいは、日本国民が北朝鮮に拉致されたまま、30年も40年も帰国できない。そのようなまさしく人権問題を話し合う場に、はっきり言うと直接関係のない基地をめぐる問題というのが、いきなり、しかもその自治体の長から持ち込まれるというのは、僕も長いこと国連を取材したり、国連の中にたくさんの知人もいますけれども、聞いたことも見たこともない話。

■翁長知事の国連演説は、中国の後押しで実現した

安保理常任理事国の一つ、Permanent5、永久に5大国であると言われているうちの一つの中国が、この翁長さんの後押しをして、それで実現したわけです。その中華人民共和国、ないし中国共産党の動きは――これは日本では全然報道されていませんが――実は国連の舞台で露骨なので、アメリカ、イギリス、フランスといった民主主義陣営の国連常任理事国が心配し、沖縄県民代表の我那覇真子さんが反対演説をやったというのが、ありのままの経緯です。

これは、実は国連の場では知らない人はいないわけです。ところが、国連加盟国の中でもっとも主要な国の一つである日本は、これをまったく知らないわけですね。そりゃそうですよね。今日来られている皆さんも、仕事と生活に忙しくてジュネーブやニューヨークに行くわけにはいかないじゃないですか。当たり前ですけど。そのためにメディアがあるのであって、私たちは新聞料金を払ったり、テレビCMを見たりすることによって巨額のお金が新聞社やテレビ局に入って、それで特派員を出しているわけです。

それなのに、(日本のメディアは)まったく無視。

■翁長知事の会見に埋め込まれていた「琉球独立」へのメッセージ

ニュースにはいつも尻尾、ヒントがあります。共同通信が出した翁長さんだけを持ち上げる記事の中にも、ヒントがあります。翁長さんは、演説をなさったあとに自画自賛して、集った記者団に対し、こう言いました。


「私が世界に語ったことで、県民は勇気と誇りを持つことになっただろう」

このまま聞くと、何でもないように見えるじゃないですか。でも、「あれっ?」と思った人はいると思うんですね。というのは、普天間基地で地元住民はみんな苦しんでいると。その解決方法に悩んだ揚げ句、やむを得ず辺野古に移設するという話になっているわけですね。だから、いずれにしても悩ましい話ですよね。賛成・反対は別にして。悩ましい話を、ジュネーブまで出かけていくことで、なぜ沖縄県民が「勇気と誇り」を持つんだろう? つながるようで、つながらないでしょう。

実は、この背景にあるのは深刻なことであって、これが「琉球独立論」なんですよ。

つまり、沖縄県民は「日本国沖縄県」じゃなくて、琉球王国として独立するという勇気、自分たちは日本人じゃないんだ、琉球人だと。要するに、ウチナンチューだという誇りを持つことになると。

本当は辺野古移設阻止よりも、独立論をかきたてるためだということを、翁長さんは言っちゃってるんですよ。

(基地問題が民族問題に)すり替えられていて、それを我那覇さんが的確に指摘されました。



■「中国の脅威」を感じ取っていた沖縄タイムス

反日の姿勢をとっていることで有名な地元紙の沖縄タイムスですが、深くおつきあいしてきた上で申しますと、実は色合いがやや違っています。沖縄タイムスは、「日本を愛する」という立場の記事も、琉球新報よりは載せようとするところがあります。

僕が沖縄で講演した時、沖縄タイムスはカラー写真入りで1面に載せてくれました。琉球新報は一切無視です。
僕は沖縄タイムスの方に「僕の話というのは、普通、沖縄の主流派が聞きたくない話なのに、よく載せましたね」と言ったら、


「いや、青山さんは昔から〈中国は沖縄を狙っている〉ということを、ずっと言われてきた。それがだんだん現実の影を感じるから、そういう意味で、青山という人がこういう問題提起をしているよ、という記事なんですよ」と言われた。

漠然と感じていた琉球新報と沖縄タイムスとの違いを感じたんですね。



■沖縄タイムスが公正に報道した、我那覇真子さんのスピーチ

以下は、沖縄タイムスがジュネーブに臨時特派員を出して、その記者の署名入りで出た記事です。


名護市の我那覇真子さん(26歳)が22日、国連人権理事会で翁長知事に反論する声明を発表した。

「中国は沖縄県民に先住民であると言わせて、沖縄を独立させようとしている。私たちは先住民ではない。プロパガンダ(政治宣伝)を信じないでください」と訴えた。(沖縄タイムスより)

ズバッと、一番大事なところが出ています。

産経新聞は、我那覇さんのスピーチをこう報道しました。


「沖縄が先住民の土地だと主張することで、沖縄を独立に導こうとする人たち、それを支持する中国こそが地域の平和と安定を脅かし、人権への脅威だ」と報告した。(産経新聞より)



■中国共産党が福岡の中国総領事に指示。「仲井真は我々に非協力的。もう終わりだ」

翁長知事が那覇市長の時期に、中国共産党と中国共産党の工作機関がどうやって接近したか。沖縄県在住の華僑の方、あるいは県庁の内部職員から情報が提供されて、日本の情報機関はほぼ全部を把握しています。

特定秘密保護法が施行されていますが、僕は法に違反せずに、その内容を正当な手段で、ほぼ全部把握しています。

九州の福岡に中国の総領事館があって、そこに総領事がいらっしゃるんですね。現在の総領事の前の時代に中国共産党から指示がおりて、「仲井真知事は高齢だから、仮に三選を目指したとしても恐らく当選できない」、というか、非公開の記録を丁寧にたどっていくと、実はそこは読み間違っていて、「出ないだろう」と。

もともと沖縄は敗戦後、あるいはその前の時代から、トップは2期までしかやっていないんですよ。中国はそれも考え、仲井真さんは高齢だと考えて、「三選は無い」と思ったんです。実際はお出になって落選したんですが。いずれにしろ、「仲井真は終わりだ」と。その秘密文書には「仲井真知事は我々に非協力的だった」と書いてあるんです。

■仲井真前知事は、中国の沖縄侵略に危機感を持っていた

これは僕にはよく分かる話で、今だからもう言っていいと思うんですが、仲井真さんと知事時代に2人きりで知事応接室で会っていた時に、こうおっしゃったんですよ。


「私の家系は中国からやってきた渡来人。そういう家系だからこそ中国の狙いが大変よく分かる。尖閣諸島で止まるはずはなく、必ずこの沖縄本島を狙ってくる。それも直接侵略するような、子供っぽいわかりやすいやり方ではなく、まず文化で侵略してくる」

孔子学院というのを沖縄県に作ってしまった。孔子学院は中国語の語学スクールということになっているけれども「中国共産党が正しい」という事を語学のテキストから刷りこんでいくやり方です。これは工作活動ということで、アメリカの大学で大問題になっている。

沖縄では工作活動とは言われずに、孔子学院で中国語を学ぶ人が増えている。仲井間さんはこれを心配していた。

なぜ僕にその話をされたかというと、


「東京に行って総理大臣に話をしても、なかなか胸襟を開いてくれない。青山さんは東京に知り合いも多く、全く利害関係を持たない自由な立場と聞いているから、東京に行って聞いてほしいことがある。

本当に中央は大丈夫なのか? 

中央の与党の中にも親中の先生方が沢山いて、歴代の総理の中にも中国と関係の深い人が、国民が知っているよりもっとたくさんいる。

そういう中央の政治が、中国が本当に沖縄本島に手を伸ばしてきた時に沖縄をちゃんと守るのか?

尖閣諸島の現状を見ると心配だから、本気で守る気があるのか確かめてください」

そう言われて、僕は正しい問題認識だと思って、東京でその時の総理も含めてお会いしたり電話したりしました。

もちろん「守りません」と言う人はいないけど。僕も本土の人間として、もう一度沖縄に行って仲井真知事に話をしたら、「青山さんの話は分かったけど、やっぱり信用できない」と。

どうなさったかというと、県庁の中に「安全保障課」を創ったんです。自治体の中に安全保障課が出来るとビックリするでしょう。だって安全保障は国の仕事ですから。僕は


「安全保障は国家がやるべきものであって、自治体が介入するというのは国際社会から見ておかしな話。そもそも辺野古移設がこんなにもめるというのは、国家同士が合意しているのに、地元が反対と言うと止まるというのが、日本社会の歪んだところなんだ。それは原発から出るゴミの問題も同じ。安全保障課を創るのはおかしい」

と言ったんですよ。仲井真さんはムッとして、ご機嫌斜めになったけど、その後色々考えられて安全保障課に「地域」という名前を付けたんです。「地域安全保障課」を創った。それを見て中国共産党は「仲井真は駄目だ。中国の言うことをきかない」と。



■沖縄の次期県知事候補を決めているのは、中国共産党だった!

どうしたかというと、福岡の総領事が那覇に入って華僑を集めたんです。その席で


「仲井真県政はもう終わりだ。我々は良き候補者を探した。那覇市長の翁長雄志がなかなか見どころがある。この人物は自由民主党の沖縄県連幹事長をやった人間だが、自由民主党には中国共産党は太いパイプを持っている」と明言した。



■県知事選を直接、指揮した中国の福岡総領事

翁長さん一人の問題じゃないんですよ。自民党が如何に腐っているかということでもある。その総領事は口もすべったんでしょうが、胸を張りながら「中国共産党は、自民党にも民主党にもその他の政党にも太いパイプを持っている」と言ったそうですよ。その上で「翁長には接触を始めていて、十分見どころがあるからこれを支えろ。資金協力しろ」という話をした。

その後に福岡の総領事が交代したんです。中国共産党の隠れた序列でもっと高い人物が総領事館にやってきて、その人物が直接、沖縄県知事選を指揮したんです。

■翁長知事を知事に擁立した中国の真の狙い

知事選の真っ最中、翁長さんを擁立した時に再び華僑を集めて何を発言したかというと


「この知事選の目的は2つある。

一つはアメリカ軍を追い出すこと。その為には普天間問題は非常に良いテーマである。

もう一つは「琉球を独立させる」という話を盛り上げること。

今までは単なるお話だったが、翁長が当選したら現実の問題にだんだんとしていくから、その時に世論を、大学であったり、学者であったり、ジャーナリストであったり、メディアであったり、そういうところに強力な資金を使って琉球独立論を盛り上げろ」と言って。

その際にもう一つ、重大な発言があった。


「これは中国共産党の直接の指示である。分かっているな」

と華僑の方々に言ったそうです。日本の情報機関は、これらを全部つかんでいます。全部つかんでいるだけで、でも日本にはスパイ防止法がないので、つかんでいるだけ。

■翁長知事になってから、中国による沖縄独立工作が激しくなっている

僕が知っている沖縄の94歳の県民の方から聞いた話では、ご家庭によっては、小学生までもが、「中国はずっと沖縄を独立させようとしている。翁長知事になってから、それが激しくなった」ということを、知っているというんです。

みんな知っているから、いろいろ言われても、沖縄タイムスは、(我那覇さんの演説で)中国を名指しにしているところを、あえて記事にしたんです。ここに救いがある。



■「琉球処分」は、実は沖縄を西欧列強の侵略から護るために行った!

僕たち日本国民全員は、あらためて沖縄の歴史をきちんと勉強したほうがいい。

もともと琉球王国は独立していたが、日本が明治維新になったとき、薩摩藩が吸収した。その時にいろいろあって、廃藩置県があって薩摩藩がなくなり、その時に沖縄県ということにしたのであって、日本が琉球王国を吸収したと僕も教わった。しかし、これは日本だけじゃなく、例えばアメリカの国立公文書館などにある資料やロンドンの資料などをたどっていくと、公平にいうと、まず1853年、アメリカのペリー艦隊が浦賀に来たのは誰でも知っている。

ペリーの大きな目的の一つは、琉球をいただくことだったんです。これはアメリカだけではなく、フランスなど、当時の西欧列強は沖縄を取ろうとしたという厳然とした事実があって、ペリー艦隊の動きについても、沖縄が大きな焦点になっていた。

つまり、あの時、なぜ明治維新が起きたか。隣の中国がアヘン戦争で負けて、イギリスが中国の人々にアヘンを売りつけて中国人をだめにして、のっとってしまった。あまりにもおかしいというので清が怒ったら、イギリスが戦争をして属国にし、アヘンをどんどん売るようにした。それを日本は隣で見ていて、目覚めていった。これは西洋人がアジアを植民地にしようとしていると気づいた。

今の幕府の体制ではとてももたないので、侍という階級を温存するのではなく、軍を近代化して西洋列強と立ち向かえるものにしなければならない。そのための大改革が明治維新だったわけです。

その明治維新の大きな目的の中に、沖縄県も入っているわけです。なぜかとういと、そのままにしておくと、必ずイギリスかアメリカかフランスかドイツ、特にアメリカはペリーが沖縄に重大な関心を寄せていたので、沖縄を護るために(日本に)取り込んだというのが、廃藩置県の中での沖縄県の設置なんです。

それを、琉球王国を吸収合併して護ろうとした話はどこかに吹っ飛んでしまって、あたかも敵対するかのような話を、ずっと僕らも学校で教わってきた。そうすると、沖縄のことを考えている人でも、「いや、もともとは琉球王国だったんじゃないか」という、要するに、感情をうまく刺激される話に自分の頭の中で置き換えられてしまっているんですね。

翁長さんがこんな演説して、はっきり言って恥さらしですよ。国内のもめ事を、わざわざ不釣り合いな場に出して、こんなことを言っているというのは、情けない話ですけど、それで終わらせないで、そもそも僕たちは沖縄のことを本当に理解しているのか。沖縄へ行って居酒屋で会ったウチナンチューと議論する時に、実は日本の中の沖縄、祖国の沖縄というのはこうなんですという話が、はたしてできるのか。

沖縄の歴史は、歪められて伝えられている。

それをもう一度、僕らで一緒にやり直しませんか。






木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示

2015-10-01 11:53:26 | Weblog
立て分け

神は姿形を神に似せたる人間をこの地球につくられし。
神は人間に多くの恵みを与えたる。
他の動物には無き心、知恵を与えらるる。
言葉、光、水、自然の恵み、それぞれの国々に見合いし食物、薬草。ありあまらん程に与えらるるを。
人間の欲望はさらに人より多くの物、人よりも富み、人よりも偉く、人よりも名誉をと、留まる事を知らず。
さにて、地球は荒らされ資源は貪りつくされ、挙げ句の果てに温暖化現象の危機にさらされん。
人の心の中には善と悪とが住みゆくものなり
善のみにても人は向上無き。
悪のみにてもならぬ。
善と悪とのバランスを取り、人は己の心の中の悪と戦いて向上せん。
ゆえに必要悪は神も許されし。
されど、この世、悪の心強きて魂穢れゆくばかり。
今この地球の危機の時、神はついに決断され、いよいよ降り立ち、神自ら人を立て分け立て直し、人類を救わんとさるる。
この世の全ての物、神の御意図にて変えられん。
必要なき文明、安全怠りし設備、機械、様々な物、場所、団体に宿りし様々の問題、悪なるを全て炙り出し表面化されん。
文明は便利なる。
文明により快適に暮らし、人間向上さるるを神は望まれん。
されど、文明の使い方誤れば、不便利なる。
特に人間のおごりにてさらなる不具合呼ぶなり。
機械一つの故障にて都市機能麻痺し、会社の機能も麻痺するなれば、文明の便利さ何の役にも立たず。
役に立つ文明は不備、不具合を整え、次の世にも役立たせるなり。
役に立たぬ文明はことごとく淘汰されん。
全ての物を立て分け立て替え立て直し、かくしてこの世は清められ浄化され、人住みやすく、神を迎え共に暮らしやすき地球となるなり。
神許しゆく者、この世に留まり神と共にこの世作らん。
さなる魂の者を一人でも多くと神はひたすら願わるる。
神から遠く離れゆくとも気づきて向上あるなれば、神再び手を差し伸べん。神と共に立て替え立て直しの手助けするを許さるる。
(再掲)