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日本スピリチュアリズム史上最高の霊界通信 小桜姫物語

2015-10-26 15:58:57 | Weblog
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解説

――本書を繙ひもとかるる人達の為に――

淺野和三郎

 本篇ほんぺんを集成しゅうせいしたるものは私わたくしでありますが、私自身わたくしじしんをその著者ちょしゃというのは当あたらない。私わたくしはただ入神中にゅうしんちゅうのT女じょの口くちから発はっせらるる言葉ことばを側はたで筆録ひつろくし、そして後あとで整理せいりしたというに過すぎません。
 それなら本篇ほんぺんは寧むしろT女じょの創作そうさくかというに、これも亦また事実じじつに当あてはまっていない。入神中にゅうしんちゅうのT女じょの意識いしきは奥おくの方ほうに微かすかに残のこってはいるが、それは全然ぜんぜん受身うけみの状態じょうたいに置おかれ、そして彼女かのじょとは全然ぜんぜん別個べっこの存在そんざい――小櫻姫こざくらひめと名告なのる他たの人格じんかくが彼女かのじょの体躯たいくを司配しはいして、任意にんいに口くちを動うごかし、又また任意にんいに物ものを視みせるのであります。従したがってこの物語ものがたりの第だい一の責任者せきにんしゃはむしろ右みぎの小櫻姫こざくらひめかも知しれないのであります。
 つまるところ、本書ほんしょは小櫻姫こざくらひめが通信者つうしんしゃ、T女じょが受信者じゅしんしゃ、そして私わたくしが筆録者ひつろくしゃ、総計そうけい三人にんがかりで出来でき上あがった、一種しゅ特異とくいの作品さくひん、所謂いわゆる霊界れいかい通信つうしんなのであります。現在げんざい欧米おうべいの出版界しゅっぱんかいには、斯こう言いった作品さくひんが無数むすうに現あらわれて居おりますが、本邦ほんぽうでは、翻訳書ほんやくしょ以外いがいにはあまり類例るいれいがありません。
 T女じょに斯こうした能力のうりょくが初はじめて起おこったのは、実じつに大正たいしょう五年ねんの春はるの事ことで、数かぞえて見みればモー二十年ねんの昔むかしになります。最初さいしょ彼女かのじょに起おこった現象げんしょうは主しゅとして霊視れいしで、それは殆ほとんど申分もうしぶんなきまでに的確てきかく明瞭めいりょう、よく顕幽けんゆうを突破とっぱし、又また遠近えんきんを突破とっぱしました。越こえて昭和しょうわ四年ねんの春はるに至いたり、彼女かのじょは或ある一ひとつの動機どうきから霊視れいしの他ほかに更さらに霊言れいげん現象げんしょうを起おこすことになり、本人ほんにんとは異ちがった他たの人格じんかくがその口頭機関こうとうきかんを占領せんりょうして自由自在じゆうじざいに言語げんごを発はっするようになりました。『これで漸ようやくトーキーができ上あがった……』私達わたくしたちはそんな事ことを言いって歓よろこんだものであります。『小櫻姫こざくらひめの通信つうしん』はそれから以後いごの産物さんぶつであります。
 それにしても右みぎの所謂いわゆる『小櫻姫こざくらひめ』とは何人なんびとか? 本文ほんぶんをお読よみになれば判わかる通とほり、この女性じょせいこそは相州そうしゅう三浦みうら新井城主あらいじょうしゅの嫡男ちゃくなん荒次郎あらじろう義光よしみつの奥方おくがたとして相当そうとう世よに知しられている人ひとなのであります。その頃ころ三浦みうら一族ぞくは小田原おだわらの北條氏ほうじょうしと確執かくしつをつづけていましたが、武運ぶうん拙つたなく、籠城ろうじょう三年ねんの後のち、荒次郎あらじろうをはじめ一族ぞくの殆ほとんど全部ぜんぶが城しろを枕まくらに打死うちじにを遂とげたことはあまりにも名高なだかき史的事蹟してきじせきであります。その際さい小櫻姫こざくらひめがいかなる行動こうどうに出でたかは、歴史れきしや口碑こうひの上うえではあまり明あきららかでないが、彼女自身かのじょじしんの通信つうしんによれば、落城後らくじょうご間まもなく病やまいにかかり、油壺あぶらつぼの南岸なんがん、浜磯はまいその仮寓かぐうでさびしく帰幽きゆうしたらしいのであります。それかあらぬか、同地どうちの神明社内しんめいしゃないには現げんに小桜神社こざくらじんじゃ(通称つうしょう若宮様わかみやさま)という小社しょうしゃが遺のこって居おり、今尚いまなお里人りじんの尊崇そんすうの標的まとになって居おります。
 次つぎに当然とうぜん問題もんだいになるのは小櫻姫こざくらひめとT女じょとの関係かんけいでありますが、小櫻姫こざくらひめの告つぐる所ところによれば彼女かのじょはT女じょの守護霊しゅごれい、言いわばその霊的れいてき指導者しどうしゃで、両者りょうしゃの間柄あいだがらは切きっても切きれぬ、堅かたき因縁いんねんの羈絆きずなで縛しばられているというのであります。それに就つきては本邦ほんぽう並ならびに欧米おうべいの名なある霊媒れいばいによりて調査ちょうさをすすめた結果けっか、ドーも事実じじつとして之これを肯定こうていしなければならないようであります。
 尚なお面白おもしろいのは、T女じょの父ちちが、海軍将校かいぐんしょうこうであった為ために、はしなくも彼女かのじょの出生地しゅっしょうちがその守護霊しゅごれいと関係かんけい深ふかき三浦半島みうらはんとうの一角かく、横須賀よこすかであったことであります。更さらに彼女かのじょはその生涯しょうがいの最もっとも重要じゅうようなる時期じき、十七歳さいから三十三歳さいまでを三浦半島みうらはんとうで暮くらし、四百年ねん前ぜん彼女かのじょの守護霊しゅごれいが親したしめる山河さんがに自分じぶんも親したしんだのでありました。これは単たんなる偶然ぐうぜんか、それとも幽冥ゆうめいの世界せかいからのとりなしか、神かみならぬ身みには容易よういに判断はんだんし得うる限かぎりではありません。
 最後さいごに一言ごんして置おきたいのは筆録ひつろくの責任者せきにんしゃとしての私わたくしの態度たいどであります。小櫻姫こざくらひめの通信つうしんは昭和しょうわ四年ねん春はるから現在げんざいに至いたるまで足掛あしかけ八年ねんに跨またがりて現あらわれ、その分量ぶんりょうは相当そうとう沢山たくさんで、すでに数冊すうさつのノートを埋うずめて居おります。又またその内容ないようも古今ここんに亘わたり、顕幽けんゆうに跨またがり、又また或ある部分ぶぶんは一般的ぱんてき、又また或ある部分ぶぶんは個人的こじんてきと言いった具合ぐあいに、随分ずいぶんまちまちに入いり乱みだれて居おります。従したがってその全部ぜんぶを公開こうかいすることは到底とうてい不可能ふかのうで、私わたくしとしては、ただその中なかから、心霊的しんれいてきに観みて参考さんこうになりそうな個所かしょだけを、成なるべく秩序ちつじょを立たてて拾ひろい出だして見みたに過すぎません。で、材料ざいりょうの取捨しゅしゃ選択せんたくの責せめは当然とうぜん私わたくしが引受ひきうけなければなりませんが、しかし通信つうしんの内容ないようは全然ぜんぜん原文げんぶんのままで、私意しいを加くわへて歪曲わいきょくせしめたような個所かしょはただの一箇所かしょもありません。その点てんは特とくに御留意ごりゅういを願ねがいたいと存ぞんじます。

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