思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

霊界通信 新樹の通信 浅野和三郎 より

2015-10-20 11:41:59 | Weblog


(四) 幽界人の姿その他


 幽界の居住者と交通を行うに当りて、誰しも先まずききたがるのは彼等の生活状態、例えばその姿やら衣食住に関する事柄やらでありましょう。彼の父の質問も決してその選には漏れませんでした。

 手帳を繰り拡げて見ると、彼の父が初めて亡児に向い、かれが幽界で執っている姿につきて質問を発したのは七月二十六日、第九回目の招霊を行った時でした。

問『現在汝おまえは以前の通り、自身の躯からだがあるように感ずるか?』

 すると亡児は考え考え、次ぎのように答えました。――

答『自分というものがあるようには感じますが、しかし地上に居いた時のように、手だの、足だのが、あるようには感じません……。と言ってただ空くうなのではない、何物なにかがあるようには感じます。そして造ろうと思えばいつでも自分の姿を造れます……。』

 この答えは一と方ならず彼の父を考えさせました。在来欧米に現われたる幽界通信によれば、彼岸の居住者の全部は生前そっくりの姿、或はそれをやや理想化し、美化したような姿を固定的に有もっているように書いてあります。これは深く霊魂問題に思いをひそむる者の多年疑問とせる点で、これが果して事実の全部かしら? という疑いが常に胸の奥の奥で囁きつつあったのであります。が、多くの幽界通信の所説を無下むげに排斥することも亦また乱暴な仕業でありますので、止むなくしばらくこれに関して最後の結論を下すことを避けて居いた訳なのですが、今この亡児の通信に接し、彼の父は何やら一道の光明に接したような気がしたのでした。

『こりゃ面白い』と彼の父は独語しました。『幽界居住者の姿はたしかに造りつけのものではないらしい。それにはたしかに動と静、仮相と実相との両面があるらしい……。』

 殆ほとんどこれと前後して、彼の父はスコット女史の躯を通じて現われた『ステッドの通信』を読みましたが、その中にほぼ同様の意味の事が書いてあったので、ますますこの問題に興味を覚え、この日の質問をきっかけに幾度かこれに関して亡児と問答を重ねました。亡児も亦また面白味がついたと見え、自分の力量ちからの及ぶ限り、又自分で判らぬ時には母の守護霊その他の援助を借りて相当具体的の説明を試みました。八月三十一日の朝彼の父と亡児との間に行われた問答はその標本の一つであります。――

問『幽界人の姿に動と静と二た通りあるとして、それならその静的状態の時には全然姿はないのか? それとも何等かの形態を有もっているのか?』

答『そりゃ有もっていますよ。僕等の平常ふだんの姿は紫っぽい、軽そうな、フワフワした毬まり見たいなものです。余り厚みはありませんが、しかし薄っぺらでもない……。』

問『その紫っぽい色は、すべての幽体に通有の色なのか?』

答『皆紫っぽい色が附いて居ますよ。しかし浄化するにつれて、その色がだんだん薄色になるらしく、現にお母さんの守護霊さんの姿などを見てみると、殆ほとんど白いです。ちょっと紫っぽい痕跡があるといえばありますが、モー九分通り白いです……。』

問『その毬まり見たいな姿が、観念の動き方一つで生前そっくりの姿に早変りするというのだね。妙だナ……。』

答『まあちょっと譬えていうと速成の植物の種子たねのようなものでしょう。その種子からぱっと完全な姿が出来上るのです……。』

問『その幽体も、肉体同様やがて放棄される時が来るだろうか?』

答『守護霊さんにきいたら、上の界へ進む時はそれを棄てるのだそうです。――しかし、必要があれば、その後でも幽体を造ることは造作ぞうさもないそうで……。』

問『幽界以上の界の居住者の形態は判るまいか?』

答『判らんこともないでしょう、僕には沢山指導者だの顧問だのが附いて居いて、何でも教えて貰えますから……。お父さんは一段上の界を霊界と呼んで居おられるようですが、只今僕の守護霊さんに訊きいてみましたら、霊界の居住者の姿も大体幽界のそれと同一で、ただその色が白く光った湯気の凝体かたまり見たいだといいます。――こんな事をただ言葉で説明してもよくお判りになれないでしょうから、お母さんの霊眼に一つ幽体と霊体との実物をお目にかけましょうか?』

 彼の父が是非そうしてくれと註文すると、間もなく彼の母の閉じたる眼底に、極めてくっきりと双方が映じ出でたのでした。後で統一から覚めて物語るところによると、どちらもその形状は毬又は海月くらげのようで、ただ幽体には紫がかった薄色がついて居おり、そしてどちらも生気躍動と言った風ふうに、全体にこまかい、迅い、振動が充ち充ちていたといいます。

 この種の問答はまだ数多くありますが、徒いたずらに重複することをおそれ、ただ比較的まとまりの良い、第四十六回目(昭和四年十二月二十九日午後)の問答を以もってすべてを代表させることに致します。この日は昭和四年度の最終の招霊と思いましたので、多少の繰返しを厭わず、お浚さらい式のものにしたのでした。――

問『多少前にも尋ねたことのあるのが混るだろうが、念の為めにモー一度質問に応じて貰いたい。――汝おまえが伯父さんに招よばれて初めて死を自覚した時に自分の躯からだのことを考えて見たか?』

答『そうですね……。あの時、僕、真先きに自分の躯からだのことを思ったようです。するとその瞬間に躯からだが出来たように感じました。触さわって見ても矢張り生前そっくりの躯からだで、別にその感じが生前と異ちがいませんでした。要するに、自分だと思えばいつでも躯からだができます。若い時の姿になろうと思えば勝手にその姿にもなれます。しかし僕にはドーしても老人の姿にはなれません。自分が死んだ時分の姿までにしかなれないのです。』

問『その姿はいつまでも持続して居いるものかな?』

答『自分が持続させようと考えている間は持続します。要するに持続すると否とはこちらの意思次第のようです。又僕が絵を描かこうとしたり、又は水泳でもしようとしたりするとその瞬間に躯が出来上がります。つまり外部に向って働きかけるような時には躯が出来るもののように思われます。――現に今僕が斯こうしてお父さんと通信している時には、ちゃーんと姿ができています……。』

問『最初汝おまえは裸体姿の時もあったようだが……』

答『ありました。ごく最初気がついた時には裸体のように感じました。こりゃ裸体だな、と思っていると、その次ぎの瞬間にはモー白衣を着ていました。僕、白衣なんかイヤですから、その後は一度も着ません。くつろいだ時には普通の和服、訪問でもする時には洋服――これが僕の近頃の服装です。』

問『汝おまえの住んでいる家屋は?』

答『何んでも最初、衣服の次ぎに僕が考えたのは家屋のことでしたよ。元来僕は洋館の方が好きですから、こちらでも洋館であってくれれば良いと思いました。するとその瞬間に自分自身の置かれている室が洋風のものであることに気づきました。今でも家屋の事を思えば、いつでも同じ洋風の建物が現われます。僕は建築にあまり趣味を有もちませんから、もちろん立派な洋館ではありません。丁度僕の趣味生活に適当した、バラック建ての、極めてざっとしたもので。』

問『どんな内容か、モ些すこし詳しく説明してくれないか?』

答『東京辺の郊外などによく見受けるような平屋建で、室は三間まばかりに仕切ってあります。書斎を一番大きく取り、僕いつも其所そこに居おります。他の室は有っても無くても構わない。ホンの附録物つけたりです。』

問『家具類は?』

答『ストーヴも、ベットも、又台所道具のようなものも一つもありません。人間の住宅と異ちがって至極あっさりしたものです。僕の書斎には、自分の使用する卓子と椅子とが一脚づつ置かれて居いる丈です。書棚ですか……そんなものはありませんよ。こんな書物を読みたいと思えば、その書物はいつでもちゃーんと備わります、絵の道具なども平生から準備して置くというような事は全然ありません。』

問『汝おまえの描かいた絵などは?』

答『僕がこちらへ来て描いた絵の中で、傑作と思った一枚丈が保存され、現に僕の室に懸けてあります。装飾品はただそれきりです。花なども、花が欲ほしいと思うと、花瓶まで添えて、いつの間まにやら備わります。』

問『現在斯こうして通信して居いる時に、汝おまえはどんな衣服を着て居いるのか?』

答『黒っぽい和服を着て居ます。袴は穿はいていません。先まず気楽に椅子に腰をかけて、お父さんと談話はなしを交えている気持ですね……。』

問『庭園なども附いているのかい?』

答『附いていますよ。庭は割合に広々と取り、一面の芝生にしてあります。これでも自分の所有ものだと思いますから、邸やしきの境界を生籬いけがきにしてあります。大体僕華美はでなことが嫌いですから、家屋の外周そとまわりなども鼠がかった、じみな色で塗ってあります。』

問『イヤ今日は話が大へん要領を得て居いるので、汝おまえの生活状態が髣髴ほうふつとして判ったように思う。――しかし、私との通信を中止すると汝おまえは一体ドーなるのか?』

答『通信が済んで了しまえば、僕の姿も、家も、庭も、何も彼かも一時に消えて了しまって、いつものフワフワした凝塊かたまり一つになります。その時は自分が今何所どこに居いるというような観念も失うせます。』

問『自我意識はドーなるか?』

答『意識がはっきりした時もあれば、又眠ったような時もあり、大体生前と同一です。しかし、これは恐らく現在の僕の修行が足りないからで、追い追い覚めて活動して居いる時ばかりになるでしょう。現に近頃の僕は、最初とは異ちがって、そう眠ったような時はありません。その事は自分にもよく判ります。』

問『汝おまえの住宅すまいにはまだ一人も来訪者はないのか?』

答『一人もありませんね……。幽界へ来ている僕の知人の中にはまだ自覚している者が居ないのかも知れませんね……。』

問『そんな事では寂さびしくて仕しょうがあるまい。その中うち一つ汝おまえのお母ァさんの守護霊にでも依んで、訪問して貰おうかナ……。』

答『お父さん、そんな事ができますか……。』

問『そりゃきっとできる……できなければならない筈だ。汝おまえ等の世界は大体に於おいて想念の世界だ。ポカンとして居おれば何もできまいが、誠心誠意で思念すればきっと何んでもできるに相違ない……。』

答『そうでしょうかね。兎に角お父さん、これは宿題にして置いてください。僕行やって見たい気がします……。』

 この日も彼の母の霊眼には彼の幽界に於ける住宅がまざまざと映じましたが、それは彼の言って居いるとおり、頗すこぶるあっさりした、郊外の文化住宅らしいものだったとの事でした。その見取図もできてはいますが、格別吹聴ふいちょうするほどのものでもないから爰ここには省きます。



(五) 彼岸の修行


 新樹は一たい幽界に於おいて何どんな修行をして居いるか? という事は最初から彼の父が訊きこうとつとめた点でした。

 昭和四年七月二十五日第十回目の招霊の際の記録を繙ひもといて見ると彼の父は彼の幽界に於ける指導者について質問して居ました。

問『汝おまえにはやはり生前の守護霊が附いて居いて、その方かたに指導して貰っているのか?』

答『守護霊の事をいうと僕何んだか悲しくなるからその話は止めてください……。現在僕を指導してくださるのは、何いずれもこちらへ来てから附けられたもので、皆んなで五人居おります。その中で一番僕がお世話になるのは一人のお爺さんです……。』

問『その五人の指導者達の姓名は?。』

答『めいめい受持があって、想えばすぐ答えてくださるから名前などは要いらないです……。』

問『その五人の受持は?』

答『六ヶむつかしいなあドーも……。まだ僕には答えられない。とに角僕が何かの問題をききたいと思うと、五人の中の誰かが出て来て教えてくださる。』

問『幽界で汝おまえの案内をしてくれる人もあるのか?』

答『ありますよ。案内してくださるのはお爺さんの次位つぎの人らしい……。』

問『現界と通信する時は誰が世話してくれるのか?』

答『いつもお爺さんです。』

問『勉強して居いる科目の内容はどんなものか?』

答『僕慣れていないので、細かい話はまだできない。よく先きの事……神界の事などを教えられます。』

 同年八月三日第十五回目の招霊の際には書物の事が話題になって居ました。

問『汝おまえが書物を読んでいる姿が昨日母の霊眼に映じたが、実際そんな事があったのか?』

答『読んで居ました。あれは霊界の事を書いてある書物です。僕が書物を読もうと思うと、いつの間にか書物が現われて来るので……。』

問『その書物の用語は?』

答『あの時のは英語で書いてありました。ちょっと六ヶむつかしい事も書いてあるが、しかし生前英語の書物を読んだ時の気分と現在の気分とを比較して見ると、現在の方がよほど判りよい。じっと見つめて居いると自然に判って来ます。』

問『書物は何冊も読んだか?』

答『ソー何冊も読みはしません。事によると幽界の書物は一冊しかないのかも知れません。こちらで査しらべようと思うことが、何でも皆それに書いてあるらしく思われますよ。つまり幽界の書物というのは、思想そのものの具象化で、読む人の力量次第で、深くもなれば又浅くもなり、又求むる人の註文次第で、甲の問題も乙の問題もその一冊で解決されると言った形です。僕にはどうもそうらしく感じます。』

問『その書物の著者は誰か? 又それに標題がついていたか?』

答『著者も標題もありませんよ……。』

問『汝おまえが読んだものをこちらへ放送してくれないか?』

答『お父さん、現在の僕にはまだとてもそんな事はできませんよ。こんな通信の仕方では僕の思っていること、感じていることの十分の一も伝えられはしませんもの……。』

問『今汝おまえは書物がいつの間にか現われると言ったが、一たい何人だれがそんな事をしてくれるのだろう? ただで書物が現われる筈はないと思うが……。』

答『それはそうでしょう。自分一人で行やっているつもりでも、案外蔭から神さん達がお世話をしてくだすって居おられますからね。書物なども矢張り指導者のお爺さんが寄越よこしてくれたのでしょう。……きっとそうです。』

 亡児は又修行の一端として、ときどき幽界の諸方面の見学などもやっているようですが、その内容を爰ここに併記するのは混雑を来す虞おそれがあるので差控えます。

 とに角、幽界の修行と言ってもその向う方面はなかなか複雑なものであるらしく、とても簡単に片づけることはできませんが、しかし幽界の修行の中心は、詮じつめれば之これを精神統一の一語に帰し得るようです。

 精神統一……これは現世生活に於おいても何より大切な修行で、その人の真価は大体これで決せらるるようであります。五感の刺戟のまにまに、気分の向うまにまに、あちらの花にあこがれ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとした、落ついたところが無かった日には、五七十年の短かい一生はただ一場の夢と消え失せて了しまいます。人間界の気のきいた仕事で何か精神統一の結果でないものがありましょう。

 が、物質的現世では統一三昧ざんまいに耽らずとも、ドーやらその日その日を暮らせます。ところが、一たん肉体を棄てて幽界の住民となりますと、すべての基礎を精神統一の上に置かなければ到底収まりがつかぬようです。

 新たに帰幽したものが、通例何より苦しめられるのは、現世の執着であり、煩悩であり、それが心の闇となりて一寸先きも判らないようであります。地上の闇ならば、之これを照すべき電燈も、又瓦斯ガス燈もありますが、帰幽者の心の闇を照らすべき燈火ともしびは一つもありません。心それ自身が明るくなるより外に幽界生活を楽しく明るくすべき何物もないのであります。

 そこで精神統一の修行が何より大切になるのであります。一切の雑念妄想を払いのけ、じっと内面の世界にくぐり入り、表面にこびりついた汚れと垢とから離脱すべく一心不乱に努力する。それを繰りかえし繰りかえしやっている中うちに、だんだん四辺あたりが明るくなり、だんだん幽界生活がしのぎ易いものになる。これより外に絶対に幽界で生きる途はないようです。

 昭和五年二月の十六日、亡児はそれに関して次ぎのように述べて居ます。――

『僕が最初こちらで自覚した時に、指導役のお爺さんから真先きに教えられたのは、精神統一の必要なることでした。それをやらなければ、いつまで経たっても決して上へは進めないぞ!……。そう言われましたので、僕は引続いてそれに力をつくして居ます。その気持ですか……僕、生きている時一向統一の稽古などをしなかったので、詳しい比較を申上げることはできませんが、一と口にいうと何も思わない状態です。いくらか睡っているのと似ていますが、ずっと奥の奥の方で自覚して居いるようなのが少々睡眠とは異ちがいますネ。僕なんかは現在こちらでそうして居いる時の方が遥かに多いです。最初はそうして居いる際にお父さんから呼ばれると、丁度寝ぼけている時に呼ばれたように、びっくりしたものですが、近頃ではモーそんな事はありません。お父さんが僕の事を想ってくだされば、それはすぐにこちらに感じます。それ丈、幾らか進歩したのでしょうかしら……。この間お母さんの守護霊さんに逢った時、あなたも矢張り最初は現世の事が思い切れないでお困りでしたか、と訊きいて見ました。すると守護霊さんも矢張りそうだったそうで、そんな場合には、これは可いけないと自分で自分を叱りつけ、精神を統一して、神さまにお願いするのだと教えてくれました。守護霊さんは閑静な山で精神統一の修行を積まれたそうですが、僕は矢張り自分の室が一番良いです。だんだん稽古したお蔭で近頃僕は執着を払いのけることが少しは上手になりました。若もしひょっと雑念が萌きざせば、その瞬間、一生懸命になって先まず神さんにお願いします。すると忽たちまちぱらっとした良い気分になります。又こちらでは精神統一を、ただ執着や煩悩を払うことにのみ使うのではありません。僕達は常に統一の状態で仕事にかかるのです。通信、調査、読書、訪問……何一つとして統一の産物でないものはありません。統一がよくできるできないで、僕達の幽界に於ける相場がきまります……。』

 以上はやっとの思いで幽界生活に慣れかけた一青年の告白として、幼稚な点が多いのは致方がありませんが、幾分参考に資すべき個所がないでもないように感じられます。



(六)母の守護霊を迎う


 新樹が少しく、幽界生活に慣れるのを待ち構えて、彼の父は、そろそろ彼に向い、訪問、会見、散歩、旅行等の註文を発しました。これは一つにはその通信の内容を豊富ならしめたい為めでもありましたが、又これによりて成るべく亡児の幽界に於ける活動力を大きくし、同時に、若くして父母兄妹と死別せる亡児の、深い深い心の疵きずを、成るべく早く癒してやりたい親心からでもありました。斯こうした方針は今後も恐らくかはることがないでしょう。爰ここには亡児が彼の住宅に母の守護霊を迎えた時の模様を紹介したいと思います。

 彼の父が初めて来訪者の有無につきて亡児に質問したのは、昭和四年十二月二十九日のことでした。その時亡児が母の守護霊の来訪を希望する模様でしたので、早速その旨を守護霊に通じました。

問『子供が大へん寂びしそうですから、あなたに一つお客様になって戴きたいのですが……。』

答『そうで厶ございますか。それは大へん面白いと思います。良い思いつきです……。』

問『ではあなたからちょっとその旨を子供の方に伝えて戴きましょうか。』

答『承知致しました。(少時の後)あの子にそう申しましたら大へんに歓びまして、それではお待ち致しますから、との返答へんじで厶ございました。』

 その日はそれっきりで分れましたが、昭和五年一月元旦、彼の父は右の約束どおり、亡児を呼んで、早速母の守護霊の来訪を求めさせました。地上生活とは異なり、こんな場合には、極めて簡単で、亡児がそう思念すれば、それが直ちに先方に通じ、そして先方からは瞬く間に来訪すると言った仕掛であります。

 それでも亡児は最初ちょっとモジモジしながら、――

『招よぶことは招よびますが、時代が僕と大へんに違うから話がうまく通じるかしら……。』

などと独語して居ました。彼の父は多大の興味を以もってその成行きを待ちました。

 それから凡そ十分間ほど沈黙がつづきましたが、その間に彼の母の霊眼には亡児の幽界に於ける例の住宅が現われ、そこには亡児が和服姿で椅子に腰かけて居いる。と、彼の母の守護霊が足利末期の服装で扉ドアを開けて入って来る――そんな光景が手に取る如く現われたのでした。委細は左記亡児の説明に譲ります。――

 僕お母さんの守護霊さんに待って居いて戴いて、こちらの会見の模様をお父とうさんに御報告致します。(亡児は生前そっくりの語調で、近頃になく快活な面持で語り出でました)守護霊さんは、僕の見たところでは、やっと三十位にしか見えません。大へんどうも若いですよ。頭髪は紐で結ゆわえて後ろにたれてあります。着物はちょっと元禄らしい、丸味のある袖がついていますが、もっと昔風です。帯なども大へん巾が狭い、やっと五六寸位のものですが、そいつを背後うしろで結んでダラリと左右に垂らしてある。丁度時代物の芝居などで見る恰好です。着物の柄は割合に華美はでです。守護霊さんの容貌ですか……。報告係りの資格で、僕構わずブチまけます。細面ほそおもてで、ちょっと綺麗な方です。額には黒い星が二つ描かいてあるが、何といいますかね、あれは……そうそう黛まゆずみ、その黛まゆずみと称するものがくっきりと額に描いてあるのだから、僕達とはよほど時代がかけ離れている訳です。履物はきものですか……履物はきものは草履です。こいつぁ僕の眼にも大して変ったところはありません。

『これが僕の室へやですから、どうぞお入はいりください。』

 僕がそういいますと、守護霊さんは、大へんしとやかな方で、室へやの勝手が異ちがっているので、ちょっと困ったと云った御様子でしたが、兎も角も内部なかへ入って来られました。僕は委細構わず、自分の椅子を守護霊さんにすすめました。僕も一脚欲ほしいなあと思うと、いつの間にやらもう一脚の椅子が現われました。こんなところはこちらの世界のすばらしく調法な点です。

 僕は守護霊さんと向き合って坐りましたが、さて何を話してよいやら、何にしろ先方むこうは昔の人で、僕キマリが悪くなって了しまったのです。でも仕方がないから僕の方から切り出しました。

『時々霊視法その他いろいろの事を教えていただいて、誠に有難ありがとう存じました……。』

 守護霊さんは案外さばけた方で、これをきっかけに僕達の間に大へん親しい対話が交換されました。尤もっとも対話と言っても、幽界では心に思うことがすぐにお互に通ずるのですから、その速力は莫迦ばかに迅いのです。対話の内容は大体次ぎのようなものです。――

守護霊『いつもあなたの事は、別に名前を呼ばなくても、心に思えばすぐに逢えるので、一度もまだ名前を呼んだことがなかったのですが、今日は、はっきりきかせてください。何というお名前です?』

僕『僕は新樹しんじゅというものです。』

守『そうですか、シンジュというのですか。大変にあっさりとした良い名前です……。私とあなたとは随分時代が異ちがいますから、私の申すことがよくあなたに判るかどうか知れませんが、まあ一度私の話をきいて見てください……。あなたはそんな立派な男子おとこになったばかりで若くて亡なくなって了しまわれて大へんにお気の毒です。あなたのお母さまも、常住しょっちゅうあなたの事を想い出して歎いてばかり居おられます……。しかし、これも定まった命数で何とも致方がありません。近頃はあなたのお母さんも、又あなたも、大分あきらめがついたようで何より結構だと思っています……。』

僕『有難ありがとう厶ございます。今後は一層気をつけて愚痴っぽくならないようにしましょう。ついては一つ守護霊さんの経歴をきかせて戴きます。』

守『私の経歴なんか、古ふるくもあり、又別に変った話もないからそんな話は止めましょう。それよりか、あなたの現在の境涯をきかせてください……。』

 守護霊さんは、御自分の身上話をするのが厭だと見えまして、僕がいくら訊きこうとしてもドーしても物語ってくれません。仕方がないから、僕は自分が死んでからの大体の状況を物語ってやりました。そうすると守護霊さんは大へん僕に同情してくれて、幽界に於ける心得と言ったようなものをきかせてくれました。――

守『私の歿なくなった時にもいろいろ現世の事を想い出して、とても耐たまらなく感じたものです。でも、死んでしまったのだから仕方がないと思って、一生懸命に神さんにお願いすれば、それで気が晴れ晴れとなったものです。そんな事を幾度も幾度も繰りかえし、段々歳月つきひが経つ内に現在のような落ついた境涯に辿りつきました。あなたも矢張りそうでしょう。矢張り私のように神さんにお願いして、早く現世の執着を離れて向上しなければ可いけません……。』

 僕は守護霊さんの忠告を大へん有難ありがたいと思ってききました。それから守護霊さんは僕がドーして死んだのか、根掘り葉掘り、しつこく訊ねられました。――

守『そんな若い身で、どうしてこちらへ引取られたのです。くわしく物語ってください……。』

僕『僕、ちょっとした病気だったのですが、いつの間にか意識を失って死んだことを知らずに居いたのです。その中うち伯父さんだの、お父さんだのからきかされて、初めて死を自覚したので……。』

 僕厭いやだったからわざと詳しい話はせずに置きました。それでも守護霊さんはなかなか質問を止めません。――

守『それでは、あなたは死ぬつもりはなかったのですね?』

僕『僕ちっとも死ぬつもりなんかありません。こんな病気なんか、何んでもないと思って居いたんです。それが斯こんな事になってしまったのです……。』

守『お薬などはあがらなかったのですか?』

僕『薬ですか、ちっとは薬も飲みました……。しかし僕そんな話はしたくありません。僕の執着がきれいに除とれるまで病気の話なんかおききにならないでください……。』

 この対話の間にも守護霊さんは気の毒がって、さんざん僕の為めに泣いてくれました。矢張りやさしい、良いお方です。お母さんの守護霊さんですから、僕の為めに矢張りしんみになってお世話をしてくださいます。『何んでも判らないことがあったらこちらに相談してください。私の力の及ぶ限りはドーにもしてお力添を致してあげます……。』親切にそう言ってくださいました。

 二人の間には他にもいろいろの雑話が交かわされました。――

守『家屋の造りが大変異ちがいますね……。』

僕『時代が異ちがうから家屋の造りだって異ちがいます。』

守『たったお一人でさびしくはありませんか?』

僕『別段さびしくもありません。僕はいろいろの趣味を有もっていますから……。現に爰ここに懸かけてあるのは僕の描かいた絵です。』

守『まあこの絵をあなたがお描かきなすったのですって? こちらへ来てから描かいたのですか?』

僕『そうです。これが一番よく描かけたので大切に保存してあるのです……。』

 僕が自慢すると守護霊さんはじっと僕の絵を見つめて居ましたよ……。

 大体右に記したところが、亡児によりて通信された会見の顛末でした。彼の父が直接会見の実況を目撃して書いたのでなく、当事者の一人たる亡児からの通信を間接に伝えるのですから、いささか物足りないところがありますが、しかしこれは斯こうした仕事の性質上致方がありません。で、幾分でもこの不備を補うべく、左に彼の母の守護霊との間に行われた問答を掲ぐることに致します。これは亡児が退いてからすぐその後で行われたものです。――

問『只今子供から通信を受けましたが、あなたが新樹を訪問されたのは今回が最初ですか?』

答『そうで厶ございます。私わたくしはこれまでまだ一度も子供を訪ねたことがございません。』

問『一体あなた方も、ちょいちょい他所よそへお出掛けになられる場合がおありですか?』

答『そりゃございます。修行する場合などには他所よそへ出掛けも致します。尤もっとも大抵の仕事はじっと坐ったままで用が弁じます……。』

問『今日の御訪問の御感想は?』

答『ちょっと勝手が違うので奇妙に感じました。第一家屋の構造つくりが私達の考えているのとは大へんに相違して居ましたので……。』

問『あなたは先刻しきりに子供の名前を訊きかれたそうで……。』

答『私、今までは、あの児の名前を呼びませんでした。私達には、心でただあの児と思えばすぐ通じますので名前の必要はないのです。しかし今日は念の為めにはっきりきかせて貰いました。シンジュと申すのですね。昔の人の名前とは異ちがってあくどくなくて大へん結構だと思いました。……。』

問『あなたは、あの児を矢張り、御自分の児のように感じますか?』

答『さあ……。直接じかに逢わないといくらか感じが薄うございます。けれども今日初めて訪たずねて行って、逢って見ると、大へんにドーも立派な子供で……私も心から悲しくなりました。ドーしてまあ斯かういう子供を神さまがこちらの世界にお引き寄せなさいましたかと、口にこそ出さなかったものの、随分ひどいことだと思いまして、その時には神さまをお怨みいたしました。――私から観ると子供はまだ執着がすっかり除とりきれては居ないようで厶ございます。あの子供は元来陽気らしい資質たちですから、口には少しも愚痴を申しはしませんが、しかし心の中では矢張り時には家うちのことを想い出しているようで厶ございます。で、私は子供に、自

分の経験したことを物語り、自分も悲しかったからあなたも矢張りそうであろう。しかしこればかりは致し方がないから早くあきらめる工夫をしなければ可いけないと申しますと、子供も大へん歓びまして、涙をこぼしました。涙の出るのも当分無理はないと思います。自分にちっとも死ぬ気はなかったのですから……。私は別れる時に、若もし判らないで困ることがあったら、遠慮せず私に相談をかけるがよい。私の力に及ぶかぎりは教えてあげるからと言って置きました……。』

問『この次ぎは一つあなたの住居すまいへ子供を招よんでいただけませんか?』

答『お易いことで厶ございます。尤もっとも住居と申しましても、私の居いる所は狭いお宮の内部なかで、他所よその方をお招よびするのにはあまり面白くありません。どこかあの児の好きそうな所を見つけましょう。心にそう思えば私達には何んな場所でも造れますから……。』



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