思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

生き抜く哲学だ。より

2009-12-26 16:35:44 | Weblog
普遍と進歩(4)2009-01-31 23:40:53
テーマ:ブログ

今日は宇宙までエレベーターを作ろう!としている社長さんに会った。


 


1月28日の「普遍と進歩(1)」では超高層ビルや空中を飛ぶ自動車を否定するようなことをいったが、科学的な進歩を否定するつもりは毛頭ない。


 


1月22日のブログ「“私”という井戸(2)」では哲学によって自分を掘れ!、そこから人間の本来的な力を掘り起こせ!って話をした。


 


それは次元を深めることであるが、それは鳥瞰的視点を持つことと同じである。


 


次元を深めて人間の本来の力を掘り起こすことと、鳥瞰的視点で抽象度を高める思考とは、


実はレモンの形のように両極が収束した対照的なシンメトリックな事柄なのである。


 


宇宙飛行士たちが、生きて宇宙から還ってきたら、それまでの生き方とはガラッと変わってしまった、という話を聞く。それは鳥瞰的視点で抽象度の高い経験を具体的に、疑いようのない経験として持ってしまったからだろう。


 


だから、哲学をすることが自分の本来性、実は普遍性につながる道を模索することなら、それは宇宙的鳥瞰的視点を持つことと究極同じことだと思う。


 


それが思考だと言葉を鍛えて他の人に伝えられるのが哲学であるなら、宇宙飛行士の宇宙的視野の体験は哲学よりももしかしたら疑いようのない体験でありながら、他の人に言語として伝えにくい、という両極面をもっている。でもみんながそんな体験を持ったら、おなじ体験を持った仲間として共通基盤を持った“個”として、“個”でありながら“個”を超えることが出来るだろう。


 


そういう意味で私は哲学を思考だけでなく実体験として、私が生きているうちに絶対宇宙に行きたいと切望している。(笑)でもそれは半分はむりかも。。。。。。って思っていた。


それが!もしかしたら、もしかしそうな話なんだ。眉唾だと思われる方々もおられるだろうが。。。。


 


宇宙体験ができたなら、人間の意識は確実に変わると思う。


宇宙体験が無理だったから、哲学の仕事は唯一絶対的に重要だった。


でもみんなが宇宙体験できるようになったら、哲学の仕事はもしかしたら、そんなに敷居の高いことではなくなって、ふつうの学問のように、あるいはスーパーで少し贅沢なワインを買うくらいの気軽な学問になるかもしれない。(笑)


 


そうなったとき、すなわち人間がみな、宇宙的鳥瞰的視点でものを見て考えるようになったとき、人間は“個”でありながら“個”を超えて、自分の中にある普遍性を実感するのだろう。


そのとき神は信じる対象ではなくなり、あらゆる存在の根底に客観的に存在する、としか言えない存在になるだろう。


 


それが人間のEntwicklung(進化)であろう。


そのEntwicklung(進化)への道がFortgang(=progression:進歩)というものなのだと私は思う。


 


宇宙エレベーター、絶対に現実になれ!

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