https://blogs.yahoo.co.jp/tsune173/40715070.htmlより
きょうは「外界」と「内界」について考えました。哲学では「外界」とは「意識から独立して外部に存在するすべてのもの」、そして「内界」とは「意識内部のすべての事象」と言われています。
ところで、あなたは今、いったいご自分のどこからが「内界」でどこからが「外界」であるのか線引き出来ますか?
あらためてお尋ねしても意識したことのない人のほうが圧倒的に多いと思います。
たとえば、イスはどうですか?デスクは?部屋は?扇風機は?・・・等々。こんなの絶対「外界」だと思いますよね。
では、「五感」や「喜怒哀楽」はいかがでしょうか。これは私も「内界」に軍配を上げたくなるところですが、賛成される方も多いかと思います。ただSF映画の「ターミネーター」のワンシーンで少年の「痛くないの?」と言う質問に傷だらけのターミネーターが「痛みとして分類される。」と答えていました。つまり、機械人間は、痛くないけれども痛く、見えないけれども見えることに分類され、そこには本当に何も無く、本当に誰もいないのです。
つまりターミネーターには「内界」が無いのです。
かたや私達は「内界」を持ち合わせています。そしてその「内界」を以って「外界」を便宜的に作り出したのではないでしょうか・・・。「神様」のごとく・・・・いいえ「神様」だからこそ。
だから「外界」とは「意識から独立している様に見え、外部と思っている「内界」に存在するすべてのもの」ということになるのではないかと私には思えてならないのです。
きょうは「外界」と「内界」について考えました。哲学では「外界」とは「意識から独立して外部に存在するすべてのもの」、そして「内界」とは「意識内部のすべての事象」と言われています。
ところで、あなたは今、いったいご自分のどこからが「内界」でどこからが「外界」であるのか線引き出来ますか?
あらためてお尋ねしても意識したことのない人のほうが圧倒的に多いと思います。
たとえば、イスはどうですか?デスクは?部屋は?扇風機は?・・・等々。こんなの絶対「外界」だと思いますよね。
では、「五感」や「喜怒哀楽」はいかがでしょうか。これは私も「内界」に軍配を上げたくなるところですが、賛成される方も多いかと思います。ただSF映画の「ターミネーター」のワンシーンで少年の「痛くないの?」と言う質問に傷だらけのターミネーターが「痛みとして分類される。」と答えていました。つまり、機械人間は、痛くないけれども痛く、見えないけれども見えることに分類され、そこには本当に何も無く、本当に誰もいないのです。
つまりターミネーターには「内界」が無いのです。
かたや私達は「内界」を持ち合わせています。そしてその「内界」を以って「外界」を便宜的に作り出したのではないでしょうか・・・。「神様」のごとく・・・・いいえ「神様」だからこそ。
だから「外界」とは「意識から独立している様に見え、外部と思っている「内界」に存在するすべてのもの」ということになるのではないかと私には思えてならないのです。