https://ameblo.jp/jaytc/entry-12654161766.html
「正当な選挙」は民主主義の一丁目一番地であり、国民主権と自由の恩恵を享受する権利は、「人類普遍の原理」である。日本国憲法はまず、そう定めている。
ところが、中華人民共和国憲法は、第一条で「労働者階級が指導し、労働者・農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家である」と定めている。
人民民主主義とは、日本共産党でも採用されている「民主集中制」とやらのことで、要するに支配者が認めた人物しか立候補できない、形だけの「選挙」であって、「正当な選挙」とはいえない。
当たり前のことだが、民主主義と独裁は相容れない概念ではないか。
1948年に、スターリンの後押しによって暴力で政権を簒奪してから72年間、ただの一度も「正当な選挙」を実施せず、一党独裁のまま、宗教団体への弾圧や少数民族への虐殺を続けている中国の現体制は、日本国憲法が宣言している「人類普遍の原理」に反するものであり、われら日本国民が「排除する」べきDYSTOPIAそのものである。
おおげさではない。
香港民主化運動の象徴で、欅坂46の「不協和音」をこよなく愛していたアグネス・チョウさんが、現在、重犯罪者用の刑務所に収監され、中で何をされているかわからない状況を、DYSTOPIAだと思わない方がどうかしている。
ところが、2020年、アメリカでは公然と「マルクス主義者」だと名乗る若者や政治家が現れ、スターリン時代に淵源を持つANTIFAというテロ組織が暴動を起こしても、容認する州知事や市長がいた。
大統領選挙で明らかな不正が行われても、裁判所が門前払いし、マスメディアやネット大手は報道もしないという、日本に民主主義を教えた国とは思えない状況もある。
わが国も例外でなく、ウイルスの死骸の欠片でも検知してしまうPCR検査で陽性判定された者が、感染症法上の2類相当の「感染者」として隔離され、陽性者が亡くなった場合には「厳密な死因を問わず武漢ウイルスによる死亡」と規定され、そのがんじがらめの枠組みの中で、国民の自由な表現や経済活動を制限する「緊急事態宣言」が発出されている。
2020年の日本人の総死者数は、少なくとも10月まで、2019年に比べて1万4000人も減り、あらゆる感染症での死者が減っているのに、厚労省はなぜかそれを公表しない。この不可解さを、マスメディアも野党も追求しないどころか、今なお「死病」としての武漢ウイルスの恐怖を煽り立て、「緊急事態宣言」の延長を願っている。
いったい世界はどうなってしまったのか。
アイザック・アシモフが1957年に書いた『はだかの太陽』は、感染症によって人々が完全に接触しなくなった社会を描いている。
あらすじは以下のとおり。
宇宙国家のひとつである惑星ソラリアは、人間1人当たりロボット1万台が奉仕する「超ロボット依存社会」だった。
かつて流行した感染症のため、ソラリア人同士の肉体的な接近や接触は、親子や夫婦の間でさえタブーになっている。ソラリア人が自分のドメイン(居所)から外に出ることはなく、仕事も恋も家庭生活も、立体バーチャル映像によるコミュニケーションで行われる。生殖行為や子育ても、人工生殖とロボット保育である。
宇宙国家連合(スペーサー・ワールド)では、ソラリアが一つのモデルケース=理想郷とされていた。
そんなソラリアで、科学者のデルマー博士が撲殺される。
そこで宇宙国家連合の決定により、地球のニューヨーク市警刑事、イライジャ・ベイリが派遣され、宇宙国家オーロラから派遣された人間型ロボット、R・ダニール・オリヴォーと共に捜査に当たる。
SFファンやアニメファンにはよく知られているように、20世紀を代表するアメリカのSF作家アイザック・アシモフの作品世界では、『われはロボット』の中で2058年に制定されたという「ロボット工学三原則」が貫徹されている。それは、
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
すべてのロボットはこの三原則を組み込んだプログラムで動くというもので、われらが手塚治虫の『鉄腕アトム』でも採用されている。
ロボットは人間に危害を加えたり、他者が危害を加えるのを見逃したりすることはできない。
ソラリアでは、人間同士が直接接触することはない。
そんな世界で、どうやって殺人事件が起こるのだろうか。
この作品はその謎解きと、そもそも人間同士が接触しなくなった感染症の「巨大な陰謀」を暴く推理小説ないし、思考実験である。
ネタバレを回避しつつ、ぼくの解釈を言えば、ソラリアは、社会的な効率を求めるあまり、「愛」を放棄した世界であり、住民に自主的に「愛」を放棄させるための陰謀が、「接触すると感染する未知のウイルス」であった。
これは、まさに現在ぼくらが飲み込まれようとしているDYSTOPIAではないか。
愛する者のためには無謀な冒険さえ厭わず、時として自らの命を投げ出すことさえある「愛」という現象は、ローマ字で読めば同じつづりのA.I.には永遠に理解できぬものである。
「理性と合理主義」の行き着くところはA.I.による支配であり、そこに「愛」はない。
また、英語読みすれば同じ発音になる「I」至上主義=独裁者が最も恐れるものも、経済的誘惑や恫喝をものともせず抗議する「愛」に生きる人々である。
人との人とを分断し、一つの場所に集まり、手を取り合って声をあげることさえ禁じる武漢ウイルス禍は、間違いなく中国からやってきた。ウイルスそのものは、風邪を引き起こすコロナウイルスの一変種に過ぎないが、それを「パンデミック」に仕立て上げ、莫大な利権を得たのは、むしろ西側の医療マフィアである。彼ら、ウソの恐怖で人類の生殺与奪の権を握ろうとする者たちこそ、「あっちの世界」の人々、アシモフの描いたソラリアの「巨大な陰謀」そのものである。
(つづく)
「正当な選挙」は民主主義の一丁目一番地であり、国民主権と自由の恩恵を享受する権利は、「人類普遍の原理」である。日本国憲法はまず、そう定めている。
ところが、中華人民共和国憲法は、第一条で「労働者階級が指導し、労働者・農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家である」と定めている。
人民民主主義とは、日本共産党でも採用されている「民主集中制」とやらのことで、要するに支配者が認めた人物しか立候補できない、形だけの「選挙」であって、「正当な選挙」とはいえない。
当たり前のことだが、民主主義と独裁は相容れない概念ではないか。
1948年に、スターリンの後押しによって暴力で政権を簒奪してから72年間、ただの一度も「正当な選挙」を実施せず、一党独裁のまま、宗教団体への弾圧や少数民族への虐殺を続けている中国の現体制は、日本国憲法が宣言している「人類普遍の原理」に反するものであり、われら日本国民が「排除する」べきDYSTOPIAそのものである。
おおげさではない。
香港民主化運動の象徴で、欅坂46の「不協和音」をこよなく愛していたアグネス・チョウさんが、現在、重犯罪者用の刑務所に収監され、中で何をされているかわからない状況を、DYSTOPIAだと思わない方がどうかしている。
ところが、2020年、アメリカでは公然と「マルクス主義者」だと名乗る若者や政治家が現れ、スターリン時代に淵源を持つANTIFAというテロ組織が暴動を起こしても、容認する州知事や市長がいた。
大統領選挙で明らかな不正が行われても、裁判所が門前払いし、マスメディアやネット大手は報道もしないという、日本に民主主義を教えた国とは思えない状況もある。
わが国も例外でなく、ウイルスの死骸の欠片でも検知してしまうPCR検査で陽性判定された者が、感染症法上の2類相当の「感染者」として隔離され、陽性者が亡くなった場合には「厳密な死因を問わず武漢ウイルスによる死亡」と規定され、そのがんじがらめの枠組みの中で、国民の自由な表現や経済活動を制限する「緊急事態宣言」が発出されている。
2020年の日本人の総死者数は、少なくとも10月まで、2019年に比べて1万4000人も減り、あらゆる感染症での死者が減っているのに、厚労省はなぜかそれを公表しない。この不可解さを、マスメディアも野党も追求しないどころか、今なお「死病」としての武漢ウイルスの恐怖を煽り立て、「緊急事態宣言」の延長を願っている。
いったい世界はどうなってしまったのか。
アイザック・アシモフが1957年に書いた『はだかの太陽』は、感染症によって人々が完全に接触しなくなった社会を描いている。
あらすじは以下のとおり。
宇宙国家のひとつである惑星ソラリアは、人間1人当たりロボット1万台が奉仕する「超ロボット依存社会」だった。
かつて流行した感染症のため、ソラリア人同士の肉体的な接近や接触は、親子や夫婦の間でさえタブーになっている。ソラリア人が自分のドメイン(居所)から外に出ることはなく、仕事も恋も家庭生活も、立体バーチャル映像によるコミュニケーションで行われる。生殖行為や子育ても、人工生殖とロボット保育である。
宇宙国家連合(スペーサー・ワールド)では、ソラリアが一つのモデルケース=理想郷とされていた。
そんなソラリアで、科学者のデルマー博士が撲殺される。
そこで宇宙国家連合の決定により、地球のニューヨーク市警刑事、イライジャ・ベイリが派遣され、宇宙国家オーロラから派遣された人間型ロボット、R・ダニール・オリヴォーと共に捜査に当たる。
SFファンやアニメファンにはよく知られているように、20世紀を代表するアメリカのSF作家アイザック・アシモフの作品世界では、『われはロボット』の中で2058年に制定されたという「ロボット工学三原則」が貫徹されている。それは、
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
すべてのロボットはこの三原則を組み込んだプログラムで動くというもので、われらが手塚治虫の『鉄腕アトム』でも採用されている。
ロボットは人間に危害を加えたり、他者が危害を加えるのを見逃したりすることはできない。
ソラリアでは、人間同士が直接接触することはない。
そんな世界で、どうやって殺人事件が起こるのだろうか。
この作品はその謎解きと、そもそも人間同士が接触しなくなった感染症の「巨大な陰謀」を暴く推理小説ないし、思考実験である。
ネタバレを回避しつつ、ぼくの解釈を言えば、ソラリアは、社会的な効率を求めるあまり、「愛」を放棄した世界であり、住民に自主的に「愛」を放棄させるための陰謀が、「接触すると感染する未知のウイルス」であった。
これは、まさに現在ぼくらが飲み込まれようとしているDYSTOPIAではないか。
愛する者のためには無謀な冒険さえ厭わず、時として自らの命を投げ出すことさえある「愛」という現象は、ローマ字で読めば同じつづりのA.I.には永遠に理解できぬものである。
「理性と合理主義」の行き着くところはA.I.による支配であり、そこに「愛」はない。
また、英語読みすれば同じ発音になる「I」至上主義=独裁者が最も恐れるものも、経済的誘惑や恫喝をものともせず抗議する「愛」に生きる人々である。
人との人とを分断し、一つの場所に集まり、手を取り合って声をあげることさえ禁じる武漢ウイルス禍は、間違いなく中国からやってきた。ウイルスそのものは、風邪を引き起こすコロナウイルスの一変種に過ぎないが、それを「パンデミック」に仕立て上げ、莫大な利権を得たのは、むしろ西側の医療マフィアである。彼ら、ウソの恐怖で人類の生殺与奪の権を握ろうとする者たちこそ、「あっちの世界」の人々、アシモフの描いたソラリアの「巨大な陰謀」そのものである。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます