思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

LED感染(1)

2018-03-23 17:20:49 | 思想、哲学、宇宙論
http://www1.odn.ne.jp/mu-mew/led.htm



2.敏感な感覚と繊細な神経を持つ虫や動物がLEDのライトを避けたがるのは、紫外線云々の低次の理由を大きく超えた、生命としての純粋な意思。これからもずっと、これまでのように自分たちの本来の生命活動を大切にしたいから、それを共有できない原因の存在からは離れることになる。

 形ある現象から何かを学ぶ時、学び手本位では、何も学ばないと同じ。動物たちの気持ちになること。自然界の意思を感じること。動物たちは本能的にそれを知るから、LEDの本質にも反応し、そのままでいようとする。



3.光は、熱(温かさ)とセットで、その存在でいられるもの。そこには光ならではの活動が為され、様々な生命体も、それにより、共に生きることになる。光は、暗闇の中での安心であり、その温もりは、優しさである。光は、あらゆる生命体にとって、いつの時も喜びである。



4.明かりは、元来、温もりと安心を覚えるもの。その役を全く果たしていない、突き刺すような冷たさと要らない不安を抱かせるLEDは、明かりの基本を持ち合わせない異様な世界。夜道で、LEDのライトに出会す時、細胞の緊張と抵抗が思わず目を閉じさせ、危なさを経験する。明かりは、自然な明かりがいい。



5.省エネを考えるのなら、良いものを長く使うことを皆で心がけ、消費経済のサイクルをゆったりとしたものにする。求めさせられているものに敏感になるだけでも、廻り回って全体の消費電力は大幅に減り、必要とさせられているものから離れるだけでも、生産のムリ・ムラ(ムダ)が無くなっていく。

 LED化は、良いものに心(細胞)が反応できなくなり、要らないものや経験しなくてもいいもので社会が溢れてしまう原因となるものである。省エネは、健康的な価値観と健全な暮らしの中に普通に在るもので、求めすぎず足ることを知り、体を動かし自然と親しむ、それだけでも、LED化の何百、何千倍もの効果を生むことになる。何でもないあたり前の姿勢である。



6.使いたいだけ電気を使う姿勢をそのままに、昼夜休み無く営業するコンビ二の、「節電のため」「地球にやさしく」とLEDを使う偽善。その気があれば、その前に他にすることが…。何より転写しやすい性質のものを扱う立場とすれば、自動販売機(飲料水)にはLEDを使う気にはなれないはずなのに、「省エネ」「環境保全」と独善(欺瞞)に走る。その気があれば、設置を減らすことも…。

 ポーズは、どこまで行ってもポーズの域。本心はそうではない。そんな存在たちを活躍させるLED。不気味で冷たく、愛情の無い光が、同質の場所で妙にフィットする。



7.LEDが伝えられてから、こんなところにまで、と今まで無かったところにまでしつこいぐらいLEDが使われ出し、当初の謳い文句がその大量使用で覆され、まるで侵食されているような煩さがある。何のためのLED? 向かうところはどこで、そこへとどんな原因を連ねるのだろう?

 結局、社会全体の電力消費量は増え続け(エコに逆行)、人々は慢性的に疲れを溜め、環境は気味悪くなっている。思考型の負の原因のトリックは、一度かかったら外せなくなる。



8.植物の生育に影響を及ぼすLED(夜間照射)。送り手は、そうならないよう研究する。目(網膜)への悪影響があるLED(青色成分)。送り手は、そうならないよう工夫を促す。LEDの光に触れ続け、体が疲れやすく、気力が出なくなる人がいる。送り手は、それは(健全な)少数派だから無視する。

 心身や環境が、影響を受けていると分からないくらい影響を受けるLED。その正体は、問題事を作り出す世界とその原因の性質を同じくする、招病上手な悪徳照人のようである。



9.環境のことを大切にするのであれば、環境に優しい自分でいるか、今日までの生活の中身を観察し、然るべき行動をするだけで充分である。

 動物たちの苦痛は、自然界(地球環境)が最も辛くなる現実だから、クローゼットに毛皮やレザーの衣類、ファー等があれば、その愚かさを知り、意識を変えていく。肉料理大好きも、それを支える状況が繋がるのは、環境破壊である。

 IHで料理し、電子レンジ食品を普通に食べていれば、それは生命力の無い物や価値観(感情)が循環するだけでなく、蘇生型の微生物が住めなくなる不健康な空間を広げることにも繋がるので、そこから離れ、生きた(体の中で栄養になる)食物の摂取こそ環境保護の基本材料であることを知り、実践する。車や家電、電子機器など、新しいものを執拗に求める自分がいれば、それこそ恐い程環境を破壊していることとなるので、その全ての原因を修正することである。

 新しい製品に、省エネや環境への配慮が施されているとしても、製造プロセスでの環境負荷を考えれば、長持ちする物には比べ物にならず、更なる電磁波が放出され続けることも、環境は辛いものがある。スマートフォン画面をいつも見続けている人の「環境に優しく」も、偽善と同一である。そんな中、真に環境を大切にする人は、LED仕様が環境対策であるという大きな欺瞞を、体験的に知ることになる。



10.生命力が少しずつ力を失くしても、その過程を自覚するのは難しい。気力が湧かない時の理由を、その手前で処理することも難しい。ただ、それぞれのその時において確かなのは、体内の水分が、人間の思考(技術)では触れられない次元でその質を変えてしまっているということ。

 心の性質や感性の柔らかさが計測出来ないように、それらに瞬時に反応し得る水分の変化も、人間の知では分かり得ない。心と感性が健全である人ほど、細胞に負担をかけるものに体内の水分が反応する。

 どんなものにも水分は含まれており、皆人間の思考の域には収まらない反応を、LEDを通して生じさせる。それは、原因不明の問題事や心身の不調を引き起こす力にもなり得るもの。飲料水や食べ物はもちろんのこと、LED照明を生命に触れ(浴び)させてはならない。



11.水族館の魚たちのストレスは、まさに異常事態である。敏感な種ほど、体の色が変わったり、泳ぐ力を失くしたりし、その理由を理解しようとしない人たちは、命を終えた魚たちを変死扱いする。

 生き物の生命力を弱化させ、神経をヘンにさせるLED照明。(もちろん人間も、健全な感性を持つ人ほどそれを被るが…)人間の欲のために犠牲となる彼らは、海を忘れさせられ、あり得ない負荷をかけられ、生存本能まで異様な物体(光)に支配される。

 植物の悲鳴の比ではない、魚たちの苦痛。海の仲間たちもそれに同調し、悲しみの中にいる。(家での水槽へのLED使用は、魚たちの恐怖の始まりである)



12.LEDの照明に敏感に反応し、様々な影響を被ってしまう植物ほど、人間の身体細胞にとってとても重要な仕事をしてくれる貴い生命たちである。それは、この自然界が、いつでもどこでも健康と平和をあたり前とする原因によって成り立っていることの現れであり、そうではない性質のものに覚える感覚は、それを大切にするための意思表示となるものである。

 人間が、不自然なものに反応できなくなってしまう時、すでに多くの動植物もそれに連動し、本来ではなくなっている。敏感さを保ち続けてくれているある種の植物や動物は、言わば、そのことを切に訴え続ける最後の砦である。



13.車のLEDライト(ランプ)は、光を大切にする人たちにとって、身が縮むような公害である。どう見てもその光は、攻撃的で威圧感があり、安心・安全とは無縁のように思える。近づくことも、見ることも恐れてしまう車の存在に、気持ちは不安で一杯になる。

 光は、照らした物との間の空間を、自らの性質に見合ったものに変える。遠くからでも多くの物が照らされる車のライト。そのLEDの光は、そこに在る全てに要らない緊張を与え、空間から安心と余裕を奪う。自転車も然り。それらは、不健康と問題事(事故)の原因と繋がるものである。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿