思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

さとったところで自我は消えない!

2020-07-21 14:50:27 | 思想、哲学、宇宙論
https://www.butuzou-world.com/column/koide/20190320-2/

第三部 連載37回目 さとったところで自我は消えない!(その1)



みなさん、こんにちは!

これまでこの連載で紹介してきた「さとり」を体感するワーク、日々実践されていますか?



あれは一回やって終わりではなく、日常生活の中で繰り返し実践してこそ、

その深い意味が理解されるタイプのワークですので、

ぜひ、気づいたときにやってみてくださいね。

事前の準備も必要ないし、お金も一円もかかりませんから!(笑)



さて、今回からはもうすこし「深い」話をしていきたいと思います。



日々ワークを実践してくださっている方はすでにお気づきかと思いますが……

実は……

「さとり」を体感したところで、自我が消滅することはない!

のです。



これを聞いてガッカリされた方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)。

でも、ざんねんながら、ほんとうのことです。



自我というのは、ふだん、自分が自分だと思っているものを構成するあれやこれやの総称です。

主に「思考」「感情」「体感」の3つが挙げられるかと思います。



「さとった人」は、これらのすべてから完全に解放されて、「透明」な存在になるのだろう。

……そんなふうに思っていらっしゃる方はいませんか?

なにを隠そう、私は、そう思っていました。



でも、何度も言うように、それは勘違いなんです。



「さとり」を体感したところで、自我は消えない。

思考も、感情も、体感も、これまで通り、あまりにもふつうに起こってきます。

でも、それらを、「自分の所有物」とは感じなくなるんです。



いったいどういうことなのでしょう?

次回、詳しく解説しますね!

……と、その前に、「さとり」を体感するワークを繰り返し実践することをお忘れなく!(笑)



次回へ続きます!



「さとり」を体感したところで、自我は消えない。

思考も、感情も、体感も、これまで通り、あまりにもふつうに起こってきます。

でも、それらを、「自分の所有物」とは感じなくなるんです。



「さとり」を体感すると、普段、自分が自分だと思っているものと、

自分が外側の世界だと思っているものとの間にある「境界線」が溶けてなくなります。

つまり、「内側」と「外側」の区別がなくなり、

「わたしが世界」で、「世界がわたし」という感覚が生まれてきます。



そうなると、たとえば、

道路を走る車のタイヤの音や、遠くの電車の音、

近所の犬の鳴き声、鳥のさえずり、

風にそよぐ木々や花々の姿や、

地面に落ちる影、雨の匂い、

陽の光のあたたかさ……。



そういったものとまったく同じように、

怒り、悲しみ、よろこび、

ネガティブな考えや、ポジティブな思い、

心臓の音、呼吸のリズム、

手のひらの汗や、背中のこわばりまでもが、



いまここに、

この世界に、

「外側」も「内側」もなく、

「自分」も「自分以外」もなく、

ただひとつの大きないのちの中に、

さまざまなものが、

別々の姿・かたちをもって、

ただ、あらわれては、

ただ、消えていく……。



そこには「良い」も「悪い」もなくて、

すべては、ただただ、そのように「ある」だけで……。



そう。



思考も、感情も、体感も、

すべてのものと同じように、

いまここに、

ただ、当たり前に「ある」だけです。



ほんとうは、

「私の思考」 「私の感情」 「私の体感」

そんなふうに呼べるものなんか、なにひとつ、ほんとうに「なにひとつ」なくて、

すべては、大きないのちのあらわれとして、

いまここに、ただ、あらわれては消えていく……。



この世界には、「私のもの」など、なにひとつなかった――

わたしは、ただの、なにものでもないいのち、そのものだ――



この実感こそが、「さとり」の感覚です。

「さとり」とは、つまり、

「所有」という幻想から自由になる感覚のことなのです。



この感覚を味わいたい方は、

ぜひ、これまでの連載で書いてきた「ワーク」を、

日々の中で、繰り返し実践してみてくださいね。

あたまで考えずに、からだまるごとで、「体感」してください。



次回へ続きます!



オーバーソウルの視点

2020-07-21 12:46:05 | 思想、哲学、宇宙論
オリジナルは消去されたのでカバーです。



この曲を聴くと、過去、現在、未来、高次元、すべての人生が、

今という瞬間に同時進行しているのをオーバーソウルの視点から

眺めているような感覚になります。

そして最終的には、すべてがオーバーソウルに融けて一つになっていく。

そんな感じの曲です。