思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

仮説を考えた

2016-11-13 19:29:29 | 思想、哲学、宇宙論
この物質世界は神が作った、愛と創造と進化をテーマにしたシュミレーション世界である。

人類が自由意思による正しい選択によって、必ずユートピアに到達できるようにプログラムされており

間違った選択を繰り返すと、滅亡するようになっている。

人間がこの世界に生まれた目的は、様々な経験や学習をすることで

成長しユートピアを目指し努力こと。

自己実現宇宙論その2 再掲

2016-11-13 14:49:46 | 思想、哲学、宇宙論

宇宙の一番最初に有ったのは超高次元空間です。

超高次元空間はスーパーコンピュータのようなもので、情報エネルギーを生産します。


生産された情報エネルギーが流出し、超高次元空間の周りに広がり、

あらゆる可能性が潜在する広大なエネルギーの海を形成しました。

ある時、潜在する可能性を実現しようとする意志が

エネルギーの海に発生しビッグバンを引き起こします。



ビッグバンは、あらゆるものが潜在化した無の世界から、有の世界が生まれたことを意味します。


ビッグバン直前に生まれた、宇宙の自己実現の意志はビッグバンと共に宇宙に広がり、

宇宙全体にバイブレーションとして遍在しながら、波動原理によって

潜在する可能性を次々と実現していきました。

その結果生命が進化し人類が生まれたのです。

人間は可能性を実現することに喜びを感じる存在です。

潜在する可能性を実現させ、宇宙の意志に協力し、

宇宙の自己実現を促進させることが人類の役割です。

科学の発明や芸術作品の創造は

宇宙の潜在する可能性の実現でもあります。



宗教とは、眼前の事物の移り行く流れの彼岸や背後や内奥に在る何ものか、実在しながらも現実化されるのを待っている何ものか、遠い彼方の可能態でありながら最大の現在的事実である何ものか、すべての移り行くものに意味を与えながらしかも捕捉し難い何ものか、掴めば至上の福となるがしかも手の届かない何ものか、究極の理想であって望みなく探究を続けなければならない何ものか、のヴィジョンである。

ホワイトヘッド





この宇宙は無限の可能性の重なり合いなのかもしれません。ハラミッタ





★<デジタル物理学>の立場から、「多世界解釈」を解釈する

2016-11-13 14:30:21 | 思想、哲学、宇宙論
http://blogs.yahoo.co.jp/judaist55/7896270.html



「多世界解釈」を<デジタル物理学>で解釈





<デジタル物理学> BY WIKI
2003年、ヤコブ・ベッケンシュタインは物理学で大きくなりつつある傾向として、物理世界が純粋数式(情報)自体で構成されているという見方があるとした(デジタル物理学)。
西洋の近代科学では、“実体”や“物質”という西洋的な概念を(よくよく検討することもないままに)当然視して信じてしまい、この概念に依拠する方向で長らく突き進んでしまったが、20世紀に原子を発見したと信じた後に科学者たちがさらに発見したことや、さらに量子力学によって明らかになった様々な(素朴な常識を覆す)奇妙なことは、西洋の科学や物理学において確かなものだと信じられていた“物質”という概念に大きな疑問符をつきつけるものであり、「実はこの宇宙も我々もすべて(情報的な存在で)シミュレーターの中の架空の存在なのかも知れない」とも考えられるようになってきている。我々が観測する物質物理世界は、実は数式(情報)なのだ。

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★<デジタル物理学>の立場から、「多世界解釈」を解釈する。



エヴェレットが提唱した「多世界解釈」は、コペンハーゲン解釈から「波動関数の収束」を抜き、観測者にも量子力学を適用した物で、例えばシュレディンガー猫は、「死んいる猫と生きている猫の重ね合わせ状態」と「確定した状態にある観測者」を別に考えるからパラドックスに思えるだけである。考えを宇宙全体に拡大すれば当然、外部に観測者はいないので永遠に重なり合っている。つまり「可能性の重ね合わせ」は収束によって消えてしまったわけでも、「他の世界」へ分離していったわけでもなく、客観的には「今この場所」に存在はするが、人間自身(及びいかなる情報処理システム)も、一つの相対状態に属するため「可能性全体」を認識することはできない。(by WIKI)



上記における「可能性全体」を、<デジタル物理学>における「無限のシミュレーション」と等価と見倣す。(数式世界では無限の変化が可能であるから「無限のシミュレーション」が成立する)



さらに、数式世界における「無限のシミュレーション」は、「ヒルベルト空間のベクトル」と等価と見倣せる。



つまり、エヴェレットが提唱した「多世界解釈」における「可能性全体」は、純粋数式世界での無限の変化=「無限のシミュレーション」に相当する。



そして、肝心な点は、「可能性全体」=「無限のシミュレーション」は、あくまでも、純粋数式上の演算としての可能性なのであり、物質状態としての可能性ではない、という点だ。



純粋数式上の演算としての可能性は無限に存在するのであるが、それを物質状態として変換認識(観測)できる可能性(選択肢)は、唯一しかないのだ。そして、純粋数式上の演算としての無限の可能性の中から、唯1つの可能性を選択することが、数式を物質として観測(変換認識)すること=「波動関数の収束」になる訳だ。



つまり、数式状態としては、無限の可能性があるが、それを物質として観測(変換認識)できる可能性は唯1つしかないのだ。それが、「波動関数の収束」に相当するのである。




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