思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

ヌース理論

2009-12-19 10:39:36 | Weblog
「神が聖母マリアの胎にひそかに宿り給うたとき、そのとき点が円環を内包したのだ」

ヌース理論が進めていく意識の反転の真意は、すべてこの言葉の中にすべて含まれていると言っても
いいですね。点が円環を内包すること。すなわち、中心が周縁を内包すること。内が外を内包すること。
ミクロがマクロを包みこむこと。内が外を内側に包むというのは普通に言えばパラドックスですが、
創造原理というものは、常にこのようなパラドックスによって支えられているものなのです。
以前、『光の箱舟』の共著者である砂子さんに、ミクロ=マクロとなるような理論が物理学の中にあるか
どうか尋ねたことがあります。「いや、そんなのは聞いたことがない」という答えがすぐに返ってきました。
そう言われてみれば、確かにそうです。僕の質問があまりにマヌケです。というのも、もし、ミクロと
マクロの反転が可能になったら、物理学が金科玉条のように大切にしている尺度というものが全く意味を
なさなくなってしまうからです。しかし、理論とはいかないまでも、量子論を通した宇宙観の中には、
このミクロ=マクロ、マクロ=ミクロという概念を示唆するものが少なからずありました。

例えば、80年代のニューサイエンスのムーブメントの中でD・ボームが提唱していたホログラフィック宇宙論
などはその代表でした。これは、宇宙には部分が全体を作っているという方向だけではなく、
部分が全体を巻き込み包み込んでいるような構造があるという宇宙論です。でも、通常の空間認識の中では、
ミクロの素粒子がマクロの時空を包み込んでいるなんて到底、理解することはできません。
あくまで素粒子というミクロな部品が無数に寄り集まって、世界を組み立てているとしか考えられていない
からです。しかし、もし、反転した世界があれば、そこでは、ミクロがマクロを包んでいるのですから、
素粒子がこの巨大な宇宙を包含している、ということになります。