39県の緊急事態宣言が解除されました。
東京・神奈川など8都道府県は解除
されないので、テレビでもラジオでも
頻繁に「皆さん、もう少しの我慢です!」と
言ってますが、私は我慢してるという感覚は
まるでないのです。
それまで、休みの日は飛び回っていたので、
ステイホームに耐えられるかしらと思って
いたのですが、始まった途端にこの生活を
楽しんでる自分にびっくりしました。
朝、お茶にするヨモギや笹やスギナを
空き地に採りに行って、野菜中心のおかずを
作り、ちくちくと針仕事をしたり、
臨書をしたり、今までしなかった散歩も
日課となり、クレソンを摘んだり、お寺の
鐘を聴きによったり、前よりゆったり丁寧に
暮らしている気がします。
これって初女さんの暮らしに近いかも…
森のイスキアでは、時間をかけて食事の
準備をし、ゆっくりご飯を頂きます。
ゆったりとした時が流れ、普段は短いと
思っている24時間という時間が
十分だと思えるのです。
ステイホームで家に居ると、随分無駄を
していたなと気づきました。
初女さんが「私はつましいの」と言われていた
生活の本当の豊かさを、ちょっとですが
感じています。
だから、コロナが明けたら何処かへ行きたい
何が食べたいとか思わないのです。
日々の暮らしが人生になるということが
有難いな~と思えるのです。
メールや電話じゃなくて、手紙を書くのも
楽しい時間となりました。
私たちは、便利さを追求して自分の時間を
確保したはずなのに、いつも忙しいと
時間に追われています。
ステイホームで、我慢していると思うと
我慢の生活になってしまうけれど、
視点を変えるだけで、豊かにもなるのです。
朝、お茶にする草を「有難うね」と言いながら
摘んでいると、本当に必要なものはちゃんと
与えられているんだと思えるのです。
心ひとつで、今ここが森のイスキアになるの
ですね~
コロナにより国が行き詰り、国民である
私たちも多くの人が行き詰っていると思います。
政府が提言した”新しい生活様式”も何だか
現実の生活に重ねることが出来ません。
ふと開いた本のページに、こんなことが
書いてありました。
『行き詰ったところが新たな道の出発点だ。
経済、人間関係、健康についてさえ、
つまりわれわれの運命のすべてについて
この言葉は当てはまる。
ただしそれは当事者が真心をつくして
当たったときのことだ。
もしケチな根性を出して
ずるく立ちまわれば
行き詰まりは次の混乱を呼び
はてしなく続くだろう。』
『平和とは風も吹かず雨も降らない
状態のことではない。
風が吹いても雨が降っても、
その中で人と人とが助け合い、
補い合うところに実現するものだ。
雨風を我先にと避けようとして
互いに争い合うところには
平和は現われて来ないものだ。
和田 重正 』
コロナの感染が世界中に広がり、
コロナの危険と共に、私たちに本質的な
ことが問われている気がしています。
緊急事態宣言が出て、移動の自由や経済活動の
制限により、今まで見えて来なかったものが
浮き彫りになってきたように感じます。
あまり普段は考えることがない
”民主主義とはなにか”というのも、
突き付けられた気がしました。
メルケル首相は『「開かれた民主主義が
意味するものは、私たちが政治的決定を
透明化し、説明すること、できる限り
私たちの行動の根拠を示し、それを伝える
ことで人々の理解が得られるように
することです。」
「私たちは民主主義国です。
何かを強いられるのではなく知識を共有し、
活発な参加を促すことで繁栄します…」』
メルケル首相のこの言葉を読んだ時
私たちの国、日本は今はたして民主主義の国と
言えるのだろうかと思ってしまいました。
このコロナ禍の中で、今週末にも採決して
しまおうとしている”検察庁法改正案”
これも数の力で、通ってしまうんだろうな
と、諦めていましたが、ネットデモという
新しいものが生まれていました。
30代女性が投稿した
”検察庁法改正案に抗議します”の
ハッシュタグが瞬く間に広がり
12日夕時点で900万件に及んだそうです。
これは、ただの公務員の定年延長という
問題ではなく、民主主義の根幹である
三権分立を揺るがすことにつながりかねない
ことなのです。
法案が成立したら、65歳以上の検事総長や
63歳以上の検察幹部が役職に留まるかどうか
内閣・法相の判断に委ねられるのです。
政治学者の姜尚中氏は、「コロナでこの国の
忖度政治の弱さが出て来た」と言って
いました。
この改正案が通ったら、忖度政治が力を
増すことにもつながると思います。
安倍政権は、様々なことを明らかに
しないでやってきました。
そして、私たち国民は、経済さえ良ければと
目をつぶってきたのです。
投稿した女性は「今は政治が私たちを
監視している感じがして。
私たちが政治を監視する、動かすんだ、
と思い出して欲しい」と訴えてました。
これは、私たちの国の未来にも、大きく
影響することです。
子ども達に「どうしてあの時、反対
しなかったの」と問われた時に
「コロナで大変だったから」という
言い訳はできません。
ひとりの女性の投稿に、これだけの人たちが
声をあげたということに、希望を感じます。
日本人は、奥ゆかしい民族とも
言われたりしますが、黙っていることは
黙認することになるのです。
国会議事堂前で、シールズの若者たちが
議事堂前に集まった人たちに
「民主主義ってなんだ」と呼びかけ
人々が心を一つにし「民主主義ってこれだ!」
と応えた、あの日が蘇って来ました。
私たちの国の民主主義を眠らせてはいけない!
緊急事態宣言が、これだけ続くと
非日常が今まであった日常を、
侵食してきているようです。
今まであった当り前のことが尊く
見えてきます。
道端の小さな花も草も、ダンゴムシもアリも
吹く風も、空の青さも、何もかもが有り難く
思えるのです。
最初読んだ時には分からなかった
初女さんの言葉が、深く響いてきます。
『鳥はどうして飛んでいるのでしょうか。
きれいな花を咲かせるのはどうしてでしょう
誰も答えることができませんが、
これが感謝です。
こういうことを深くとらえない人も
いますが、すべて感謝ですし、感謝は
生活の上で基本的なことです。
感謝も何もなく、ただ目が行くことだけで
暮らしていると、心がうつろになって
きます。
感謝のない人は、すべてが当たり前の
ようになっています。
そうではない。
いま私たちが何もなくこうして
いられることが感謝なのです。
佐藤 初女 』
先日の奥田知志さんの講演会が終わった後に
「自分のこともできないのに、他人のことが
できるのだろうか」というような
質問がありました。
奥田さんは「自分のことが出来たら、
他人のことをと、思う人が多いが、
人間は他者の中に自分を見いだしていく」と
語っていたのを聴いて、私自身のことが
思い出されました。
確かに、頭で考えると自分のことが出来て
初めて他人のことが出来ると思えますが、
どうやら、人間という生きものは、そのように
出来てないようです。
私は、息子を亡くした後、悲しくて苦しくて
死ぬことばかり考えていました。
ある日、新聞でハートプロジェクトの
小森さんのことを知った時、自分の為に
生きようとする力は出てこないけれど、
他者の為なら生きられるかもしれないと
思ったのです。
(小森さんは、一人娘をいじめで亡くし
いじめをなくしていこうという活動を
なさっている方です。)
自分のことが出来なくても、他者の為なら
出来る!これは、いのちに仕込まれている
チカラかもしれません。
私はあの頃、来る日も来る日も泣いて
暮らしていました。
あれほどの苦しみと悲しみは
体験したことがありませんでした。
でも、不幸とは思わなかったのです。
母は、私が不幸のどん底にいると思い、
「お前より不幸な人は、世の中に沢山いるよ」
と、慰めてくれていましたが…
大変、辛い、悲しい…ということと不幸は
イコールではありませんでした。
他者の為なら立ち上がれる力が出る
苦しみ、悲しみ、辛さが不幸とは言えない
これらのことは、大脳の思考とは関係なく、
いのちに仕込まれているもの、
遺伝子に刻まれてるとも言えるのかも
しれません。、
頭で考えてないで、小さなことでも
他者の為に動いてみたら、きっと実感でき
それが自分の生きる力になっていくと
思います。
奥田さんの”人間は他者の中に自分を
見いだしていく”という言葉通り
人間というのは、そういう生きもの
なんですよ。きっと…
自分を信じて!
信じるに足る自分が、いのちの中に
宿っているのだと思うのです。
この世に生を受けた時から、誰もに平等に…
昨日の奥田知志さんのzoom講演会を
ランディさんがYouTubeでアップして
下さいました。
昨日のブログにざっくり書きましたが、
是非、奥田さんのお話を聴いて下さい。
希望の光が感じられると思います!
奥田知志さんzoom講演会(5月7日)
奥田知志牧師のzoom講演会を聴き
胸が熱くなりました。
奥田さんは、ホームレスの人たちに寄り添い
続けて来た方です。
コロナで自粛が始まってから、電波を通じ
人の心の深さと温かさを感じたのは
初めてだった気がします。
奥田さんは、大規模災害の時は今まであった
社会の問題が出て来ると言われ、一端崩れると
とめどなく崩れていくと…
確かに格差社会や差別、生活困窮など
色々な問題が今噴き出しています。
それが、果たしてこのコロナ後に
復帰したい社会なのでしょうか…
奥田さんは
ステイホームと言われ、家にいられたのは
アウトホームで頑張って働いていてくれた
人達がいたからステイホームが出来たのだ。
人は一人では生きていけない。
けれども、”自己責任”
”他人に助けてといえない”
自己責任でほったらかされる時代を
つくってしまったと…
そして、コロナでトイレットペーパーが
無くなったのは、私たちの中から他者が
いなくなり、自分だけがよければいいという
コロナ以前の私たちの世界が露出したと
言われてました。
他者の痛みを自分の痛みとして、
感じられるのは自分の中にどれだけ他人が
いるかだと…
私たちは、コロナで命を失うかもしれない
ということにびびったんだと…
相模原の障害者施設で犯行を犯した
植松被告は”生きる意味のある命”と
”生きる意味のない命”と命を選別して
犯行に及んだのです。
このコロナで、私たちは
”生きていることに意味がある”と実感しました
コロナ以後の社会は助けてといえる社会に!
自分のことが出来たら、他人のことをと
思う人が多いが、人間は他者の中に
自分を見いだしていくのだと…
きずな(絆)はきず(傷)を含む
共に生きていくのは、大変だけど
不幸ではない。
相模原の事件で犠牲になった方のお母さんが
確かに大変だったけれど、不幸じゃなかったと
言われたそうです。
大変イコール不幸ではないのです。
大変と不幸を取り違えてはいけない。
どんな命も、生きることに意味があると
奥田さんは、静かに熱く語っていました。
奥田さんのところに、国民に支給される
10万円を、「まだ、届いていないが
自分は困ってないので、今必要でしょう」と
持って来てくれた人がいたそうです。
聖書の「 光は闇の中に輝いている。
闇はこれに勝てなかった。」という言葉と
五木寛之さんの「朝顔は夜明けに
咲くのではなく冷たい真夜中、夜明け前の
闇の中で咲くのです」
という言葉を引用された後
奥田さんは、「希望は始まっている。
変わり始めている。
コロナの闇の中で、いろんな花が咲こうと
していると言われてました。
奥田さんは家から支えようと
1憶円のクラウドファンディングを立ち上げ
ました。
全国にある空き家の活用を考えているようです。
一人の寄付の金額ではなく、どれだけの人が
参加したかが、大事だと言ってました。
生きていることに意味がある!と誰もが
実感出来る社会を!
闇の中で光を感じた奥田さんのお話しでした。
箇条書きの様になってしまい
上手くまとめられなかったけれど、
奥田さんの放つ光が感じてもらえたら
嬉しいです。
朝、外へ出ると空気が澄んでいるのを
感じます。
鳥たちも喜んでいるのか、鶯がこんなに
いたかしらと思うほど鳴いてます。
ガンジス川が綺麗になったそうです。
人間が活動を自粛したら、自然がすごい勢いで
回復しているようです。
ラジオで、地球にとってのコロナは人間
だったのでは?と言ってました。
無理だと思っていた地球温暖化を
止めることだって、出来るということを
コロナが教えてくれているようです。
奥田知志牧師が「戻らなくていい、
もっといい社会をつくろう」と言っています。
本当にそうです。
戻らなくていいんです。
温暖化で瀕死の状態だった地球が、回復する
チカラがあることを見せてくれています。
私たち、ひとり一人が今までよりいい社会を
世界をつくろう!って心から思えば、
その思いは、バタフライ効果となって伝わって
行くのではないでしょうか。
初女さんが隣にいた私に小さな声で
「今まで、私は展開って言って来たけど
これからは融合だと思うの。
私には、融合した人たちが進んで行くのが
ハッキリと見えるのよ」と、言われ
何もわからなかった私は初女さんに
「先生、どこに進んでいるのですか」と
バカなことをきいてしまいました。
初女さんは、勿論黙っていました。
今、そのことがありありと思い出されるの
です。
融合が始まっているような気がするのです。
感染に怯えてないで、融合して進んで行く先を
見つめないと…
コロナの前の世界に、戻らなくていい。
戻りたくない…
もっといい世界に進んで行きたい!
私は、ニュースを観て泣いてしまうことがあり
息子に笑われるのですが、今日は久しぶりに
泣いてしまいました。
新型コロナウイルスの陽性反応がでた
女性が、深夜バスで帰ったということが
テレビで取り上げられているのを観ていたら、
この女性は、どんなにか悔いているだろうに
それなのに…と、思ったら涙が溢れて
まいました。
どうして、こういうことを電波にのせて
しまうのだろうか…
割り切れない気持ちで一杯になりました。
そうしたら、TBSラジオの
”荻上チキ・セッション”でチキさんも、
このことについて、特定な人がわかるような、
こういうことを取り上げるのは
問題ではないかと言ってました。
新聞に、自粛要請をうけて各地で
「あそこに県外からの車が止まっている」
「まだ営業している店がある」など
”正しくないこと狩り”が始まっている。
千葉の駄菓子屋さんには、「コドモアツメルナ
オミセシメロ」と匿名警告が貼られたと、
書いてありました。
自粛、自粛で心まで閉鎖しないで!
今は手と手を合わせることは出来ないけれど
だからこそ、温かい心と優しい眼差しを
持ち続けていたい…
「お蔭さま」という言葉は、日本語しかないと
聞きました。
みんな、誰かのお蔭さまでこうして生きて
いるのです。
だからコロナによって、分断の社会にして
しまっては、いけない!
お蔭さまに支えられた、
ひとり一人のいのちであることを
もう一度思い出そうよ。
今日は憲法記念日、朝ポストから新聞を取り
広げた途端、「私が甘かった~」という
言葉が口からこぼれました。
コロナ感染により、緊急事態宣言が出た時
何か嫌な予感がしたのです。
でも、その後のコロナの勢いが凄かったので
あの嫌な予感は、深く追求することもなく
過ぎて行きました。
そして、こんな大変なことが起きて
いるのだから、首相の悲願の憲法改憲は
無くなった!と、勝手に思い、
ほっとしていました。
ところが、全く逆だったようです。
緊急事態宣言で風穴をあけ、
改憲へのロードにしようという空気が…
改憲4項目の一つである「緊急事態条項」と
「緊急事態宣言」の違いは、緊急事態宣言は
発令する際は、国会に報告することが
特措法で義務づけられていて、
一定の歯止めにはなり
都道府県知事に強制力を待たせるなど、
私権制限を強める場合は、必ず国会の
チェックを受けます。
緊急事態条項は、法律と同等の効力を
持つ政令で、国会のチェックを経ずに
定められる規定。
強い私権制限を含む政令でも、政府の一存で
出せてしまうものなので、
この二つはしっかりと分けて考えないと
いけないそうです。
憲法学者の長谷部教授は「不安をあおって
妙な改憲をしようとするのは、
暴政国家がよくやることです」と
言っています。
世論調査では、去年より改憲賛成者が
増えたそうです。
世論が正しいとは限らないことは、
過去の歴史が語っています。
気がついたら、コロナ改憲に!なんてことに
ならないように、ぼんやりしていては
いけない!と、心から思いました。
憲法くんが言ってました。
「この危ない時代だからこそ、
憲法が必要だと思うんですよ。
時代に合わないから憲法を変えるって
言うんだったら、主権者の私達が
こう言えばいいんじゃないですか。
『憲法に合わなかったら、
政府を”変える”』」と…
さすが憲法くん!