~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

希望の光

2015-01-11 14:43:33 | 日記

今日、新聞を開くと「出会いに生かされて」という文字が

目に飛び込んできました。

横には、「阪神大震災 母の20年」と副題がありました。

当時、神戸大学の2年生だった一人息子を震災で

失い、生きる気力を失ったお母さんの命綱となったのが

震災の2年前、大学入学で親元を離れることになった

息子さんが、お母さんに渡した手紙だったそうです。

この手紙が報道などで反響を呼び、お母さんに

多くの出会いと、生きる希望を与える命綱となったと

書いてありました。

この詩は、曲がつけられ歌となって、多くの人に

届けられているそうです。

そして、お母さんは「苦しみ、悲しみを抱えて

みんな生きている。そのままでいいんだよ。」という

メッセージを伝える為に全国行脚をし、

東日本大震災の被災者に寄り添う事を自分に

課していると書いてありました。

この記事を読んで、どんな絶望の中でも

必ず、希望の光はさしているのだ。

ただ、その光に気が付かないだけなんだと、

思えました。

そして、人は死して終わりではないということ

人を繋げ、生きていた時以上に大切な仕事を

しているんだということ…

ふと気が付いたのですが、この亡くなった息子さんの

名前に「光」が入っているのです。

どんなに苦しい時も、必ず「光」があることを信じて

生きていきたいと思いました。

このお母さんは「人は誰かの役にたって初めて

生きる喜びを見いだせる。傷ついた人のそばに

いてあげたい」と言っているそうです。

この記事は、『息子とともにいったんはなくした

希望を取り戻し、自らの足で歩む母の姿が

そこにあった。』という言葉でとじられていました。

       親愛なる母上様

あなたが私に生命を与えてくださってから
早いものでもう20年になります
これまでに
ほんのひとときとして
あなたの優しく
温かく
大きく
そして強い愛を感じなかったことはありませんでした
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました
人を愛すること
自分を戒めること
人に愛されること
この20年で
私の翼には立派な羽根がそろってゆきました
そして今
私はこの翼で大空へ翔(と)び立とうとしています。

誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。(略)

          加藤 貴光

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書き初め

2015-01-10 23:38:27 | 日記

今年はゆったり過ごそうと思っていたのに

やっぱり貧乏暇なしという感じでのスタートとなりました。

今日、やっと筆を持つことが出来ました。

書き初めとは言えないけれど、臨書をしました。

王義之(おうぎし)の十七帖の「十七」を書きました。

書きながら、「あ~この字を一年書くかも」と

思ったのです。

昔、造像という書の「一」を一年間書き続けた

ことがあります。

毎回、毎回「一」を書いていたら、「山崎さん、

もう違う字を書いたら」と先生に言われ、

気がついたら一年近く「一」を書いていたのです。

何だか「十七」もそうなりそうな予感が…

「書」って、「一」を一年書いても飽きないものが

あります。

私は、あま後悔はしない方なのですが、「書」とは

もっと早く出会いたかったです。

何しろ習字の時間が大嫌いだったから…

小学校の卒業文集の表紙に、絵は採用され

なかったけれど、筆で書いた題字は私のが

使われたのです。

その時、「書」に出会っていればと、思うのですが

そんなこと思っても始まらないので、こつこつと

書いて行こうと思います。

来週の15日から20日まで、白楽のギャラリー

ハイド&シークでの「明日展」に「創」を出します。

私にとっての一生の課題である「創」

いつか天国の「創」を書きたいのですが、筆の

成長が追いつきません。

また一歩、一歩

「創」が書ける日まで…

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の目覚め

2015-01-08 19:25:56 | 日記

今日目覚めた時、私が眠っている間も心臓は動いていて

くれる、と思ったら有難いなーと思えました。

朝目が覚めることだって、当たり前じゃないんですよね

きっと…

昨日の続きに今日が来るのでなく、新しい朝が訪れる

そう思うと、朝の目覚めにも感謝が生まれてきます。

「深き森の語らい」を聴いた高校生が、あれから自分で

窓を開けるようになったと、お母さんが言っていました。

朝は一日のスタートです。

感謝の思いで目覚めたら、きっと感謝の多い一日と

なると思います。

感謝の心が、目の輝きになると初女先生は言われて

います。

目覚めた時に、自分の体に有り難うって言ったら

今日は有り難うが多い一日となりました。

感謝の多い人生ほど、豊かなものはないと言います。

「有り難う」と言って目覚める日を、沢山作って

いきたいなー

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目の輝き

2015-01-06 23:04:38 | 日記

初女先生の精神を本当に分かっているkさんを、

私は心から敬愛しています。

初めてお会いした時から、感じることがありました。

「深き森の語らい」の時に、二年振りぐらいにKさんに

会われた初女先生が「Kさんは、目の輝きが違う」と

感心されていました。

目に輝きってなんだろう?と思って先生の本を

読んでいたら、この文章に出会いました。

     『感謝の気持ちを抱いている時

     目は輝きを持ちます。

     特別な贅沢を望むことなく

     いつも感謝のお祈りをしていることが

     目の輝きに現れてくるのです

                 佐藤 初女』

感謝の気持ちが、目の輝きとなるんですね。

さすが、Kさんと益々尊敬の念が深まりました。

明日はKさんに会いにいきます。

明日天気になあれ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内村鑑三と初女先生

2015-01-04 17:28:50 | 日記

先日、何気なくつけていたテレビにハッとさせられました。

「こころの時代」という番組で、内村鑑三をやっていたの

です。

内村鑑三といえば、日本のキリスト教の先駆者と

思っていましたが、内村鑑三は日蓮も西郷隆盛も

神の声を聴いたのではないかと、言っていたと

いうので、思わずテレビの前に座って

見入ってしまいました。

内村鑑三は妻と子供を亡くした後、ヨブ記を再び

読まれたそうです。

それを知った時、私は「やっぱりヨブ記か…」と

思いました。

私は聖書の中で「ヨブ記」は、好きではありません

でした。

でも、子どもを亡くた後、心に浮かんできたのは

「ヨブ記」だったのです。

内村鑑三は、モーゼもキリストの最後の祈りも

聞かれなかったことから、「祈りとは聴かれない。

自分の為の祈りは聴かれない。

ひょっとすると、自分の為の祈りでないものは

聴かれるかもしれない」と書いているそうです。

このことを聞いた時、初女先生が対談の時に

言われた「祈りとは自分がないところのもの」という

言葉が、重なってきました。

そのことを先生にお伝えしたら、「昔々のことですが

信仰の師としていた方が、内村さんが苦しみ

また苦しみをかかえ活動なさっていることを

度々お話しして下さったのです。

その時は、昔のことでしたが、それを文字を通して

お会いすることは不思議な事ですね。

現代の生活に生かして行くことですね。」という

お返事が来ました。

ランディさんとの対談の時に、「初女さんが

大切にしているものは?」という質問に、

先生は「時間です」と答えられていました。

内村鑑三も「一日は貴い一生である。

これを空費してはならない」と言っています。

ランディさんは、初女先生の言葉は素朴だと

言われてました。

素朴ゆえにその深さに気がつかな自分がいます。

内村鑑三の言葉を聞き、「深き森の語らい」が

どんなに深いものだったかを改めて知りました。

  『喜びの声を発っすれば

  喜びの人となり

  悲しみの声を発すれば

  悲しみの人となる

                内村鑑三 』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の心

2015-01-03 15:22:19 | 日記

初女先生の講演会の分かち合いの質問に、必ず

あるのが、人間関係についてです。

今の若い人達は、メールやラインなど直接言葉を

交わさず、人間関係を築いている部分もあるので

昔よりも、更に難しくなってきている気がします。

夫婦だって、長くいるから分かりあえるかと言うと

必ずしもそうではないし、親子の関係もしかり…

初女先生は、どう言われているかしら?と思ったら

「母の心」さえあれば、多くの問題が解決されると

思っていますと…

「受け入れる、見守る、育てる、耐える、赦す」…

それが「母の心」だそうです。

『「母の心」を思い浮かべて物事にあたれば、

いろいろなことがきっとうまくいくでしょう。

自分が何かに迷った時、思い悩んだ時も「母の心」を

思い出すといいのではないでしょうか』と言われて

います。

先生は、「ご主人に対しても母の心でね。」と

おっしゃっていました。

昨日、実家に帰り、私と母とのやり取りを見ていた

息子に、「お母さん、おばあちゃんに優しくないよ」と

言われてしまいました。

親との会話は、どうしても素っ気なくなってしまいます。

今年90歳を迎えると言った母に、主人が「90歳

まで生きるって大変でしょう」と言うと、驚くほど

力を込めて「本当に大変!」と、母が言ったのです。

その時、ランディさんが「親って、話を聴いて

欲しいのよね」と言っていたことが、

ふっと思い出されました。

親子だから、黙っていても何となくわかる!なんて

思ってはいけないんだなー

そして、あ~母に対しても母の心」で向き

合わなくちゃと、思いました。

「大切なのは、目の前の人を「母の心」で受け入れる

こと」という初女先生のお言葉が深く響いてきました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甦る、あの日・あの時

2015-01-02 23:20:12 | 日記

今日、森のこもれびのホームページに

「深き森の語らい」の感想をアップしてもらいました。

初女先生が、皆さんの感想を読まれて

「二十年以上やってきたけれど、こういうのは初めて

だよ」と言われ、深い感動に包まれていたお姿が

思い出されます。

写真を見ていると、初女先生やランディさんの声が

聞こえ、あの日あの時が蘇ってくるようです。

元旦に頂いた初女先生のFAXには、一ヶ月も

経つのに、思いが言葉にならない…とありました。

私も、何とか言葉にしてあの日のことを伝えたいと

思うのですが、あまりに深くて言葉に出来ずに

います。

あの「深き森の語らい」に参加された方も

来られなかった方も、どうぞ感想を読んでみて

下さい。

初女先生が、一人がちょっと変われば、

これだけの人がいるのだから、大きく変わるよね

と、言われていたことが忘れられません。

私の願いは「深き森の語らい」が、本になること!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しき年

2015-01-01 23:17:05 | 日記

新しき年が明けました

寒い元旦に、思わず「向田邦子のお正月みたい」と

言ってしまいました。

こんな凛とした寒さの元旦は久し振りだなと

思っていたら、雪が舞ってきました。

今日は、朝一番で初女先生からFAXが送られて

きました。

「先ずは、直さんお誕生日おめでとうございます」

というお言葉に、いつも切ない元旦の誕生日が

嬉しくなりました。

歳を重ねると、誕生日を迎えることも何か

複雑の思いが混ざってきますが、初女先生の

お言葉が嬉しく真っ直ぐに心に飛び込んできました。

バースディーケーキの代わりは、お餅でした。

石臼でつたお餅は、とっても美味しくて

ランディさんが、すごーく美味しいんだからと

言っていた通りでした。

生れて初めてこんな美味しいお餅を頂きました。

今年も、色々な事があるだろけれど

新しき年が、光の中にあることを信じて

歩んで行こうと思いました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする