~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

気づき

2012-06-14 20:51:44 | 日記
初女先生は「今日と明日と同じというのは嫌い。どんな些細なことでも

いいから、今日と明日は違わないとダメ。

だから今の年齢でできることを精一杯やるのです。」と、言われて

います。

沢山の気づきが与えられているのに、何も気づかず昨日と同じ

今日を過している自分がいます。

限りあるいのちを生きているのに、本当にもったいないことです。

人は自らの気づきでしか変われないと言います。

気づき多き人生は、どんなに豊かな人生でしょう…

  精一杯生きていれば、必ず気づきはあるものです。

  そして、どんな些細な気づきでも、気づいたことを

  体験にまで高めようと努めていれば、長い年月の間に

  それが必ず大きな積み重ねになるのです。

  そのような気持ちで生きていると、年を重ねればこそ

  わかってくることが、増えていきます。

初女先生のこのお言葉が、今とても重く感じられます。


  6月17日 初女先生の講演会が東京の教会で無料であります。

  教会での初女先生のお話しはどんなお言葉が紡がれて

  いくでしょう

  きっと深い気づきが与えられる気がします。


 ここを 見て下さい。 
   
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思い出のバトンタッチ

2012-06-12 07:50:31 | 日記
大切な人が遺して行った品物は、簡単には処分できません。

魂(いのち)が永遠であることが分かり、いつも共にあることが

実感出来るようになっても、やはりその人が日常使っていたものを

身につけているだけで、何か繋がっているような気持ちになります。

私にとっては、それが息子のメガネでした。

息子が亡くなったその時から、あの子の近眼のメガネをかけて

きました。

それが、ある日突然折れてしまい、息子が「母さん、もう自分の

目に合ったメガネにしなよ」と言っているんだなと思いましたが

やっぱり、何となく淋しくてメガネを新調出来ずにいました。

しかし、不自由さは限界で、初女先生の行かれているメガネ屋さんで

作ろうと心に決めていました。

先日も、今日は作るぞ!と思って東京に行ったのですが、用事が

長引き、結局は寄れませんでした。

なかなか行けないでいたら、先生が今回の講演会から帰る時に

メガネ屋さんに行かれると言うのです。

私は、この機会を逃したらまた作れなくなると思い

飛んで行きました。

検眼が終わり、フレームを目の前にひろげ、あれこれ掛けて

迷っていたら、kさんが「先生に選んで頂いたら」と言われ

私が「えー、いいのかしら?」と言うと、「折角の機会じゃない」

と、言って下さったので私は先生の前で、ちょっとよそいきの

顔をして、次々メガネを掛けました。

そして、先生がいいねーと言って下さった2つのメガネから

かわいいピンクのフレームを選びました。

創のメガネが壊れがっくりきてましたが、こんなふうに

新しいメガネが与えられたことに、深い思いがしました。

壊れた息子のメガネが、初女先生が選んで下さったメガネに

替わったのです…

これは、もしかしたら思い出のバトンタッチなのかも

しれません。

息子の使っていたものは、古くなったり壊れたりで

どんどん少なくなります。

でも、無くなって行くだけじゃなくて、こんなふうに

繋いでくれているのかもしれません。

思い出のバトンタッチとして…



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出会いは未来をひらく

2012-06-11 19:16:07 | 日記
9日の講演会に、長野の私の友人が来てくれました。

私が何年も前に渡していた名刺が、ひょんなことから出て来て、

名刺に書いてあったホームページを見てくれ、初女先生のことを知り

すごく響いたと電話が来たのは、今年になってからでした。

その方は、大変な状況の中で苦しまれていました。

私は何も出来ないので、先生の本を送りましたら

先生の言葉が響いて響いてと、その思いを綴った手紙に私が感動し

友人からの手紙を初女先生にお送りしたら、先生も心打たれて…

人と人とが繋がっていく時は、どうしてこんなにも早く

ダイレクトに繋がっていくのでしょう…

友人は大鹿村で、先生と二人で会うことが出来、それから自分でも

変わってきたみたいと言ってました。

そして、板橋の講演会に日帰りでやってきました。

講演会の後のサインのとき、遠慮していて最後の方に並んだ

彼女の番が来た時、私が先生に「先生が会って下さった

Mさんです」と、説明しても先生は何だか分からないようで

どうしたんだろうと思っていたら、彼女があんまり変わったので

分からなかったというのです。

大鹿村で初めて会った時とは全く違っていたと、驚かれて

いました。

あの時とは違い、Mさんが前を向いていたと…

今日、Mさんに電話をすると、初女先生に会って本当に救われた

と、感謝一杯でした。

初女先生に出会い、すべてを受けとめてもらえると、なぜか

苦しい状況は少しも変わらなくても、立ち上がることが

出来るのです。

自分の中にそんな力が残っていることさえ分からなくても

立ち上がり、歩きだす力が自らの中に湧きでて来るのです。

初女先生は、その力を信じて、すべてを受けとめて下さるのです。

見違えるほど変わったMさんは

状況は変わらないけれど、自分の気持ちが変わったと言っていました。

また一つ、未来をひらく出会いが…

そう、「出会いは未来をひらく」ですね。初女先生!

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息子の呟き「初女先生が…」

2012-06-10 22:36:22 | 日記
昨日は雨の中、初女先生の講演会に沢山の人が来て下さいました。

遠くは五島、鹿児島 広島 青森 仙台 長野…

皆さんがどんなに深く初女先生を求めて来られたが、ヒシヒシと

伝わってきました。

先生も皆さんの思いに少しでも応えたいと、心を離すことなく

一心に向き合われていました。

私は受付をしていたので、講演を聴くことは出来ませんでしたが

分かち合いで、丁寧に応えられる先生に、身動き一つせず聴かれて

いる参加者の方の姿に、胸が熱くなりました。

分かち合いの質問の中で、「家計が大変でいつも見切り品しか

買えず、新鮮なもの買えないのですが、心を込めて作れば

大丈夫でしょうか」という質問が

ありました。

私だったら、「心を込めれば大丈夫よ」と、実に安易に答えたと

思いますが、先生はじーっと考えられそして、「その中でも

いいものを選んでください」と言われました。

私はその時、投げかけられた心に心で応えるとは、

こういうことなのかと、先生の真っ直ぐな誠実さというものを

見せて頂いた気がしました。

講演会終了後のサインには、長蛇の列が出来、私たちスタッフは

ハラハラしたのですが、サインをするという短い出会いの時も

本当に大切にされている先生の心が伝わってきました。

遠くからいらした方々も、みなさん心満たされたお顔をして

いました。

初女先生の講演会はいつでも、誰もが晴れ晴れとした顔で

帰っていかれるんです。

そして、私たちスタッフはその姿を見て、お福分けを頂いたような

しあわせな気持ちになるのです。

 家に帰って息子に「先生、すごいのよ。先週も今週も

来週も東京に来るんだから」と言うと、息子に「初女先生が

僕のおばあちゃんだったら、そんなに働かさないよ。」と

言われてしまいました。

私は息子に返す言葉が見つかりませんでした。

先生は、先のことを言うと「生きていたらね」と言われることが

あります。

以前は「嫌だ、先生そんなこと言わないで」と笑い飛ばして

いましたが、昨日はその言葉がやけに重く感じました。

「先生は特別な方だから、大丈夫よ」と、言われる方もいます。

でも、僕のおばあちゃんだったら…

私のお母さんだったら…って思う心もどんなに大切かと

息子に教わりました。

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いのちを生きる

2012-06-08 22:24:27 | 日記
明日は東京の初女先生の講演会、イスキアの集いです。

もう、8回目になります。

私は2003年に先生に出会った翌年、先生からお声をかけて頂き

この講演会のたち上げから参加させて頂きました。

何回目かのイスキアの集いの時、先生が「直さんはこういうことを

やりたがっていたよね」と言われそうです。

私は、その時そんなこと考えてもいなかったのに…

先生は、すべてお見通しだったんでしょうね。

明日の集いでは、どんな出会いがあるでしょうか…

演題は「いのちを生きる」

多くのいのちが失われ、誰もが立ちどまり、どう生きて行ったら

いいのかと思った時、何があっても変わらない初女先生の

生き方が、どんなに尊い生き方かということに気がついたのです。

その初女先生が90年の人生を通し語る「いのちを生きる」

どんな言葉が紡がれ、私たちの心に降りて来るのでしょうか…

きっと深い時間になると思います。

「いのちを生きる」

私は今、本当にいのちを生きているのだろうか…



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受け入れる

2012-06-07 23:29:02 | 日記
仕事の研修で、療育医療の先生のお話を聴きに行きました。

お話の中で一番心に残ったのは、子供の障害を受け入れられな親も

受け入れると言われたことです。

私の知り合いに、40過ぎた子供の障害を受け入れられず、辛い関係

になっている親子がいます。

こんなにかかっても、どうして子供の障害が受け入れられない

のだろう…

受け入れられたら、もっと親子関係が楽になるのにと思って

いましたが…

お話を聴いた後、このお母さんも自分の親に受け入れて

もらえなかったのかもしれないと、思えたのです。

そう思っただけで、今まで理解出来なかったお母さんの

気持ちが少し感じられるようになったのです。

初女先生は「母性愛とは、言葉を替えれば受け入れること」と

言われています。

私は、子供の障害を認められないお母さんを受けいれて

いなかったのです。

 先生は「今の世の中に足りないものは、あるがままの

自分を受け入れてくれる場所」と言われています。

初女先生に出会い、先生に受け入れてもらった私たちが

今ここを ささやかなイスキアにしていかなければと

思っていたのに…

  「母性愛がもう少し一人ひとりの心の中で芽生えるなら

   混沌とした現代の状況も、少し変わるように思えるのです」

という先生のお言葉が私の心に立ちあがってきました。







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ちょっとお休みが…

2012-06-05 20:57:53 | 日記
私は、初女先生のお料理で、火を止めそのまま休ませるというのを

知りました。

時々は無意識でやっていましたが…

先生は煮物でも味がしみ通るまで熱を加えず、7分通りか8分通りで

止めると、時間をかけてゆっくり味がしみ込んで

美味しくなると、言われています。

そして、私たちの生活にも同じことが言えますねと…

「いつも前へ前へと進み続けるばかりでは、誰でも疲れてしまいます。

そうでなく、ちょっとお休みを入れることが大事なんですよ。

お料理も生活も、そんなに先を急ぐのでなく、ちょっとお休み下さい

ということが必要だと思います」と…

「ちょっと、お休み」が大切なんですね。

そういえば、私たちの生活って昔よりずっと便利に楽になったけれど

いろんな面で随分、窮屈になってきた気がします。

先日テレビで、若い人たちが言って欲しくない言葉というのに

「失敗は成功のもと」「終わりよければすべてよし」というのが

ありました。

理由は、「失敗はしたくない」「終わりよければとは、途中で失敗

している」というのです。

若い時の特権は、失敗を恐れずやれるってことだと思うのに…

「失敗したっていいんだよ」

「そんなに急がず、ちょっとお休みください」

こんな易しい言葉が、今はとても大切なのかもしれません。

ちょっと休ませた初女先生のお料理は、深い優しい味が

します。



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今の今しかないよ…

2012-06-04 22:02:15 | 日記
先週、家族3人で巨人戦に行きました。

私は野球より、後楽園飯店での食事が目的でしたが…

食事をしていた時、息子がトイレに席を立った時に、主人が

「こうやって3人で食事をするのも、あとどれくらいあるかなー

彼女が出来れば、彼女と二人で食事をするだろし、結婚して家族が

出来れば、家族でするようになるだろう…

だから、今こうしている時間が大切なんだ」と言ったのです。

私は「これって、初女先生の今を生きるに繋がらない?」と

心の中で思っていました。

そんな話しをした1週間後の昨日、主人の言葉を実感しました。

昨日は「ゆず」の東京ドームコンサートでした。

ゆずファンの息子は早くからチケットをとっていたのですが、

今回はいつもと違って息子はガールフレンドと一緒

広い会場のどこにいるのかなーと思いながら、私は主人と二人…

「俺たちより年寄りの人がいるよ」という主人の言葉に

ちょっとほっとし、席につきました。

その時ふっと「そうか、やっぱり今の今しかないんだなー」と

思いました。

今の今が尊いと思える、その心を忘れないようにしないと!

だって、しあわせは今の今にあるのだから…



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初女先生のお買い物

2012-06-02 13:47:28 | 日記
昨日、初女先生の講演会を主催したKさんからお電話を頂きました。

今回の講演会は一人での申し込みが多く、初女先生を求め

初女先生に確認(自分の生き方への)をしに来ている方が多かった

ということでした。

本当に響き合う講演会となったようで、電話の向こうからそのことが

伝わってきました。

Kさんが、今回は珍しく先生とお買い物したのよと…

堺は刃物で有名なところだそうで、先生が包丁を買いたいと言われ

包丁を買いに行ったというのです。

私は思わず、「90歳にして、包丁!やっぱり先生は凄い!」と

唸ってしまいました。

Kさんも、「ほんと、すごいやろう!」と…

先生は「お買い物は楽しいね」と言われ、堺は刑務所があるので

刑務所で作られた物も売っているそうで、次に来た時は

そちらに行きたいと言われたそうです。

忙しい先生にとって、食材以外のお買い物はほとんどないのでは

と思われます。

きっと、どんなにか楽しいひと時だったことでしょう

しかし、90歳で包丁を買おうとは…

私は、現役で有り続ける凄さを、改めて感じました。

気に入った包丁を手にした、先生の嬉しそうなお顔が

目に浮かびました。

私は心密かに、先生と同じ包丁を買いにKさんのところへ

行こうと思いました。

疲れている時に、たまに出て来る「私って一生ご飯作り

続けるのかしら」という悪魔の囁きも、初女先生と同じ

包丁をみたら、ぐうの音も出なくなると思うので…

90歳の初女先生のお買い物に、感服致しました。
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足るを知る国~ブータン

2012-06-01 20:15:35 | 日記
ブータンは、決して豊かな国ではありません。

むしろ貧しい国です。

だのに、なぜブータンの人達は幸せを感じているのでしょうか…

ブータンは国民の4割が字が読めない状況にありますが、子供達は

学校で夢を膨らませているそうです。

教育費は11年間無料で、朝昼の2食の給食が子供たちのいのちを

つないでいるそうです。

学校に通う靴が買えず、サンダルで通う子も3割いるそうです。

つましい暮らしですが、子供達は「学校に行けるから幸せ」

と言い、親は支度費用などお金を借りても、子供を学校に進ませたい

と言っています。

ブータンの人が持っている幸福観は、「幸福と貧しさを同じ物差しで

捉えず、貧しくても学校で2食べられれば幸せ!」と、細部を見るの

ではなく、全体としての幸福を感じることなんだそうんです。

新聞には「ブータンの国民総幸福量は、足るを知ることの大切さを

背景に、どんな時も人生をあきらめない国民性に繋がっている

ようだと、書いてありました。

足るを知るは、初女先生も言っておられます。


「いまを満足する」

これは、仏教の言葉で言うなら「知足。足るを知る」に

近いでしょうか。

自分の「いま」に満足し、そのことに「感謝」の気持ちを持つこと

そういうふうに考えれば、自由な気持ちになれるはずです。

私は最近「いまを生きる」という言葉をよく使うのですが、

その言葉とも通じるところがあると思います。

と、先生の本に書いてありました。

ブータンの幸福は、私たちの祖母や祖父母が感じていた幸せ

なのかもしれません。

豊かさの中で「足るを知る」ことを忘れてしまった日本人

ブータンの幸福観は私たちの中にも、確かにあるはずです。

それは、「いま」を満足すること、そして感謝すること!

日本人も又、足るを知る民であったことを思い出して…












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