大切な人が遺して行った品物は、簡単には処分できません。
魂(いのち)が永遠であることが分かり、いつも共にあることが
実感出来るようになっても、やはりその人が日常使っていたものを
身につけているだけで、何か繋がっているような気持ちになります。
私にとっては、それが息子のメガネでした。
息子が亡くなったその時から、あの子の近眼のメガネをかけて
きました。
それが、ある日突然折れてしまい、息子が「母さん、もう自分の
目に合ったメガネにしなよ」と言っているんだなと思いましたが
やっぱり、何となく淋しくてメガネを新調出来ずにいました。
しかし、不自由さは限界で、初女先生の行かれているメガネ屋さんで
作ろうと心に決めていました。
先日も、今日は作るぞ!と思って東京に行ったのですが、用事が
長引き、結局は寄れませんでした。
なかなか行けないでいたら、先生が今回の講演会から帰る時に
メガネ屋さんに行かれると言うのです。
私は、この機会を逃したらまた作れなくなると思い
飛んで行きました。
検眼が終わり、フレームを目の前にひろげ、あれこれ掛けて
迷っていたら、kさんが「先生に選んで頂いたら」と言われ
私が「えー、いいのかしら?」と言うと、「折角の機会じゃない」
と、言って下さったので私は先生の前で、ちょっとよそいきの
顔をして、次々メガネを掛けました。
そして、先生がいいねーと言って下さった2つのメガネから
かわいいピンクのフレームを選びました。
創のメガネが壊れがっくりきてましたが、こんなふうに
新しいメガネが与えられたことに、深い思いがしました。
壊れた息子のメガネが、初女先生が選んで下さったメガネに
替わったのです…
これは、もしかしたら思い出のバトンタッチなのかも
しれません。
息子の使っていたものは、古くなったり壊れたりで
どんどん少なくなります。
でも、無くなって行くだけじゃなくて、こんなふうに
繋いでくれているのかもしれません。
思い出のバトンタッチとして…
魂(いのち)が永遠であることが分かり、いつも共にあることが
実感出来るようになっても、やはりその人が日常使っていたものを
身につけているだけで、何か繋がっているような気持ちになります。
私にとっては、それが息子のメガネでした。
息子が亡くなったその時から、あの子の近眼のメガネをかけて
きました。
それが、ある日突然折れてしまい、息子が「母さん、もう自分の
目に合ったメガネにしなよ」と言っているんだなと思いましたが
やっぱり、何となく淋しくてメガネを新調出来ずにいました。
しかし、不自由さは限界で、初女先生の行かれているメガネ屋さんで
作ろうと心に決めていました。
先日も、今日は作るぞ!と思って東京に行ったのですが、用事が
長引き、結局は寄れませんでした。
なかなか行けないでいたら、先生が今回の講演会から帰る時に
メガネ屋さんに行かれると言うのです。
私は、この機会を逃したらまた作れなくなると思い
飛んで行きました。
検眼が終わり、フレームを目の前にひろげ、あれこれ掛けて
迷っていたら、kさんが「先生に選んで頂いたら」と言われ
私が「えー、いいのかしら?」と言うと、「折角の機会じゃない」
と、言って下さったので私は先生の前で、ちょっとよそいきの
顔をして、次々メガネを掛けました。
そして、先生がいいねーと言って下さった2つのメガネから
かわいいピンクのフレームを選びました。
創のメガネが壊れがっくりきてましたが、こんなふうに
新しいメガネが与えられたことに、深い思いがしました。
壊れた息子のメガネが、初女先生が選んで下さったメガネに
替わったのです…
これは、もしかしたら思い出のバトンタッチなのかも
しれません。
息子の使っていたものは、古くなったり壊れたりで
どんどん少なくなります。
でも、無くなって行くだけじゃなくて、こんなふうに
繋いでくれているのかもしれません。
思い出のバトンタッチとして…