昨日のブログに「のさり」のことを書いていて
ふと、私が初女さんに言った「子どもの死も生も
与えらえたものだと思えるようになりました。」と
いう言葉を思い出しました。
もしかしたら、これも「のさり」かもと…
初女さんは、「ここまで来るのに、あなたが
どんなに苦しんだことか」と言って下さいましたが
本当に、苦しみあがきました。
もしも、良いことも悪いこともすべて
天から賜ったものと受け止める「のさり」と
いうものが、私の中にあったら、
これほど苦しまなかったかもしれないと、
思ってしまいました。
風土が人を育てる
都会に暮らしていると、風土という言葉すら
死語のような気がしますが…
初女さんは、朝起きると「今日のお山は
どうだろう」と、岩木山を眺めるのと言い、
岩木山と共に暮らしているという感じでした。
弘前に行くと、住んでない私ですら
あ~この地は岩木山に見守られて
いるんだな~と思います。
自然と暮らしが近しいところは、人は
その地に育まれて行くんだなと、思いました。
私の中に、やっとの思いで生まれた「のさり」
これもまた、息子からの贈り物かもしれない…
私も昨年 娘を突然喪いました。まだまだ寂しすぎ 心にぽっかり穴があいたままで もがき苦しんでいます。生命が永遠であることも 頭ではわかるのですが 感情がついてゆかず…まだまだ 今を生きられずにいます。
でも すなおさんのブログを読み いつか すなおさんのように 我が子の死でさえ のさりと受けとめられるようになりたい!
石牟礼さんのような崇高な心を持ちたい!
今そう思っています。
すなおさん たくさんの気づきをありがとうございます。
昨年ですか…私は、その頃は息子の処へいくことばかり考えていました。毎日涙が出ない日がなくて、「涙枯れるまで」なんて言葉は嘘だと思いました。
だから息子が夢に出て来て「俺は死んだんなよ、認めろよ」と言ったのです。
それでも、息子の死が受け入れられなくて、
「何で、何で」と、答えの出ない問いを繰り返し、打ちのめされていました。
そんな状態でしたが、心の隅っこに悲しみ苦しみを抱えても前を向いて歩いていきたい。そういう人に会いたいと思っていました。そうしたら初女さんとのご縁が繋がったのです。
息子が繋いでくれたのだと思っています。
立ち直ろうと頑張ると、次なる悲しみに押しつぶされます。お嬢さんはお母さんの幸せを一番に願っています。お母さんが嬉しい時、お嬢さんも嬉しいの。いつかお嬢さんの姿、かたちを求めないようになったら、お嬢さんからのメッセージをキャッチ出来ると思います。
お嬢さんは、一番近くにいるのです。
人間の目って、大きすぎても小さすぎても見えないでしょ。目には見えなくても、確かに居るって感じられる日が必ず来ます。共に生きて行く存在となったのですから…
コメント本当に嬉しかったです。
有難うございます!