若松英輔氏が石牟礼道子さん
のことを書いた「常世の花」
を読むと、私達は亡くなった
人の思いと共に生きている!
という気がひしひしと
してきます。
死は決して終わりではなく
新たなる始まりなんだと
思えるのです。
石牟礼さんは『人が死ぬ
ということは、その人と
より深く逢いなおすことの
ようです。
生きているうちにそれが
果たせぬゆえに、人は
美しくなって死に向かうの
でしょうか。』と、書いて
います。
”その人とより深く逢い直す”
このことがとてもよく
わかります。
初女さんが亡くなってから
私は、初女さんが生きていた
時、以上の深い出会いを
しているのです。
生きている時に感じていた
距離感が全くなく、今ここに
私の中に初女さんは在るのです。
石牟礼さんが、敬愛する著者を
思って書いた言葉と初女さんの
言葉が深く響いてきます。
『ひとりの人間の死が、
残された生者たちの魂に
より添い、蛍火の明滅の
ように、とり残された
その道行を導くことがある
ように、ひとりの著者の死と
業跡を、読者がひとつの
直感をもって受け継ぐことは
ままあることである』
石牟礼道子
大切な人の死は悲しいこと
ですが、悲しみにおぼれては
いけないと思います。
人の死は姿の別れであって、
心の別れではありません。
悲しみも苦しみも捧げて
亡くなった人が生前望んで
いたように生きていくことが
いちばんの供養であり、
自分の慰めにもなります。
かけがえのないものを
なくされた方には、いつか
大きなものが与えられますよ
佐藤 初女