今日は、早朝から「書」の稽古を始めました。
朝が一番エネルギーがあるように思えるので…
鎌田實先生も帯津先生も、朝早く起きて色々
なさると聞いています。
今、中国の北魏の時代の「始平公造像記」の臨書
をやっています。
「書」を習い始めた最初が、この造像でした。
「一」が書けなくて、気がついたら一年間
ひたすら「一」を書いていました。
そして、今再び書いているのですが、全く
書けないのです。
「造像」という富士山に、ありんこの私が挑んで
いるようです。
今は塔婆もコンピューターを使って
書いているお寺もあるそうです。
人口知能に負けない能力を伸ばそうという塾が
流行り出していると新聞に書いてありました。
どんなに人工知能が進歩をとげても
造像の持つ、きっぱりとした力強いエネルギーが
観る者の心に、ガツンと響いてくる
こういう字は書けないだろうと思うのです。
字から、その民族の歴史さえ感じられるのですから…
書いても、書いても「造像」は私を跳ねのけて
しまいます。
また一年間「一」を「十」を書くのかな…
どんなに書けなくても「造像」は私の心を
離しません。
やっぱり、人間って素晴らしいです!
『始平公造像記』