東日本大震災の直後から「頑張れ日本」の言葉がテレビから
引っ切り無しに流れ、まるで日本中の合言葉になり、そして
その言葉にのって進め進めという勢いで、復旧復興に向かっています。
立ち止まる時間もなく、悲しみと向き合う時も、悲しみや苦しみを
口にすることも出来ず、すべてを心に沈めて歩きだそうとしている
被災地の人を見ていると、胸が詰まりそうになります。
今日、新聞に載っていた精神科医の野田正彰さんの文章を読み、
思いが重なった気がしました。
「阪神大震災の時は、牛乳瓶や空き缶に花を差し瓦礫の中で
うずくまっている人を大勢見たが、今回の震災ではそんな姿は
少ないと感じている。
被災地の人達は胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙って
いるのではないでしょうか。
悲しむということは、失った家族と対話することです。
その悲哀を通して、人は人生の意味をあらしめている。
本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。
ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、
野蛮な暴力社会だと思います。
悲しみを、ちゃんと悲しめる社会
それこそが本当の復興へ向かう私たちの精神の礎で
あるべきです。 (野田正彰)
野田さんの文章の一部です。言葉は多少きついところも
ありますが、頑張れ日本の陰で見落としてきている大切な
ことを示唆しているように思いました。
引っ切り無しに流れ、まるで日本中の合言葉になり、そして
その言葉にのって進め進めという勢いで、復旧復興に向かっています。
立ち止まる時間もなく、悲しみと向き合う時も、悲しみや苦しみを
口にすることも出来ず、すべてを心に沈めて歩きだそうとしている
被災地の人を見ていると、胸が詰まりそうになります。
今日、新聞に載っていた精神科医の野田正彰さんの文章を読み、
思いが重なった気がしました。
「阪神大震災の時は、牛乳瓶や空き缶に花を差し瓦礫の中で
うずくまっている人を大勢見たが、今回の震災ではそんな姿は
少ないと感じている。
被災地の人達は胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙って
いるのではないでしょうか。
悲しむということは、失った家族と対話することです。
その悲哀を通して、人は人生の意味をあらしめている。
本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。
ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、
野蛮な暴力社会だと思います。
悲しみを、ちゃんと悲しめる社会
それこそが本当の復興へ向かう私たちの精神の礎で
あるべきです。 (野田正彰)
野田さんの文章の一部です。言葉は多少きついところも
ありますが、頑張れ日本の陰で見落としてきている大切な
ことを示唆しているように思いました。