今日は語りの会のお手伝いに行ってきました。
古屋和子さんの「楢山節考」は、言葉を失うくらいすごいものが
ありました。
深沢七郎のこの作品は、別の人の語りで聴いたことがありますが
そのときは、悲しく悲惨な話しと思っていましたが、今日の
古屋さんの語りは、死に向かっていく「生」が諦めの「生」ではなく
実に逞しい「生」なのです。
今を生ききろうとする「おりん」の姿がくっきりと浮かび上がって
きました。
何十年前まで、姥捨て山は実際にあったといいます。
聴いていて涙が溢れてしまいましたが、不思議と悲しさよりも
生きる力をもらった気がしました。
どんな状況にあっても、今を生ききろうとするする「生」が
そこにはありました。
やっぱり、古屋さんの語りは凄い!とつくづく思いました。
別の方が語った、浅田次郎の「角筈にて」も心に残るものでした。
今日は、素晴らしい語りを聴いて、心が耕されたような気がします。
古屋和子さんの「楢山節考」は、言葉を失うくらいすごいものが
ありました。
深沢七郎のこの作品は、別の人の語りで聴いたことがありますが
そのときは、悲しく悲惨な話しと思っていましたが、今日の
古屋さんの語りは、死に向かっていく「生」が諦めの「生」ではなく
実に逞しい「生」なのです。
今を生ききろうとする「おりん」の姿がくっきりと浮かび上がって
きました。
何十年前まで、姥捨て山は実際にあったといいます。
聴いていて涙が溢れてしまいましたが、不思議と悲しさよりも
生きる力をもらった気がしました。
どんな状況にあっても、今を生ききろうとするする「生」が
そこにはありました。
やっぱり、古屋さんの語りは凄い!とつくづく思いました。
別の方が語った、浅田次郎の「角筈にて」も心に残るものでした。
今日は、素晴らしい語りを聴いて、心が耕されたような気がします。