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磯田道史さん: 「1700年ごろまでの近世武士は行動的で決断が速かった」 1707年大地震+富士山

2013年05月26日 22時43分16秒 | 新聞
朝日新聞の週末beに、「磯田道史の備える歴史学 防潮堤を造った人々」という記事がありました。

歴史学者の磯田道史さんの連載コーナーです。

江戸時代も1700年くらいまでは、武士も行動的で決断が速かったのだそうです。


今回は、「防潮堤」がテーマでした。

「江戸時代、津波の被害をうけた後、緊急対策として、あっという間に津波防潮堤を建設した歴史がある」と説明されています。


九州の大分県の佐伯の小さな(2万石)大名の話題です。

もともとは森氏といいましたが、豊臣秀吉の命で毛利氏(中国地方)を水攻めにした際、縁あって毛利氏と名乗ることになります。

1707年(宝永4年)10月4日に、宝永津波が佐伯を襲います。
佐伯の城下町は、3.5~4mの津波の被害を受けてしまいました。

6代目藩主・毛利高慶は、すぐに城下町全体を防潮堤で護ることを決意します。

津波の被災17日後から着工し、2カ月の突貫工事で新堤防を完成させました。
新堤防1.3kmを含む総延長4kmの防潮堤が完成したのだそうです。

「赤穂浪士もそうだが、おおむね1700年ごろまでの近世武士は行動的で決断が速かった。

しかし平和が続き、世襲が重なると、近世武士は次第に行動が格式張ってきて「機能的」でなくなる傾向がみられた」

ということです。
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江戸時代の武士は、ずっと効率なんて考えずに、形式を重んじてきたような印象がありました。

1700年くらいまで、と数字を示されたのも興味深いです。


1700年がどういう時期なのだろうと、「1700年 日本史」で見てみました。

「日本の歴史 - Wikipedia」が3番目に出てきました。

クリックすると、江戸時代は「1603–1868」年と、右側に出ています。

江戸時代約300年の最初から1/3のところにあたるようです。


「日本の歴史データ:1700年-1799年 - ムラウチドットコム・村内伸弘の社長日記」というブログも、2番目に出てきました。
(http://m.murauchi.info/weblog/1968/02/post_145.php参照)

村内伸弘さんという日本史好きの社長さんが、1700年-1799年の日本の歴史データを示していらっしゃいます。

1707年(記事で佐伯に津波が来た年)を見てみると、なんと「富士山噴火」とあります。
津波と富士山噴火の年だったのですね。


「1707年」と打っていたら、「宝永地震」「宝永噴火」と出てきました。

「宝永地震、東海地震、東南海・南海地震、連続地震」というサイトが出てきました。
(http://www.bo-sai.co.jp/houeijisin.htm参照)

「防災システム研究所」(東京)のサイトです。

「東海・東南海・南海地震が同時発生

 宝永地震は、宝永4年10月4日(1707年10月28日)、中部、近畿、四国、九州の広い地域にまたがり、東海地震・東南海・南海地震が同時に発生し、地震の規模はマグニチュード8.6と日本最大級の巨大地震と推定されている」

「地震後49日目に富士山が噴火(宝永の噴火)
 宝永地震から49日後の宝永4年(1707年12月16日)、富士山で大噴火が起こった」

と書かれていました。


1707年は、日本最大級の地震が起き、その49日後には富士山で大規模な噴火が起きた年だったようです。
(「赤福」創業の年でもあるようです)

大きな地震と富士山の噴火が続けて起きることもあるのだと、認識を新たにしました。


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