旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

ソバ屋で演歌を聞きながら

2011-11-25 23:28:36 | 学会活動

札幌での外来を済ませ、また上京。本日は心療内科学会の理事会・評議員会に参加。

お台場の東京国際交流館を初めて訪ねました。

この学会の中井吉英理事長がプライマリ-ケア医との連携を意図してぼくを理事に指名してくださったのですが、内実は相当厳しいようです。

この数年、会員が1300名程度で増えていません。収入は減っています。支出が一定なので財政は厳しいです。

今、メンタルヘルスが日本社会の大いなる課題であるのに、精神科医も心身医学会に参加する人が少なくなり、心療内科医も減っていく。これは危機でしょう。

心身医学会と心療内科学会が併存することにどれだけの意味があるのでしょうね。精神科医と内科医の戦いとしたら、それはやめてほしいですね。

夕方早くにお弁当をいただいたので、夜やや空腹感が辛くなりました。大好きなそば屋のひとつ。梅もとの薬膳そば(330円)を食べようかなと街に出るとお店は閉まってました。

次は富士そば。開いてました。ほうれん草そばを食べようかなと券販機の前に立ったら、ドアにかつ丼の広告。450円が今月は何と390円。自制心の乏しいぼくは、かつ丼のボタンを押してしまい。

いつもの富士そばのかつ丼より、かつは小さく、肉も何ランクかダウン。それのお米もいつもよりパサパサの気がする。うーん。安さに気を付けましょう。

富士そばの社長は演歌歌手らしく、女性歌手が失恋し、日本海沿岸をさまようような演歌が流れてきます。

日経によると「彼女なし」独身男性が6割を超しているとか。

さびしい晩秋です。心療内科学会の奮起も期待しましょう。評議員会ではわが学会の板東浩理事が、もう少し関連学会と連携すべきだと発言してくれました。

さて明日の晩は日高屋のやさい炒め定食かな。


介護災害のある社会

2011-11-24 22:46:25 | 地域協働

11月23日は在宅医療の日。公益財団法人在宅医療助成勇美記念財団が東京で第7回在宅医療推進フォーラムを開催しました。国立長寿医療研究センターも主催者です。

在宅医療従事者の勤労を感謝する日になっています。

今回のテーマは「震災と在宅医療~震災から学ぶ在宅医療のミッション~」でした。

午前中は全国各地からの取り組みのレポートがありました。皆いろいろ工夫して在宅医療を展開しています。看取りも大きな課題であることも示されました。

午後は震災の取り組みが主でしたが、基調講演をされた小山剛さんのお話を聞いて、世の中すごい発想をする人がいるのだなあと感動しました。

小山さんは午後にあらわれて、隣の席に座ったので、名刺交換しました。何枚も重なった名詞なので、1枚だけ取って返そうとすると、「いや」と言われました。確かによく見ると名刺4枚分がつながっているのでした。

肩書は高齢者総合ケアセンターこぶし園総合施設長とあります。このほかに役職が14。書かれている施設の数が50か所くらいはあるでしょうか。ちょっと、このおっちゃんやり過ぎじゃない、と考えてしまいました。

講演を聞くと、こんなにがんばっている理由が理解できました。

小山さんに言わせると「介護状態になることが災害である」「復興は施設から地域に戻ることである」「大規模集約型の施設を解体して、サテライト施設を次々につくる」

それで分散した施設が多いのですね。様々な地域に「サテライト型居住施設」「小規模多機能サービス」「在宅療養視線診療所」の組み合わせを基本として展開しています。

介護災害を受けた人を地域に返す。地域で人間の復興を果たしていくのが地域ケアということなります。名刺にどこまで書き込むのかは意見の分かれるところでしょうが。


田代祐基先生へのお別れの言葉

2011-11-23 23:33:14 | 交友

旧日本プライマリ-ケア学会の副会長を務められた田代祐基先生が亡くなられたのは先月であった。本日熊本でお別れの会が開催された。九州ブロック代表秦喜八郎先生に託した学会理事長としてお別れのことばである。

 

お別れのことば

田代祐基先生

新しいプライマリ-ケア連合学会のため
今後ますますご活躍、ご助言いただきたく望んでおりましたのに、
突然の訃報に接し、ただただ残念でなりません。

先生は旧プライマリ-ケア学会が設立されてまもない
昭和58年に本学会に入会され、
平成12年度から3年間常務理事を務められました。
介護保険制度がスタートした時期であり、
主として介護保険委員会や、
ケアマネジメントあり方委員会、
IT情報検討委員会で
獅子奮迅の活躍をされました。
それまでの医師会活動等で培われた能力を遺憾なく発揮してくださいました。

平成15年からの4年間は、
小松真(まこと)会長の片腕として、学会の副会長を務められました。

私も同じ時期に副会長を務めましたが、
田代先生の幅広く新しい見識によりまして、
助けていただいたことが幾度もございました。

先生のご尽力もありまして、
第30回の記念大会は、当時宮崎県医師会長であられた
秦喜八郎先生が会頭を務められ、
九州ブロックのひとつ、宮崎県で
盛大に開催できたのであります。

個人的に知る田代先生はスキーの名手で、
毎年お正月には、北海道のニセコスキー場へ来られると
お聞きしました。
ニセコでぜひご一緒したいと願っておりましたが、
それも叶わぬこととなってしまいました。

田代先生。
やすらかにお休みください。
そして、先生が副会長を務められた学会が、
方向を誤ることなく、日本の医療改革に
貢献できるように、我々を導いてください。

プライマリ-ケア学会に対する先生のご貢献を心より感謝し、
お別れのことばといたします。

田代祐基先生。
ありがとうございました。

平成23年11月23日
    日本プライマリ-ケア連合学会理事長    前沢政次


雪降る日々

2011-11-22 23:28:12 | 日記

倶知安周辺はきのうきょうとひどい雪です。

午前中の診療を終え、上京のために新千歳いくのに、旧大滝村、美笛峠、支笏湖のほとりを走る時間が読めず、小樽まわりで行くことに決めました。

しかし、札樽道はスピードが50㎞に制限され、そのうえ警察の事故処理車が前を走っていて、追い越せませんでした。

そのため、JALに電話してギリギリで予定の飛行機に乗せてもらいました。

うーん。冬は厳しいなあ。初恋の淡さも甘さもすっぱさもありません。時間との戦いです。

まあ、天気に合わせてゆっくりゆったり生活するしかないのですね。

午後7時からのプライマリ-ケア連合学会の運営会議になんとか間に合いました。学会の役員を続けるのはそろそろ無理ですね。

さて、小泉・山田副理事長に出てもらった、日本専門医制評価・認定機構の入社ヒアリングですが、ひどいものだったようです。(11月11日)

対応した機構の委員たちは「機構に入れてやるけど、徹底的に叩くぞ」といった感情論に終始したそうです。そこは豪雪地帯です。雪降る日々が続きそうです。家庭医を育てる意義など考えられない人たちのようです。


鴨下重彦先生を天に送る

2011-11-21 22:53:22 | 交友

東大名誉教授で小児神経学の大家、鴨下重彦先生が11月10日にご逝去されました。

その後、1週間近く過ぎて新聞で訃報記事を読んだと数人の友人が教えてくれました。

もう40年近く前になります。ぼくが現国立国際医療研究センター病院での臨床研修を終え、膠原病の研修を続けながら、将来悩みつつ、東京周辺の私立大学で勉強を続けようと決めたのちに、鴨下先生から「自治医大へ行かないか」と誘われたのでした。

つまり、自治医大に行くことになり、やがて地域医療に目を向けるようになるきっかけを与えてくれたのが鴨下先生で、今日在るは先生のおかげ、人生の岐路で的確にお声をかけていただいたのでした。

37歳で自治医大の小児科教授に就任されて先生は、ぼくに小児科を勧めてくださいました。ぼくは3年間内科を研修し、内科での課題、がん患者へのターミナルケアや心身医学を捨てがたく、小児科転向を断りましたが、自治医大がへき地医療教育を掲げていたことに共鳴し、血液疾患の内科教授であった高久史麿先生(自治医大学長)を紹介してもらったのでした。

神保町の書店で先生が編著者を務められた『矢内原忠雄』(東京大学出版会)を手にしました。東大総長を務められた矢内原先生の生涯を鴨下先生が書かれています。この本の発行は11月3日。おそらく鴨下先生の遺言と受けとめてよいでしょう。

鴨下先生のお別れの会は12月4日午後2時から国際基督教大学礼拝堂で行われます。

遺言とは「何よりも心理を愛し、正義と平和のために生涯をかけて戦った矢内原忠雄先生の信仰と思想が、若い人々に受け継がれて21世紀の難問解決に力を発揮していくことは心からなる願いである」 でしょうか。