旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

北海道胆振東部地震 その後

2018-09-09 22:24:14 | 震災復興
停電は約24時間続き復旧しました。クリニックは自家発電で入院患者さんのケアを継続できました。


地震後初めて隣町のスーパーに行きましたが、チーズなどまったく棚においてありません。ガソリンはわが町では一人10Lの制限があります。隣町のセルフでは満タンにできました。

9月22~23日の日本健康福祉政策学会は予定通り開催したいと考えていますが、さらに強い地震が来れば開催は難しいでしょう。

厚真町は死者も40名近く、大変な状況です。避難所での健康管理も求められているでしょう。明日からボランティア募集が始まります。「北海道ボランティアセンター」HP参照とのことです。

さきほどNHKスペシャルで、火山灰が覆った山が大雨と地震で崩れやすいようです。そういう場所は全国にあるとのこと。自然災害に対する危機意識はたいせつですね。


福島県議会福祉公安委員会御一行様来訪

2013-07-24 22:34:56 | 震災復興
はるばる海を越えて被災地であり、原発問題に揺れる福島県から議員さんたちが京極町を訪ねてくれました。

代表は福祉公安常任委員会長である甚野源次郎氏です。

診療所の包括ケアや医師の集め方など説明いたしましたが、福島の医療はもっと複雑のようです。

質疑応答の中でも原発に近いある村のお話がありました。帰村宣言が出されていますが、実際に村に戻っている人は3分の1(HPでは4割)です。

診療所は被災前よりも充実しているのだそうです。

多くの村民が避難している郡山市は大きな病院がいくつもあり、医療に恵まれた地域。そこでの医療を受けていると村の診療所との格差が大きく、帰村しない大きな理由の一つになっているというのです。

日本の医療のゆがみを象徴している実態です。人は大きな病院がかかりつけであれば幸せなのでしょうか? 

医療供給過密地域(郡山がどうか分かりませんが)で濃厚な診療を受けたら、田舎の診療所では物足りなく思うでしょうね。

福島への復興支援のあり方もどうすればよいのでしょう?




奥尻島の20年

2013-07-12 23:16:40 | 震災復興
震災から20年の月日が流れました。

1993年7月12日午後10時17分に地震発生。3分後に津波が奥尻島を襲いました。

この島の198人が亡くなられました。他の市町村では30名を超える人が命を落とされました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

奥尻町には三度訪ねました。見事に復興をしたのですが、さまざまな歪みもあります。

それでも(人は)生きてゆ(い)く

2013-06-28 23:57:48 | 震災復興
CDと本を紹介します。

まずCDアルバム「神様のカルテ~辻井伸行自作集」(2011年7月)の8曲目に「それでも、生きてゆく」があります。

「震災で亡くなられた多くの方々への追悼と、悲しみから立ち上がろうとする人に寄り添い支えるような曲を書きたい」という辻井さんの思いをから創られたピアノ曲です。

哀しみの深さをしっとりと表現してくれます。後半は希望をあらわしているのでしょう。

「それでも、生きてゆく」は同名のテレビドラマのテーマ曲でもあったそうです。ぼくは一度もこのテレビドラマを見たことがありませんでした。

『それでも人は生きていく』は瀬戸内寂聴さんがこの5月に出された本です。「冤罪・連合赤軍・オウム・反戦・反核」が副題です。個々の文章はすでに公けにされたものですが、本の帯には「この本は私の遺言である」と記されています。

冤罪があるために死刑という裁きを行ってはならないこと。そして16人もの命を奪った連合赤軍永田洋子への思いが主たるテーマです。

「矛盾と不条理にみちたこの世だからこそ、無私の祈りが私たちを救ってくれるのだ信じている」

矛盾と不条理に対して戦う自分でありたい。