福岡まで行ったついでに少し足を延ばし、長崎市に行ってきました。
30数年ぶりで永井隆博士の住まいであった如己堂を訪ねました。
博士は長崎医大の放射線科勤務で慢性骨髄性白血病にり患、その後被爆。最後の数年をカソリック信者仲間が建ててくれた畳2畳の家で数年を過ごし、17冊の本を執筆しました。
如己堂の名前の由来は「己(おのれ)を愛する如く人を愛す」から。
「どん底に大地あり」という言葉もあることに感動。
父親は島根の過疎地医療に尽くされた方。父上をモデルにした『村医』という小説も書かれたことを初めて知りました。
30数年ぶりで永井隆博士の住まいであった如己堂を訪ねました。
博士は長崎医大の放射線科勤務で慢性骨髄性白血病にり患、その後被爆。最後の数年をカソリック信者仲間が建ててくれた畳2畳の家で数年を過ごし、17冊の本を執筆しました。
如己堂の名前の由来は「己(おのれ)を愛する如く人を愛す」から。
「どん底に大地あり」という言葉もあることに感動。
父親は島根の過疎地医療に尽くされた方。父上をモデルにした『村医』という小説も書かれたことを初めて知りました。