旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

JR北海道 減速

2014-08-31 22:50:07 | 日記
8月30日からJR北海道のダイヤ改正が行われました。

以前、このブログでもJR北海道のひどさをしばしば取り上げましたが、いよいよ札幌―新千歳空港間のエアポート快速も減速されることになったのです。

時速130㎞を120㎞に減速しますが、あの恐怖感がどれだけ緩和されたか、感じることができるとよいのですが、まだ乗車してないので分かりません。

この区間の運転時間は36分でしたが、きょうから37分になるとのことです。安全を求めるなら、まだまだ改善の余地はありそうです。

JR北海道の内側は吉野次郎『JR北海道 腐食の系譜 なぜ2人のトップは自死を選んだのか』(日経BP社)が見事に描き出しています。本年4月刊。

国鉄時代からの組織の問題です。幹部と組合の対立、二つの組合の対立、また本業の減収を副業で補おうとした経営策の誤謬。大きな組織のあり方の難しさを明らかにしています。

道民はもっともっとこの問題を考え、意見を言わないといけないと思います。北電―原発問題も同様です。




地域協働夏季セミナー インターライ勉強会

2014-08-24 23:20:17 | 地域協働
メイアイヘルプユーの新津ふみ子さんの発案で京極町で上記セミナーを開催することになりました。

新津さんは30年来の友人。日本の訪問看護の母、ケアマネジャーの母でもあります。余市町でのお仕事のついでに「夏季セミナー」やろうということになって、3日間のプログラムが組まれました。

1日目はインターライの勉強会。(ぼくは富山に行っていて不在でした)介護保険利用者のアセスメントのひとつの方式です。優れた方式ですが、医学的な内容であることで勉強はかなりしなければ身につきません。(ぼくもテキスト買って勉強します)

日本では介護保険におけるケアマネジメント導入時に、複数のアセスメント方式が登場しました。それぞれ自分たちの方式の良さをアッピールしましたが、検証はきちんとされなかったと思います。日本人はこういうところが苦手なのだと思います。


富山にエール

2014-08-23 22:56:23 | ケアマネジメント
富山に行ってきました。介護支援専門員専門研修Ⅱ特別講義を依頼されたためです。

公開ということで、研修受講対象者だけでなく、対象外の方々も参加してくださって、富山国際会議場メインホールの1階はぎっしりでした。

テーマは「介護と医療の連携」でした。

世の中、こぞってケアマネ攻撃です。その理由は介護保険費用の急増です。要するに「マネー(お金)」の問題です。

医療保険と介護保険の違いは費用の「病名をつけさえすればほぼ無制限」と「介護の負担度に応じた制限」の違いです。制限を加えても費用無駄が多い。それはケアマネジャーが的確なケアプランをつくってないからだということになります。アセスメントができてないとの論調になります。

きのうの講義はほとんど金の話をせず、高齢者・障がい者のよき隣人(相談相手)になること、医療との連携も警戒しながら行うこと、できれば医療の世話にならないこと、など。

これらこそ全体的な費用の節減になると信じるからです。


矢澤信明先生ご逝去 半農半医の生き方

2014-08-21 05:11:44 | 交友
楢戸健次郎先生から武田伸二先生経由で訃報が入りました。

尊敬する大学の先輩であり、北海道開拓医療の先駆者である矢澤信明先生が、8月18日(月)お昼にご帰天されたとのことです。


矢澤先生は
長野県生まれ。新潟医科大学卒業。北海道にて半農半医23年を送られ、新冠町立病院院長、手稲ルカ病院院長他を歴任され、現在特別養護老人ホーム「十字の園」(御殿場市)診療所長を歴任された。

先生に初めてお会いしたのは、ぼくがまだ自治医科大学に勤めていた頃か、涌谷町に移った後かは定かでありません。いや、よく考えてみると自治医大で地域医療学教室に移って、間もないころだったように思います。1970年代後半。

楢戸先生の紹介で新冠町のご自宅を訪ねました。当時矢澤先生は新冠町立病院長を務めておられました。ご自宅は白い壁の洋館風でした。庭は緑でいっぱいでしたが、ふきが北海道らしく巨大だったのを思い出します。

昔、馬に乗って往診されたお話を伺いました。帰りに先生は眠ってしまうのですが、馬はちゃんと自宅まで戻ってくれるというのです。忠犬ならぬ忠馬がいたのですね。

町中は畑も多かったのです。案内散歩の途中、勝手に野菜をもぎとって、「もらってくぞー」と大きな声を出して、確認もしないでいるので、令子夫人が「あなたったら…」と、後でお詫びに行くようなそぶりでした。

そのような光景は、先生と令子奥様の著書『北海道開拓の思い出-半農半医23年』に描かれています。

また、新冠町のHPには次のような記載があります。

昔、緑丘はウンネップと呼ばれていましたが、戦後に御料牧場が解放され、多くの開拓者が入植しまし
た。昭和24年、矢澤信明医師はこの緑丘に入植し、開拓者とともに農業を行いながら医療活動も行い、
付近住民の健康の維持に努めてきました。開拓者は、貧しい生活をしていたことから、医療費をとらずに
農業を一緒にすることで、その代わりとしたこともあったようです。物資も不足しており、馬で往診をする
などして懸命な医療活動を行っていました。昭和47年には、矢澤医師が医学勉強のために転出されま
したが、付近住民は今でもこのご恩を忘れずにいる方が大変多いです。

昭和47年に一度町を去られたので、ぼくは二度目の病院長のときに会いに行ったのでしょう。

先生はプライマリ‐ケア学会によく参加してくださいました。いつも笑顔で励ましていただきました。

あるとき、高名な先生の発案で設置されたホスピスに勤められたことがあります。「やー、すぐ辞めたよ。部屋代が一日3万円。ぼくには金持ちの世話はできない」先生らしいエピソードです。

同じく大学の先輩 故渡辺悌三先生が札幌に移って来られた時、北海道で活躍した先輩たちを調べられました。矢澤先生のお仕事に注目され、お二人の親交が始まりました。

92年の生涯。先生のそばにはいつも農民や馬がいたように思います。信仰と愛とともに。

 

おお 動き出した!

2014-08-18 22:49:46 | 地域協働
健康推進員が動き出しました。京極町の。

数が頭打ちでしたから、せめて町内会ごとに推進員を選出してもらおうとの意見が出てきました。さきほどの勉強会の中で。

まずは連合町内会の代表者と話し合いだそうです。

もう少し、議論して将来の形をイメージしないと発展は難しいかなと思います。

長野県の保健補導員も市町村で温度差がかなりありそうです。涌谷町もどうしてうまくいったのでしょうね。

いずれにしましても、ずっと見守っていきましょう。