旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

ふるさとに帰らず

2011-12-31 23:11:58 | 日記

盆と正月には故郷に戻るのが、故郷を出た者の義務のようなものでしょうか。

学生であったときは毎年帰郷したものの、仕事に就いてからは職場近くで越年してきました。

故郷を捨てた気持ちはありませんが、ぼくにとっては遠きにありて想うもののようです。

中学時代のクラスメートの竹ちゃんから、毎年暮れになるとキューイフルーツが送られてきます。甘酸っぱい味で故郷を思い出して新年を迎えます。

悲喜交々1年が過ぎゆきます。

鎮魂とともに原発で故郷に帰れない方々が少しでも平安でありますように祈ります。

 


厳しい1年

2011-12-30 23:19:37 | できごと

苛酷なまでの1年でした。東日本大震災。地震、津波、原発事故。

身近な人では、準備も含めて約10年仕えた元涌谷町長本間八郎さんが亡くなられました。7月29日のことでした。人を大切にして町民の生命と財産を守ることを小自治体の政治に生かせた稀有の人だったと思います。

11月10日には鴨下重彦先生を天に送りました。学問に対する姿勢のみならず、誠実、謙虚を生き方で示された学者であり、医師であり、信徒でありました。

そうした中で、うれしいことがちりばめられるのも人生なのでしょう。

3月15日に、20年来の悲願であった「プライマリ-ケア連合学会が日本医学会への加盟」が認められました。プライマリ-ケア学が日本の中で「医の学問」として認められた画期的な出来事でした。昨年4月に3学会を合併させたことが原動力となりました。

12月19には、個人に生存科学武見記念賞をいただきました。身に余る賞ですが、受賞をエネルギーとしてプライマリ-ケア医学を実践の学として世に示していきたいと決意を新たにしています。

支えてくださった皆様に感謝しています。

さて、明日は1年の計の準備をしましょう。部屋の掃除も。


ラブレス(LOVE LESS) 愛なき人生行路?

2011-12-29 20:53:00 | 読書

何年ぶりかで小説なるものを読みました。きょうは休みでなく、午前外来診療、午後は予防接種と老人ホームの回診でした。

夏の頃、新聞の書評を読んでぜひ読んでみたいと思ったのですが、時間がなく、ようやく最近買い求めた本です。釧路市出身の桜木紫乃さんの作品です。新潮社刊。

道東の極貧の開拓小屋に育った百合江は、身売りされるように奉公に出、旅芸人一座の女性歌手の歌を聴き、天啓に導かれるように一座に入門する。

10年近く全国を回り、座長は肝硬変で世を去り、師匠は半身麻痺し、まもなく自死。その後、女形でギタリストの宗太郎と流しでかろうじて食べていく。

宗太郎の子ができてまもなく、彼は百合江から離れていく。やがて役場職員との不幸な結婚。借金返しのために温泉旅館の子連れ仲居として働き、宴席では歌を歌う。

二人目の子は帝王切開で生むが、術後の腹を夫に蹴られ、ダウン。さらに長女はいなくなる。勝気な妹に守られて母子で小さな幸せをつかむも長続きはしない。

百合江は一人暮らしになり土地売買で騙され自己破産し、生活保護に。町営住宅で 左手に位牌を握って倒れているところに妹と姪が訪ねてくる。

読後感:著者は愛に裏切られ続けた人生をラブレスと呼びたいのだろうか? 70歳台にもかかわらず「老衰」と判断されたことを不幸としたいのだろうか? 

百合江の人生行路をラブレスとぼくは思わない。夕張炭鉱から開拓に身を転じた飲んだくれの父。人間性を失ったかに思えた文盲の母。でも百合江はSOC(首尾一貫性)を持った女性。柳のように、風のように。仕方のないことはあまり考えない。不幸も幸福も長くは続かない。人生の帳尻なんかどうでもよいと考えることのできた女性である。家族愛も姉妹愛もあった。性の不幸も喜びもあった。

著者はラブレス人生はないということを言いたかったのかなあと旅芸医者は最終的に考えたのでした。ナラティブなアプローチ(患者さんの物語を読み解く)は患者さんの小さな愛、ささやかな物語に共感できる有効な手段だと改めて感じました。

 

 


ケガ無いのに怪我した男

2011-12-28 23:55:16 | できごと

本日で御用納めということで明日から休暇の方々が多いと思います。

北海道の町村は変則的で30日まで仕事。31日から休みで、6日が仕事始めとなっています。休み期間が6日間であることは変わりがありません。

きょうは午前中役場に勤務し、午後から京極町国保病院の勤務です。2晩当直をして、連続48時間勤務となります。

ウェルカム(患者さんどなたも大歓迎)で仕事すると午後もそれなりに患者さんが多く、いろいろ勉強しながら対応しました。関東からスキーに来られたお子さんも来院されましたが、院外薬局に小児用の薬剤がなく苦労しました。でも工夫できました。

消化器症状で食事のとれない方は短期入院をしていただきました。入院ベッドを有効利用できてよかったと思います。訪問看護師さんも年末まで大奮闘でしたが、少し休めるとよいですね。

さて、きょうは水曜日で倶知安町は生ゴミの日です。早起きして捨てに行きました。生ゴミ用のバケツがゴミ置き場の奥にあったので、首を伸ばしてバケツに生ゴミを捨て、頭を戻す時に頭頂部に痛みが走りました。

毛糸の帽子をかぶっていたので大丈夫だろうとそのまま京極町へ向かいました。痛みを忘れて仕事をし、昼休み病院の会議室で給食のラーメンをすすっていたら、孝子さんが「せんせ、どうしたの?」まわりの人たちも注目します。

「頭のてっぺんが赤い!」「まるで丹頂鶴!」「毛が無いから怪我したのね」


外来の引き継ぎ

2011-12-27 22:50:04 | 診療

倶知安厚生病院の総合診療科外来担当が来年の2月6日(月)までになり、お別れを告げなければならない患者さんも出てきました。

きのうの再来は2か月から3か月分薬も処方する例も多く、顔を名前が一致しない人もいるので、申し訳なく思ってきました。

「2月から京極の国保病院に移ります」と話すと「あっそう」とさりげなくお別れになる人あり、「えっ、せっかく医者らしい先生に診てもらえたのに」と残念がってくれる方あり。

どんな意味かなあと思わず尋ねてしまいました。「今まで若い先生が多かったから」というお返事でした。

「医者らしい」とは「歳をある程度とっている」という意味で使われているのですね。

24歳で医師になりまして、研修医の頃、「受け持ってほしい医師ナンバーワン」だった(?)ぼくとしては、医師は年齢でないと思ってきましたが、経験がありそう、どのようなことでも受けとめてくれそう、などの雰囲気は患者さんにとってはたいせつなのでしょうね。

厚生病院総合診療科は去る者あり、来る人よりも数が多そうで、引き継ぎはなかなかたいへんです。

京極町診療所の医師募集が本日ホームページでアップされました。全国公募です。よろしくお願いします。