京極町社会福祉協議会清水耕策事務局長のはからいで、北海道地域福祉の巨星忍博次先生と再会できました。
平成8年(1996年)ぼくが北海道に転勤してきて、比較的まもなく道医師会の集まりがありました。確か山口昇先生が特別講演をされたように記憶しています。そのときに忍先生に初めて会いました。
医師会の集まりですから医師ばかりの中、唯一福祉研究者としての先生がおられました。他の都府県の医師会と北海道は違うぞという思いをその時に持ちました。
忍先生は当時北星学園大学の教授をされてましたが、名誉教授になられてのちにも岡山や九州の大学、そして名寄市立大学の教授を務められ、現在は北海道社会福祉協議会副会長のほかたくさんの役職を持っておられます。
ぼくはエブリデイ・オンコールでアルコールは飲めませんから、お茶をいただきながら、適度にお酒を飲まれた先生のお話に耳を傾けました。
同世代の医師の友人が多く協力体制を組めたこと。奥様を早く亡くされたため、北海道から遠く離れた大学に赴任できたこと。先生の発言や提言は時代の先端を行っていて、その当時はほとんど周囲から理解されなかったこと。医師や医学研究者は社会を知らない人があまりに多いこと。看護研究者もそれに近いこと。民主党への失望、などなど。
歯に衣着せぬご発言はまさに痛快でありました。
現在82歳。優れた健康人であります。少年のような志、まことに盛んです。
先生、ますますお元気で。
平成8年(1996年)ぼくが北海道に転勤してきて、比較的まもなく道医師会の集まりがありました。確か山口昇先生が特別講演をされたように記憶しています。そのときに忍先生に初めて会いました。
医師会の集まりですから医師ばかりの中、唯一福祉研究者としての先生がおられました。他の都府県の医師会と北海道は違うぞという思いをその時に持ちました。
忍先生は当時北星学園大学の教授をされてましたが、名誉教授になられてのちにも岡山や九州の大学、そして名寄市立大学の教授を務められ、現在は北海道社会福祉協議会副会長のほかたくさんの役職を持っておられます。
ぼくはエブリデイ・オンコールでアルコールは飲めませんから、お茶をいただきながら、適度にお酒を飲まれた先生のお話に耳を傾けました。
同世代の医師の友人が多く協力体制を組めたこと。奥様を早く亡くされたため、北海道から遠く離れた大学に赴任できたこと。先生の発言や提言は時代の先端を行っていて、その当時はほとんど周囲から理解されなかったこと。医師や医学研究者は社会を知らない人があまりに多いこと。看護研究者もそれに近いこと。民主党への失望、などなど。
歯に衣着せぬご発言はまさに痛快でありました。
現在82歳。優れた健康人であります。少年のような志、まことに盛んです。
先生、ますますお元気で。