旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

試練の8月

2021-09-07 22:19:15 | 診療
夕張に赴任して3年目に入り、もっとも過酷な1か月を送りました。
8月とうとう常勤医がぼくひとりなったのです。
パート医師の応援はありましたが、外来と訪問診療の一部を担っていただき、
10数名の入院患者は全部自分で診る。
9日から23日までは月火水曜パート医師が病休となり、絶望的な事態とあいなりました。
午前中はひとりで外来診療。午後は外来を少しこなして、訪問診療に出向き、夜になって病棟の仕事をする日が
数日できてしまいました。夜に3度起こされ、1時間ほどしか眠れなかった当直の日もありました。
病棟で看取った方はこの1か月で9名。
患者さんにも迷惑をかけてしまいました。
外来は患者さんの待ち時間が長くなって不満が続出しました。
医師であるぼくが耳の遠い患者さんたちを呼び出し、ゆっくり立ち上がりどう歩くかを見守る。
スタッフは気づきがないなあとぼやきながらも、結局はスタッフの支えで1か月を乗り切りました。

9時から15時まで70~80人の外来患者さんを診察し、30人の入院患者さんを回診。夕方に往診。
という涌谷町時代とはまた違った労働でした。

9月からは常勤医が増え、地域医療研修の医師もいて、ゆったり生活が戻りました。
元気です! ご安心ください。


すくすくと

2021-07-20 23:41:45 | 診療
すくすくと
この子は育ってゆくだろう
まだ2か月

スイスイと
100歳に近いこの方は
眠り続ける

祖祖母を見舞うのは初ひ孫
祖祖母はもう眠いのだ
それでも手足を動かし続ける
赤子をあやすように

ふたりベッドに寝そべって
写真を1枚 2枚  3枚

すくすくと
100歳に近いこの方は
まだまだ成長し続ける

とわのいのちがつながれてゆく


まっすぐに

2021-06-24 23:47:23 | 診療
まっすぐに ただまっすぐに あの人は逝った

なにも知らずにごめんなさい

がまんしないで はやめに受診してくれたら
もっとできることがあったはずだと
藪医者は考えた

でもそれは  大間違い

あの人は まっすぐに まっすぐに 昇っていった
愛する人のもとに

家族は遠く 明日になるという
駆けつけてくれた近隣の人が 安堵の顔を見て つぶやいた
「よかった よかった 早く 会いたかったんだね」

見送るとき 葬儀屋さんが教えてくれた
「毎月 まいつき お花を買っていかれました
ご主人に捧げる花でした」

あなたは ご自身の病気のことなど どうでもよかったのですね
まっすぐに  ただまっすぐに あの人のもとへ

きょうのお花は何?  どんな色?

きっと きっと まっすぐな花

「待ってる人たちと会えるね」

2020-09-07 23:49:36 | 診療
夕張は超高齢者も多く、看取りの機会も多いです。お一人おひとりのこと書けるとよいのですが、なかなか書くことができません。

最期、飲水できず、点滴もせず数週間を生き抜いた90代後半の方に奥さまがそっと声を掛けました。

「待ってる人に会えるね」

はあ、天国で待っているのはご両親、ごきょうだい、おともだち  だれかなあ。

親孝行の息子さんにぼくたちは十分応えるケアができませんでしたが、この言葉を聞いてほっとあたたかくなりました。

優しき人との別れ

2020-07-01 00:19:21 | 診療
昨晩は12時に入院患者さん呼吸が努力様で病室に行き
1時間半くらいそばにいて 心の会話を楽しみました
家庭的にはご苦労をされることが多かったようです
東京生まれ、3歳のとき母が結核で夭折
7歳のとき父親が川で水死
4人姉妹の末っ子
あちこちの親戚に預けられ 夕張にきたようです

海援隊の贈る言葉
「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」
が大好きでした

以前は別の医師が主治医をすることが多く
この半年だけ ぼくが訪問診療していました

みなさんへの気遣い 感謝  いっぱいあふれてました
最期の半年 少ししあわせだったかな
「見立てが良くてやさしい」ドクターにめぐりあって
しみじみ話しができたと言ってました
訪問時はサイダーや紅茶を一緒にいただきました

悲しみ多くても やさしさのあふれた人生でした

これからも きっと やさしくほほえみながら 天国で暮らすのでしょう

その後、死亡確認の方を救急車が運んできて
4時過ぎに帰宅して少しだけ寝て  5時半に起きて準備し仕事に出かけました