旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

ホスピタリスト人気に疑問

2018-06-19 22:20:31 | 学会活動
以下学会で感じた 素朴な疑問です。

病院総合医は教育のプロセスであって、
その育成を目的にするのは適切なことでしょうか?
病院に一定数の教育者が必要であることは否定しませんが。
地域への広がりができなければ効果的でないでしょう。

経営難の病院の救世主のような扱いには
自分の立ち位置に対して冷静な判断力が必要と思います。

若い医師の志向を国民のニーズと混同してはならないでしょう。
経済システム優先の米国医療におけるホスピタリスト人気にだけ目を向けないで、
欧州のプライマリケアも見ていかなければ冷静な判断につながりません。

病院重視主義、経済優先の商業主義医療、分断化の罠に
入り込みそうで心配です。

田舎医者のたわごとでした。


第9回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会参加記

2018-06-17 23:02:55 | 学会活動
三重県津市に行ってきました。

最近はいい加減な参加の仕方ですが、今回はかなり緊張。15分ですが、講演の機会を与えられたからです。竹村大会長の企画に感謝してます。シニアの同窓会的な感じもありました。

「日本の総合診療の夜明け前と今後の展望」というテーマでした。津田司、山田隆司、小泉俊三3先生とのプログラムです。


ホスピタリスト全盛という印象を受けました。若い医師のニーズ?  国民のニーズ? だいじなこと忘れてないのかなと心配になりました。ぼくは時代遅れなのでしょうかねb

さて、だいじなこととは何でしょう?

師井邦竹医師が家庭医療専門医合格

2017-09-30 00:23:09 | 学会活動
ひまわりクリニックでの研修ではじめての取得です。

一人めは研修は修了しましたが、受験せず。二人めは家庭医療よりも総合内科へ転向、小児科の研修はしないまま現在に至り、三人めの師井先生が、ポートフォリオを的確にまとめ、実技・筆記試験に合格しました。

当診療所での予防医学の進展、禁煙外来開設、イギリスへの短期留学、夕張へでの在宅医療研修(兼、医師不足支援)などよく活躍してくれました。

これから、ここで一層がんばってほしいと考えているうちに、彼の夢は大きくふくらみ、この12月にニセコで外国人が主たる対象であるクリニックをオープンします。

得意の英語力を生かして、旅先で心細い方々への診療に力を注いでほしいと思います。皆様のご支援をお願いいたします。

日野原重明先生とプライマリケア

2017-08-03 21:06:11 | 学会活動
ぼくは 3年間東京での研修を終え、栃木県にある自治医科大学病院の血液科シニアレジデントになりました。それから血液病学を勉強している間は、日野原先生との接点がなくなりました。

卒業して10年くらいしたときに、突然高久史麿教授(当時)からのお勧め(命令ではなく?)で大分県立病院三重療養所に赴任しました。9か月で自治医大にもどったときに、中尾義久学長が話があるので、学長室に行ってこいと言われ、恐る恐る訪ねました。兼務でいいので、新設の地域医療学教室のチーフをしてほしい、とのことでした。

手探りで始めました。自治医大第一期生の吉新通康君(現、地域医療振興協会理事長)が相棒でした。

このとき客員教授が5名着任されました。そのひとりが日野原重明先生でした。

吉新君が申請してくれた「わが国におけるプライマリケアの研究」がNIRA(シンクタンク)の補助金を受けることができ、米国、英国、北欧へ調査に行きました。ぼくは米国を担当し、聖路加国際病院におられた日野原先生にご助言をお願いしました。

そのとき米国東海岸の総合内科(general internal medicine)でなく、西海岸に活発な家庭医療学(Family Medicine)を視察するように助言をいただきました。あとでわかったのですが、川崎医大のスタッフには前者を勧め、ハーバード大学関連施設に短期留学したのでした。ぼくたちはシアトルのワシントン大学、UCSFのサンフランシスコ校、サンタローザ郡立病院家庭医療学センターを視察しました。

ワシントン州立大学にはWAMIプログラムがありました。この大学の医学部は当時、ワシントン州、アラスカ州、モンタナ州、アイダホ州、4週で唯一の医師養成機関であったのです。日本のへき地医療とは規模が違います。その後、確か7回ほどワシントン大学を訪ねました。終生の師と仰ぐ巣ミルクシュタイン先生とも出会いました。

サンタローザではその後長く友情を育むことになるジョナサン・ロドニックと会いました。

これらの出会いの詳細はまた、別の機会に記します。

日野原先生によってぼくの人生は大きく方向転換していきます。

日野原先生から教えられた最大のことは、プライマリケアの大部分は「地域住民のセルフケア」であるということです。これが涌谷町での活動の原点であったと思います。




久々に陸前高田市へ

2015-09-05 22:09:17 | 学会活動
心療内科学会の継続事業です。

7月8月は応援してくださる先生方も多く、ぼくは休みました。

来年3月に現在の形は終了することになり、ぼくは今回含め残り4回応援することにしています。

来年4月からは岩手県内の先生が担当されるようです。

復興が進んでいるかというと、盛土作業はそろそろ終了と聞きますが、その上に住宅や商店が立っているわけではありません。

復興住宅は増えてはいますが、家賃が厳しく払えない方々も少なくないと聞こえてきます。

この11日で震災後4年半の月日が流れることになりますが、こころの傷はなかなか消えそうにありません。

復興の応援に来ている人自身が病んでしまう場合もあるようです。仕事の流儀、生き方がますます大切になっています。